江戸時代の玩具(がんぐ)。紙を畳んで、四角な張り抜き筒、または竹筒に収め、押し出せば仏の像が開いて後光を負ってせり出す仕掛け。7月26日の月を、三尊の御来迎(現れること)といって遙拝(ようはい)した当時の風習(六夜待(ろくやまち))を玩具化したもの。仏像は張り抜きまたは桐(きり)の木に彩色。円光背は黄色の紙製で、筒の下の棒を上下すると仏が出入りする。これを藁苞(わらづと)に挿し並べて「御来迎、御来迎」と売り歩いた。元禄(げんろく)年間(1688~1704)から安永(あんえい)年間(1772~81)の末まで約100年間も廃れずに流行したらしい。江戸・高輪(たかなわ)付近での六夜待を詠んだ川柳(せんりゅう)に、「御来迎三文ですまぬ海のはた」(安永)とあり、値段が当時3文であったことがわかる。なお明和(めいわ)年間(1764~72)の中ごろには、この仏像を烏(からす)にかえ、光背を赤い紙にした変わり型も現れたが、富士山の行者が日の出を御来迎とよんでいるのに基づいた着想と思われる。
[斎藤良輔]
浄土に生まれ変わることを願う念仏行者などの臨終に際して、弥陀(みだ)三尊などの仏菩薩(ぼさつ)が迎えに現れることを敬っていう。「ごらいこう」ともいい、仏教美術の一様式としても重要な位置を占め、雲に乗った仏菩薩の背後には光背(御光(ごこう))が描かれている。転じて、高山などで見られるある状況下の日の出や、それに伴う神秘的な景観を、御来迎、御来光、御光などとよんで、拝む習慣もある。
[宇田敏彦]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…この登山風俗は,江戸時代にも引き継がれていて,富士講もまた宿坊とつながりをもっていた。登山者の信仰活動の目的は,山上で日の出を拝することで,これを御来迎または御来光と称した。さらに山中に胎内穴があり,聖地視され,この洞穴に入り出てくること(胎内くぐり)は,富士詣により再生することを潜在的に意味したらしい。…
※「御来迎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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