松前重義(読み)マツマエシゲヨシ

デジタル大辞泉 「松前重義」の意味・読み・例文・類語

まつまえ‐しげよし〔まつまへ‐〕【松前重義】

[1901~1991]教育者・政治家熊本の生まれ。逓信省で工学者として活躍。昭和18年(1943)航空科学専門学校(東海大学前身)を創設。戦後は衆議院議員として科学技術政策などに取り組んだ。国際柔道連盟IJF)を組織して柔道の国際化に尽力。首都大学野球連盟を設立するなど、野球の発展にも貢献した。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松前重義」の解説

松前 重義
マツマエ シゲヨシ*


肩書
元・衆院議員(社会党),東海大学総長・理事長,国際武道大学学長

生年月日
明治34年10月24日

出生地
熊本県上益城郡嘉島町

学歴
東北帝国大学工学部電気工学科〔大正14年〕卒

学位
工学博士

経歴
逓信省に入る。昭和7年篠原登とともに電話通信における無装荷ケーブル方式を発明、遠距離通話の改良に貢献した。11年青年道場・望星学塾設立。15年大政翼賛会総務部部長、16年逓信省工務局長。18年航空科学専門学校(東海大学の前身)を設立。19年当時の東条内閣批判したことから、二等兵として異例の召集を受け、翌20年奇跡的に生還。終戦直後、逓信省総裁に就任したが公職追放を受け退官。27年熊本1区より衆院議員に当選、以後当選6回。原子力基本法の成立に努力し、原子力平和利用レールを敷いた。42年以来東海大学総長。他にソ連東欧との交流のための日本対外文化協会会長、日本武道館会長、国際柔道連盟会長、世界連邦建設同盟会長など幅広く活躍。平成元年東海大と提携関係にあるモスクワ大学に野球スタジアムを寄贈する。「松前重義著作集」(全10巻)がある。

所属団体
電気通信協会 日本対外文化協会(会長)

受賞
浅野賞〔昭和10年〕 電子通信学会功績賞(第3回・昭13年度) 毎日通信賞(第1回)〔昭和14年〕「無装荷ケーブル搬送通信方法の完成」 勲一等瑞宝章〔昭和46年〕,ソ連諸民族友好勲章〔昭和53年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕,東ドイツ民族友好ゴールドスター章〔昭和63年〕,モスクワ大学名誉博士号,マスコミ功労者顕彰(放送功労者部門)〔平成8年〕

趣味
読書 柔道(6段)

没年月日
平成3年8月25日

家族
長男=松前 達郎(参院議員) 二男=松前 紀男(東海大学長) 三男=松前 仰(衆院議員)

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20世紀日本人名事典 「松前重義」の解説

松前 重義
マツマエ シゲヨシ

昭和期の教育家,政治家,電気通信工学者 東海大学総長・理事長;国際武道大学学長;元・衆院議員(社会党)。



生年
明治34(1901)年10月24日

没年
平成3(1991)年8月25日

出生地
熊本県上益城郡嘉島町

学歴〔年〕
東北帝国大学工学部電気工学科〔大正14年〕卒

学位〔年〕
工学博士

主な受賞名〔年〕
浅野賞〔昭和10年〕,電子通信学会功績賞(第3回・昭13年度),毎日通信賞(第1回)〔昭和14年〕「無装荷ケーブル搬送通信方法の完成」,勲一等瑞宝章〔昭和46年〕,ソ連諸民族友好勲章〔昭和53年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕,東ドイツ民族友好ゴールドスター章〔昭和63年〕,モスクワ大学名誉博士号,マスコミ功労者顕彰(放送功労者部門)〔平成8年〕

