李恢成(読み)イフェソン

デジタル大辞泉 「李恢成」の意味・読み・例文・類語

イ‐フェソン【李恢成】

[1935~ ]小説家サハリン樺太からふと)の生まれ。戦後北海道移住朝鮮総連、朝鮮新報社勤務のかたわら、創作に打ち込む。「きぬたをうつ女」で芥川賞受賞。他に「約束の土地」「見果てぬ夢」「百年の旅人たち」など。りかいせい

り‐かいせい〔‐クワイセイ〕【李恢成】

イフェソン(李恢成)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李恢成」の意味・わかりやすい解説

李恢成(りかいせい)
りかいせい / イフェソン
(1935― )

小説家。樺太(からふと)(サハリン)真岡(まおか)生まれ。早稲田(わせだ)大学露文科卒業。朝鮮総連、朝鮮新報社などに勤務のかたわら創作に打ち込み、祖国分断に苦悩する在日朝鮮人の家族を描いた長編『またふたたびの道』(1969)で『群像』新人文学賞を受賞。以後、祖国統一を目ざす純粋な悲願と、在日朝鮮人であるがゆえにつねに風化の危機をはらんでいる民族的主体性の回復という重い主題に取り組み続け、『われら青春の途上にて』(1969)、『伽倻子(かやこ)のために』(1970)、『青丘の宿』(1971)などを発表。1972年(昭和47)、当面する政治的課題を亡き母の思い出に託した『砧(きぬた)をうつ女』で第66回芥川(あくたがわ)賞を受賞。ほかに、長編には『約束土地』(1973)、『追放と自由』(1975)、『サハリンへの旅』(1983)など。中短編集には『われら青春の途上にて』(1970)、『私のサハリン』(1975)、『流民伝』(1980)。エッセイ集には『北であれ南であれ わが祖国』(1974)、『イムジン江をめざすとき』(1975)、『青春と祖国』(1981)などがある。また3000枚に及ぶ大作『見果てぬ夢』(1977~1979)では、韓国ソウル舞台として、独自な「土着社会主義」の実現を目ざす人々の苦闘を描いている。ほかに『百年の旅人たち』(1994。野間文芸賞)、『死者と生者の市』(1996)など。

[古林 尚]

『『またふたたびの道』(講談社文庫)』『『見果てぬ夢』全5巻(講談社文庫)』『『百年の旅人たち』(新潮文庫)』『『サハリンへの旅』(講談社文芸文庫)』


李恢成(イフェソン)
いふぇそん

李恢成

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百科事典マイペディア 「李恢成」の意味・わかりやすい解説

李恢成【りかいせい】

小説家。樺太在住の在日朝鮮人2世として生まれる。早稲田大学卒。朝鮮総連中央教育部学生課,朝鮮新報社などに勤めながら創作を試みる。《またふたたびの道》(1969年)で群像新人文学賞受賞。以後《群像》などに,在日と祖国分断の問題を見据えた作品を次々と発表。《季刊芸術》に発表した《砧をうつ女》(1972年)で在日朝鮮人として初めて芥川賞を受賞した。他に《約束の土地》《伽【や】子のために》などがある。
→関連項目金鶴泳

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李恢成」の解説

李恢成 イ-フェソン

1935- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和10年7月25日樺太(からふと)(サハリン)生まれ。戦後北海道に移住。朝鮮総連,朝鮮新報社勤務のかたわら創作にうちこみ,昭和44年在日朝鮮人の家族をえがいた「またふたたびの道」で群像新人文学賞,47年「砧(きぬた)をうつ女」で芥川賞。祖国朝鮮の同時代の青年群像をえがいた3000枚の大作「見果てぬ夢」(昭和52-54年刊)のあと,平成6年「百年の旅人たち」で野間文芸賞。10年韓国籍を取得。早大卒。作品はほかに「伽倻子(かやこ)のために」「サハリンへの旅」など。

李恢成 り-かいせい

イ-フェソン

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