大阪府のほぼ中央部にあり、大阪市の東に隣接する市。1967年(昭和42)商工業地域の布施(ふせ)、農業地域の河内(かわち)、住宅地域の枚岡(ひらおか)の3市が合併して広域都市を形成した。2005年(平成17)中核市となる。JR片町線・おおさか東線、近畿日本鉄道奈良線・大阪線・けいはんな線、地下鉄(大阪市高速電気軌道)中央線、近畿自動車道、阪神高速道路、国道170号、308号などが通じる。市域の西半分は旧大和(やまと)川流域の低湿地で、深野(ふこの)池や新開(しんかい)池があったが、1704年(宝永1)大和川付け替えにより、新田として開発され、鴻池新田(こうのいけしんでん)、深野新田となった。東部は、生駒(いこま)山地西麓(ろく)の扇状地で、日下貝塚(くさかかいづか)(国の史跡)、山畑古墳群(やまはたこふんぐん)などの遺跡や瓢箪山稲荷(ひょうたんやまいなり)神社、石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)、枚岡神社などの古社がある。大正期になって現在の近畿日本鉄道奈良線や大阪線が通じてから大阪市の影響を強く受け、撚糸(ねんし)、ゴム、セルロイドなどの零細企業のほか、車両、ミシン、伸線、電気器具などの中規模工業が発達した。第二次世界大戦後、大阪中央環状線や大阪外環状線が開通し、東大阪流通センターが設けられ、トラックターミナルをはじめ、ビル・倉庫群が次々と建てられ、大阪市内の金物、被服、眼鏡、紙文具などの卸企業が集団移転し、企業団地をつくっている。鴻池新田会所跡は国の史跡に指定され、国指定重要文化財の建物は1997年(平成9)より一般公開されている。大学は近畿大学、大阪商業大学など。1996年には府立中央図書館が開館した。ラグビー専用グラウンド「東大阪市花園ラグビー場(ひがしおおさかしはなぞのらぐびーじょう)」がある。面積61.78平方キロメートル、人口49万3940(2020)。
[安井 司]
『『東大阪市史』全4冊(1973~1997・東大阪市)』
大阪府東部,大阪市の東に隣接する市。1967年布施市(1937市制),河内(かわち)市(1955市制),枚岡(ひらおか)市(1955市制)が合体,改称。人口50万9533(2010)。大阪~奈良間の最短コースとして知られた暗越(くらがりごえ)奈良街道と東高野街道の交点にあたり,古くから交通の要衝であった。西部の布施,中部の河内は旧大和川が北流して淀川に合流していたため,低湿地が多かったが,1704年(宝永1)大和川の付替工事によって新田開発が進み,綿作が盛んになった。明治中期以降は,綿に代わって野菜,花卉が栽培された。1914年に大阪電気軌道(現,近鉄)奈良線が,24年に同大阪線が開通して以後,大阪市寄りの布施を中心に商工業が発達し,都市化が始まった。一方,東部の枚岡では生駒山麓の渓谷で近世以降水車を利用して胡粉(ごふん)製造,搾油,石加工などが行われた。また古くからの伸線工業(鉄線,針金など)は,現在は電力を使用し,全国的に高いシェアをもっている。そのほか,撚糸,鋳物,作業工具などの地場産業に加え,1930年代ころから金属,機械,化学を中心とした工場も増加している。中央環状線,外環状線,築港枚岡線,近畿自動車道などの道路が市域を通るため,近年,沿線にトラックターミナル,倉庫,卸売施設をもつ東大阪流通センターが造成され,機械卸業団地,紙・文具流通センターなどがセンター内に立地した。
市域には縄文時代の日下貝塚,弥生時代の瓜生堂(うりゆうどう)遺跡,ほとんどが円墳からなる山畑古墳群などがあり,南北に走る東高野街道沿いには条里制の地割りがみられる。また河内国一宮の枚岡神社や式内社の石切剣箭(いしきりつるぎや)神社があり,市内から出土した遺物を展示する市立郷土博物館もある。
執筆者:秋山 道雄
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