経歴
逓信省に入る。昭和7年篠原登とともに電話通信における無装荷ケーブル方式を発明、遠距離通話の改良に貢献した。11年青年道場・望星学塾設立。15年大政翼賛会総務部部長、16年逓信省工務局長。18年航空科学専門学校(東海大学の前身)を設立。19年当時の東条内閣を批判したことから、二等兵として異例の召集を受け、翌20年奇跡的に生還。終戦直後、逓信省総裁に就任したが公職追放を受け退官。27年熊本1区より衆院議員に当選、以後当選6回。原子力基本法の成立に努力し、原子力平和利用のレールを敷いた。42年以来東海大学総長。他にソ連・東欧との交流のための日本対外文化協会会長、日本武道館会長、国際柔道連盟会長、世界連邦建設同盟会長など幅広く活躍。平成元年東海大と提携関係にあるモスクワ大学に野球スタジアムを寄贈する。「松前重義著作集」(全10巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松前重義」の意味・わかりやすい解説

松前重義
まつまえしげよし
(1901―1991)

電気工学者。熊本県嘉島(かしま)町に生まれる。1925年(大正14)東北帝国大学電気工学科を卒業して逓信(ていしん)省に入る。当時逓信省工務局では東京―名古屋間の電話回線に、ピューピンが発明した装荷ケーブルをアメリカのウェスタン・エレクトリック社(現、アルカテル・ルーセント)より輸入し敷設したが、これには多額の特許権料が必要であった。松前は日朝直通電話回線に取り組むなかで、信号電流の減衰を増幅器で、漏話をケーブル構造で除くことを考え、篠原登(しのはらのぼる)(1904―1984)とともに1932年(昭和7)無装荷ケーブル方式を発明し、1937年には東京―奉天(現在の瀋陽(しんよう))間約2700キロメートルの無装荷ケーブル回線が実現した。この無装荷ケーブル方式は日本だけでなく広く国外でも採用され、多重通信に進歩をもたらした。太平洋戦争中、時の総理大臣東条英機(ひでき)の政策に反対し、一兵卒として召集された。1945年(昭和20)逓信院総裁、1952年より6回にわたり衆議院議員に当選。東海大学総長を務めた。

[田中國昭]

『『松前重義著作集1~3』(1976~1977・東海大学出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松前重義」の意味・わかりやすい解説

松前重義
まつまえしげよし

[生]1901.10.24. 熊本
[没]1991.8.25. 東京
技術者,政治家,東海大学創立者。電信電話の無装荷ケーブル搬送方式の発明者。東北大学を卒業,逓信省に入る。 1941年,大政翼賛会総務部長。 1944年東条英機首相を批判,2等兵召集の報復を受けた。 1945年逓信院総裁。公職追放解除後の 1952年衆議院議員に初当選。右派社会党に属し,当選6回。 1969年政界を引退。東海大学の育成に専念。 1976年中道政治勢力の指導を夢み,「新しい日本を考える会」座長となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松前重義」の解説

松前重義 まつまえ-しげよし

1901-1991 昭和時代の電気工学者,政治家。
明治34年10月24日生まれ。逓信省にはいり,篠原登と共同で無装荷ケーブル方式による電話システムを発明。工務局長のとき東条英機首相を批判し,二等兵として前線におくられた。昭和18年航空科学専門学校(現東海大)を創設。20年逓信院総裁。27年衆議院議員(当選6回,社会党)。42年東海大総長。国際柔道連盟会長。平成3年8月25日死去。89歳。熊本県出身。東北帝大卒。
【格言など】若き日に汝の思想を培え……若き日に汝の希望を星につなげ(東海大学「建学訓」)

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367日誕生日大事典 「松前重義」の解説

松前 重義 (まつまえ しげよし)

生年月日:1901年10月24日
昭和時代の電気工学者;政治家。東海大学教授;衆院議員
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松前重義の言及

【電気通信】より

…しかしながら,装荷ケーブル方式は伝送周波数帯域幅が限定され,したがって多重通信方式には適さなかった。そこで再び装荷線輪を取りはずし,多重通信を意図して32年に松前重義により提案された方式が無装荷ケーブル方式であり,これはその後内外における重要電話幹線網に広く採用されることになった。 ラジオやテレビ放送では一つの空間を伝送路とし,搬送周波数をかえて多数のチャンネルを同時に伝送している。…

※「松前重義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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