日本歴史地名大系 「榎坂郷」の解説
榎坂郷
えさかごう
- 大阪府:吹田市
- 榎坂郷
千里丘陵の南西端地域、
当郷は寿永二年(一一八三)に摂関家(近衛家)から奈良春日社に寄進された
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
千里丘陵の南西端地域、
当郷は寿永二年(一一八三)に摂関家(近衛家)から奈良春日社に寄進された
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摂津国豊島郡南部(現,大阪府豊中市南部および吹田市西部)に成立した郷。12世紀末の検注帳によると春日社領336町2反余をはじめ,東寺領垂水(たるみ)荘86町3反余,清住寺領46町6反余など十数寺社領を含めて557町3反140歩の耕地から成る。同郷の名は律令制下の豊島郡七ヵ郷の中にはみえないが,淀川支流の神崎川氾濫低湿地と千里山丘陵南端台地を含んでおり,弥生後期以降の住居,水田遺構が発見されているところからみて早くから開発されていたと考えられる。9世紀以降同郷内の布施内親王墾田がまず東寺に寄進されて垂水荘を称し,また位田・職田および木工寮田などの諸司寮田が公田の中に設定され,その他清住寺領などもその間に介在した。12世紀に摂関家の垂水西牧が私領化する中で,この地域の穂積,小曾禰,榎坂,垂水の4ヵ村が一括して榎坂郷とよばれ,諸寺社領を除く公田部分が摂関家より春日社に寄進された。以後同社社家の支配下におかれ,神供料所として,16世紀に摂津国人衆の一人である池田氏に押領されるまで続いた。
執筆者:島田 次郎
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※「榎坂郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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