桂川連理柵
かつらがわれんりのしがらみ
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。2段。菅専助(すがせんすけ)作。1776年(安永5)10月、大坂・北堀江市の側(いちのかわ)芝居初演。京都・桂川で娘と中年男の死体があがったという事件をもとに生まれたお半長右衛門(ちょうえもん)の情話を脚色、浄瑠璃『曽根崎(そねざき)模様』(1761)をはじめ、いくつかの先行作を経てつくられた。
上の巻―帯屋長右衛門は遠州からの帰途、隣家信濃屋(しなのや)の娘お半の一行が伊勢詣(いせまい)りから帰るのと石部の宿で泊まり合わせ、丁稚(でっち)長吉に言い寄られて逃げてきたお半をかくまい、思わず契りを結んでしまう。
下の巻―〔六角堂〕長右衛門の女房お絹は夫とお半の関係を知るが、長吉を買収して口止めをする。〔帯屋〕長右衛門の義母おとせとその連れ子儀兵衛は、お半の一件をかぎつけ、長右衛門を追い出そうとするが、お絹は長吉を使って逆に彼らを懲らしめる。しかし、長右衛門は預りの刀紛失のうえ、懐妊したお半が書置を残して家出するという苦境が重なり、ついに桂川でお半と心中する。分別ざかりの四十男長右衛門と十四の小娘お半の恋愛を中心に、お絹の貞節なども情緒深く描いた「帯屋」が歌舞伎(かぶき)でも多く上演。ときに「六角堂」や、後年の書替え狂言から生まれた道行(みちゆき)浄瑠璃の場面を加えて演じられる。
[松井俊諭]
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桂川連理柵
かつらがわれんりのしがらみ
浄瑠璃。世話物。2巻。菅専助作。安永5 (1776) 年大坂北堀江市の側芝居豊竹此吉座初演。宮薗節『朧の桂川』など先行のお半長右衛門情話を脚色したもの。信濃屋の娘お半は,隣家の帯屋の主人長右衛門と伊勢参りの旅宿で泊り合せたのを縁に契りを結ぶ。長右衛門の貞淑な女房お絹が2人の身を案じるものの,親子ほどに年の違う2人の仲に長右衛門の苦悩は深まるばかり,ついには,長右衛門がさる武家屋敷から預っていた刀を信濃屋のでっちにすりかえられたことやお半の懐妊で進退きわまり,お絹に心を残しつつ,お半と桂川で心中する。特に「帯屋」の段が有名で,歌舞伎でもたびたび上演されている。
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かつらがわれんりのしがらみ かつらがは‥【桂川連理柵】
浄瑠璃。世話物。二段。菅専助作。安永五年(一七七六)大坂北堀江市の側の芝居初演。宝暦一一年(一七六一)京都の桂川に十四、五の娘と五十男の死体が流れついた巷説を脚色。信濃屋の娘お半と隣家の四十男帯屋長右衛門とが伊勢参りの石部の宿での契りから、お半は懐妊、二人は桂川で心中する筋。
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桂川連理柵【かつらがわれんりのしがらみ】
菅専助作の浄瑠璃,またこれに基づく歌舞伎劇。1776年初演。38歳の帯屋長右衛門と14歳の信濃屋の娘お半の情話を描いたもので,長右衛門がお半との恋ゆえに,継母や義弟からいじめられるのを,貞節な女房お絹がかばう〈帯屋〉の場が有名。
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かつらがわれんりのしがらみ〔かつらがはレンリのしがらみ〕【桂川連理柵】
浄瑠璃。世話物。二段。菅専助作。安永5年(1776)大坂北堀江座初演。娘お半と隣家の中年男長右衛門の心中が主題。通称「お半長右衛門」。
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桂川連理柵
かつらがわ れんりのしがらみ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 菅専助
- 補作者
- 並木五兵衛 ほか
- 初演
- 天明4.5(大坂・嵐他人座)
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かつらがわれんりのしがらみ【桂川連理柵】
人形浄瑠璃。世話物。2段。菅専助作。通称《桂川》《お半長右衛門》。1776年(安永5)10月大坂北堀江市の側芝居で初演。1761年(宝暦11)4月12日,38歳の帯屋長右衛門が,大坂へ奉公にいく隣家の14歳になる信濃屋娘お半を伴う途中,桂川で殺された事件が実説のようで,これを戯曲では,心中事件とした。劇化の最初は,61年5月18日の刊記をもつ正本《曾根崎模様》で,お初・徳兵衛の《曾根崎心中》にお半・長右衛門の心中をからませたもの。
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