高等植物の体内で合成される有機化合物で,低濃度で植物の生長,分化およびこれに関連する生理学的過程を調節する物質。通常,生産された部域から移動して,作用すべき部域へ到達して働く。現在,天然に見いだされる植物ホルモンと同じ作用をもつ合成物質が多数知られている。これら合成物質,および微量で植物ホルモン様活性を示す物質ではあっても必ずしも植物界に普遍的でないものをも含めた場合には,植物調節物質plant regulatorという名称が使われる。植物の生長に影響を与える物質という意味に力点を置いた場合には,同義語としてそれぞれ植物生長ホルモンplant growth hormoneおよび植物生長調節物質plant growth regulatorまたは植物生長物質plant growth substanceという言葉が用いられる。植物学の世界でホルモンという言葉が最初に使われたのは1909年のことで,ドイツのフィッティングH.Fittingがランの花粉の抽出物が子房の拡大生長(単為結実)を引き起こすことを見いだし,この抽出物中に作用物質が存在すると考え,ホルモンと名付けた。しかし,現在のオーキシンなどの物質を指すものとして植物ホルモンという言葉が用いられたのは,1937年にウェントF.W.WentとティマンK.V.Thimannが《植物ホルモンPhytohormones》という書物を出版したときに始まる。
現在,植物ホルモンとしてはオーキシン,ジベレリン,サイトカイニン,アブシジン酸,エチレンの5種類が知られている。それぞれの生理作用をまとめると表1のようになる。このほかに花成ホルモンの存在が示唆されているが,物質としてはまだ同定されていない。上記5種類の植物ホルモンのほかに,近年多くの天然の植物調節物質が見いだされている(表2)。ただし,これらの化合物は微生物の生成物で,まだ高等植物自身には見いだされていなかったり,あるいは特定の植物のみに含まれているにすぎないので,植物ホルモンとは認められていない。植物界での分布も広く,かつ植物組織に与えたとき一定の生理作用を示す物質として,トランス-桂皮酸,p-クマル酸,コーヒー酸,クロロゲン酸などのフェニルプロパノイド,およびクマリン類がある。単独では活性を示さないが,ホルモンと共力作用を示す物質として,ジヒドロコニフェリルアルコールがあり,これはジベレリンと共力的に働きレタス芽生え下胚軸の伸長を,インドール酢酸と共力的に働きキュウリ下胚軸切片の伸長を促進する。
植物の生長,分化の調節は,単独のホルモンによって行われるのではなく,幾種類かのホルモンの相互作用によっている場合が多い。また,作用時の相互作用とは別に,高濃度のオーキシンによるエチレン生合成の誘導のように,一つのホルモンが他のホルモンの合成に影響を与える場合もある。外からホルモンを与えたときに起こる変化は,植物の置かれている環境や植物の齢によって異なる。これらの要因によって,当該ホルモンや相互作用するホルモンの組織内の量および当該ホルモンに対する感度が異なり,このことにより外から与えたホルモンの効果が異なって現れることとなる。
植物体内の各ホルモンの量はその合成と分解の速度で決まり,植物体内におけるホルモンの分布はホルモンの移動の調節によって決まるが,これらの過程は光,温度,湿度などの環境要因により大きく影響される。したがって,環境要因→ホルモン→生長・分化という図式で植物の生長・分化の制御が行われている場合が多い。
どのホルモンの研究にも一般に次の三つの段階がある。(1)ある特定の生理学的現象が,何かある特定の微量な物質(のちにホルモンと判定される)によって引き起こされることが確認される。(2)その物質の単離と同定が行われる。(3)その物質がどのような作用機構で,生理学的変化を引き起こすかが調べられる。(1)の判断規準として1959年にジェーコブズW.P.Jacobsが6項目を提案し,これは各項の頭文字をとりPESIGSの法則と呼ばれる。(a)平行関係parallelism その生理学的現象と,その組織中に存在するホルモンの量との間に平行関係があるか。(b)除去excision そのホルモンが組織から取り除かれると,その生理作用も消失するか。(c)置換substitution (b)の組織に対し外からホルモンを与えると,生理作用が再び回復するか。(d)単離isolation 反応にあずかる組織を植物体から切り離した状態でも,もとの状態のときとほぼ同じ反応が起こるか。(e)一般化generalization 上記(a)~(d)の点について違った組織,違った植物でも同じことが認められるか。(f)特異性specificity 他の物質ではなく,問題としているホルモンを与えたとき,初めてその生理作用が現れるか。さきに述べた研究段階(3)は,現在どのホルモンについてもまだ完成されていない。ホルモン分子が最初に行うことがらを知るために,ホルモン受容分子を追い求める研究が現在盛んに行われている。
→植物生長調節剤
執筆者:辻 英夫+前田 靖男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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植物がみずからつくりだし,ほかの部分へ移動し,そこで特殊な生理作用を示す化学物質.きわめて低濃度で作用し,植物の生長(発芽,生育,開花など)を調整する.エテン(果実の成熟促進),オーキシン類(茎の伸長,花芽形成,発根),ジベレリン(茎や葉の伸長),サイトカイニン類,(細胞分裂の促進,芽・葉の生長促進),アブシシン酸(生長抑制,休眠),ジャスモン酸(生長抑制,老化促進)などがある.ジベレリンは種なしブドウの作製や果物の肥大化にも使われている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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