日本歴史地名大系 「東南院」の解説
東南院
とうなんいん
東南院
とうなんいん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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奈良市雑司町東大寺内にある,もと三論・真言兼学の院家(いんげ)。明治以降東大寺本坊となり,華厳宗となる。875年(貞観17)聖宝(しようぼう)の創建にかかり,904年(延喜4)に東大寺別当道義は佐伯宿禰氏の香積(こうしやく)寺(佐伯院)を移建して聖宝に寄せ,三論の復興を計った。南大門の東方に位置したため東南院と称したという。1071年(延久3)の宣旨により,院主は三論宗の長者を兼ね,元興(がんごう)寺,大安寺などの三論宗を吸収して三論宗の本所となり,華厳宗の尊勝院とともに公卿・法親王が入寺し,東大寺はもちろん南都仏教界に重きをなした。1088年(寛治2)白河上皇が高野山参詣の途次に宿泊して以降,しばしば天皇,上皇などの御所となり,南都御所とも称せられた。1567年(永禄10)の兵火に類焼して以後,一時荒廃したため,1702年(元禄15)公慶上人が再興し,1763年(宝暦13)に再度宸殿などを修復した。東南院文書は1872年に献納,正倉院に収蔵されている。
執筆者:堀池 春峰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… 平安時代になると855年(斉衡2)5月の地震で大仏の頭部が墜落し,861年(貞観3)3月に修理完成して開眼供養が行われ,917年(延喜17)12月には僧坊,講堂が焼失し,講堂は935年(承平5)5月に再建,934年10月には西塔および回廊が雷火で焼けた。一方,821年(弘仁12)2月には灌頂道場として空海が真言院を創設したのをはじめ,聖宝による三論・真言兼学の東南院,光智による華厳・真言兼学の尊勝院や念仏院,良弁堂,知足院なども創建された。1180年(治承4)12月平重衡の兵火で奈良時代以降の諸堂,坊舎などはほとんど類焼し,重源(ちようげん),栄西,行勇など造東大寺大勧進上人によって復興が続けられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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