人形浄瑠璃。世話物。2段。菅専助作。通称《桂川》《お半長右衛門》。1776年(安永5)10月大坂北堀江市の側芝居で初演。1761年(宝暦11)4月12日,38歳の帯屋長右衛門が,大坂へ奉公にいく隣家の14歳になる信濃屋娘お半を伴う途中,桂川で殺された事件が実説のようで,これを戯曲では,心中事件とした。劇化の最初は,61年5月18日の刊記をもつ正本《曾根崎模様》で,お初・徳兵衛の《曾根崎心中》にお半・長右衛門の心中をからませたもの。引き続き,72年(安永1)5月大坂の市山座の切狂言《桂川》あるいは同年7月の大坂豊竹和歌三座の人形浄瑠璃《かつら川》などを経て,本作に至る。分別ざかりの長右衛門は,親子ほども年の違うお半と,ふとしたはずみから石部の宿で契る。お半は伊勢参りの帰りだった。長右衛門は,お半を妻お絹の弟と縁組させようとするが,懐妊しているのでせっぱつまり,お半と桂川で心中する。眼目は下の巻〈帯屋〉で,長右衛門を追い出そうとする継母と義弟の悪計から夫をかばうお絹の貞節,書置を遺して桂川へ向かうお半と,これを追う長右衛門の心情などが細やかに描かれている。歌舞伎に移された最初は,84年(天明4)5月大坂の嵐他人座(中の芝居)。その後も数々の書替狂言が作られ,とくに大切には富本《道行瀬川の仇浪》(1781)をはじめ常磐津《帯文桂川水(おびのあやかつらのかわみず)》,清元《道行思案余(しあんのほか)》など道行浄瑠璃の名作が多く,舞踊劇として後世に残った。
執筆者:佐藤 彰
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。2段。菅専助(すがせんすけ)作。1776年(安永5)10月、大坂・北堀江市の側(いちのかわ)芝居初演。京都・桂川で娘と中年男の死体があがったという事件をもとに生まれたお半長右衛門(ちょうえもん)の情話を脚色、浄瑠璃『曽根崎(そねざき)模様』(1761)をはじめ、いくつかの先行作を経てつくられた。
上の巻―帯屋長右衛門は遠州からの帰途、隣家信濃屋(しなのや)の娘お半の一行が伊勢詣(いせまい)りから帰るのと石部の宿で泊まり合わせ、丁稚(でっち)長吉に言い寄られて逃げてきたお半をかくまい、思わず契りを結んでしまう。
下の巻―〔六角堂〕長右衛門の女房お絹は夫とお半の関係を知るが、長吉を買収して口止めをする。〔帯屋〕長右衛門の義母おとせとその連れ子儀兵衛は、お半の一件をかぎつけ、長右衛門を追い出そうとするが、お絹は長吉を使って逆に彼らを懲らしめる。しかし、長右衛門は預りの刀紛失のうえ、懐妊したお半が書置を残して家出するという苦境が重なり、ついに桂川でお半と心中する。分別ざかりの四十男長右衛門と十四の小娘お半の恋愛を中心に、お絹の貞節なども情緒深く描いた「帯屋」が歌舞伎(かぶき)でも多く上演。ときに「六角堂」や、後年の書替え狂言から生まれた道行(みちゆき)浄瑠璃の場面を加えて演じられる。
[松井俊諭]
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