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杜牧 とぼく Du Mu

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杜牧
とぼく
Du Mu

[生]貞元19(803)
[没]大中6(852)
中国,晩唐の詩人。京兆万年 (陝西省西安市) の人。字,牧之。号,樊川 (はんせん) 。祖父は『通典 (つてん) 』の編者杜佑。太和1 (827) 年進士に及第,弘文館校書郎となり,比部員外郎を経て会昌2 (842) 年黄州刺史に転じた。

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デジタル大辞泉の解説

と‐ぼく【杜牧】

[803~853]中国、晩唐期の詩人。京兆(けいちょう)・万年(陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は牧之(ぼくし)。晩唐の技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。杜甫の「老杜」に対し「小杜」と呼ばれるでは「阿房宮賦(あぼうきゅうふ)」が有名。

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百科事典マイペディアの解説

杜牧【とぼく】

中国,晩唐の詩人。京兆万年の人,字は牧之(ぼくし)。杜甫に対して小杜と呼ぶ。ことに七言絶句にひいで,元和(げんな)体の艶詩を作った。他方,敬宗の奢侈(しゃし)をいさめる《阿房宮賦》を作り,政治的識見を反映させているが,衰えつつある時代への嘆きが見いだされる。

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世界大百科事典 第2版の解説

とぼく【杜牧 Dù Mù】

803‐852か853
中国,晩唐の代表的文学者。京兆万年(陝西省)の人。祖父杜佑は宰相をつとめ,政治制度史《通典》の著者としても有名。太和2年(828)の進士で各州の刺史を歴任し,中書舎人に終わった。〈十年ひとたび覚む揚州の夢,贏(か)ち得たり青楼薄倖の名〉と歌う七言絶句《遣懐》によって風流才子の典型とみなされがちだが,剛直な政治姿勢を反映した,現実に対する鋭敏な認識が《阿房宮賦》など多くの作品を貫く。さらに軍事学にも興味を示し,《孫子》の注釈を残した。

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大辞林 第三版の解説

とぼく【杜牧】

803~853) 中国、晩唐の詩人。字あざなは牧之。杜甫とほ(老杜)と区別するため小杜とも呼ばれる。その詩は平明なので江戸時代以来日本でも愛唱され、特に「江南の春」「山行」は有名。詩文集「樊川文集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杜牧
とぼく
(803―852)

中国、晩唐の詩人。散文にも秀でた。同族の先輩詩人である杜甫(とほ)(大杜(だいと))と区別して小杜(しょうと)とよばれる。字(あざな)は牧之(ぼくし)。樊川(はんせん)と号した。長安(陝西(せんせい)省西安)の出身。828年(太和2)の進士。若いころは遊興にふけった人のようで、ときとして退廃にまで傾いた近体の艶詩(えんし)でよく知られるが、その裏面には、祖父杜佑(とゆう)が宰相となったほどの名門に生を受けながら、崩壊寸前期の唐王朝に直面し、かつ眼病に悩む弟の医療費をかせぐために低い地方官暮らしを続けざるをえなかった詩人の苦渋がある。「十年一たび覚(さ)む揚州の夢、贏(あま)し得たり青楼薄倖(はくこう)の名」など杜牧の詩が往々にしてシニカルな屈折と飛躍を示すのはそのためである。したがってその詩集には軽薄なものはごく少数しか残されておらず、「江南春」「泊秦淮(しんわい)」など清麗な絶句に特色がある。ほかに「阿房宮賦」「杜秋娘(しゅうじょう)詩」などが知られる。
 文学家としての杜牧の真面目(しんめんもく)は、兵法の書『孫子(そんし)』に注釈を施したり、また、その政治論文にうかがわれる、骨格の勁(つよ)い剛直さと気概とにある。中唐に端を発した古文運動の正当な継承者といえよう。『樊川文集』20巻、『樊川詩集』7巻がある。[野口一雄]
『市野沢寅雄著『漢詩大系14 杜牧』(1965・集英社)』

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世界大百科事典内の杜牧の言及

【中国文学】より

…彼は恋愛の諸相をうたった〈無題詩〉を多く作り,律詩の対句の巧みさは杜甫につぎ造語の妙も似ているが,李賀とはまた異なった新しい世界をひらくものであった。彼と並ぶ杜牧(とぼく)もまた愛情の詩人としての一面をもっていたが,その軽快な筆致は李商隠の詩の重苦しいひびきとは対照的である。この時期の詩人たちには庶民の生活,その喜びと悲しみを写すことに興味をいだく人が少なくなかった。…

【唐詩】より

…彼のグループの若き鬼才李賀は異常な感覚をもって新しい美の世界をひらいたが,その認識と鑑賞はさらに遅れ,江戸時代の末に詩集が翻刻されて初めて全貌が知られるようになる。 晩唐(836ころ‐907)の傑出した詩人は杜牧と李商隠で,杜牧は軽快な筆致の詩を作ったが,李商隠の恋愛を主題とし象徴的手法を用いた七言律詩は,李賀とも異なった美の世界を立てた。李詩の愛好者は中国では明以後に多く,近代にますます多くなるのだが,日本ではさらに遅れ,明治になって初めて研究と紹介がなされる。…

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