デジタル大辞泉
「横井也有」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
よこい‐やゆう【横井也有】
- 江戸中期の文人・俳人。名は時般(ときつら)。別号野有、知雨亭、蘿隠など。尾張藩の御用人となり、大番頭・寺社奉行などを兼ねたが、五三歳で致仕し知雨亭に隠棲、風雅な余生を送った。武道、詩歌、狂歌、書画、謡曲などにすぐれ、多芸多能の人。著「蘿葉集」「垤集(ありづかしゅう)」「鶉衣(うずらごろも)」「蘿隠編」「行々子」など。元祿一五~天明三年(一七〇二‐八三)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
横井也有
没年:天明3.6.16(1783.7.15)
生年:元禄15.9.4(1702.10.24)
江戸中期の俳人。通称,孫右衛門。別号に野又,野有,暮水(和歌名),蘿隠(漢詩名),螻丸(狂歌名)など。名古屋の人。時衡と久留女の子。横井家は尾張(名古屋)藩の名門。也有26歳の折に父が他界し,家督知行1000石を継承して普請組寄合となる。3年後には御用人となり,40歳で大番頭兼御用人となる。のちに寺社奉行も兼務した。多趣味多芸で,平家琵琶,謡曲,書画,詩歌,狂歌にも通暁していた。さらに武道にも精通しており,謙信流の兵法にまでおよんでいた。俳諧は祖父が太田巴静の父貞静と同じ季吟門であった関係上,祖父の指導を得てさらに巴静と交流していった。基本的に15歳で自学自習をはじめて,一家言を持つに至った人である。仕官の時代から暇さえあれば,句作や文章執筆に専念したが,職務には忠実で,勤めと趣味の区別は厳然としていた。53歳の折に致仕して,気の合った下男の石原文樵とふたりきりの知雨亭で,悠々自適の生活を送った。 宝暦から明和にかけて,也有の名は全国に響くようになり,江戸の大島蓼太,越前三国の遊女歌川,甲斐の上矢敲氷らが来訪。一方,『去来問答評』では森川許六を批判し,『こだま草』で涼袋(建部綾足)批判におよぶなど,指導的役割も果たした。也有の俳諧活動は,必ずしも俳壇動向に敏感に反応するようなものではなかったが,同郷の加藤暁台を庇護支援することによって,中興期復古運動に参加した。その作品は,平明かつ軽妙である。著述は多く,『羅葉集』『管見草』『美南無寿比』『的なし』などの俳諧関係書や漢詩文集『蘿隠編』,そして狂歌集『行々子』などもある。しかし,俳諧史に輝く俳文集『鶉衣』の存在こそ,也有の真骨頂を示すものといえる。蕉風流の俳文と異なり,軽妙な俳趣にとむ点を特徴としている。<参考文献>石田元季「横井也有の研究」(『俳文学論考』),野田千平「横井也有全集・上 解説」
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
横井也有
よこいやゆう
[生]元禄15(1702).9.4. 名古屋
[没]天明3(1783).6.16. 名古屋
江戸時代中期の俳人。通称,孫右衛門。名,時般 (ときつら) 。字,伯懐。別号,野有,永言斎,知雨亭,半掃庵,蘿隠など。尾張藩士で,側用人,大番頭,寺社奉行などをつとめた。宝暦4 (1754) 年致仕,以後 30年間風流三昧の生活をおくった。俳諧は祖父時英 (野双) ,父時衡 (一水) の感化を受け,各務支考に私淑し,美濃派の武藤巴雀,太田巴静の点をも受けた。作風は平明洒脱,特に『鶉衣 (うずらごろも) 』に代表される軽妙な俳文は有名。俳諧のほか武道,詩歌,狂歌,書画,謡曲,平曲などをよくした。編著『野夫 (やふ) 談』 (62) ,『蘿葉集』 (67) ,『垤 (ありづか) 集』 (70) など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
横井也有 よこい-やゆう
1702-1783 江戸時代中期の俳人。
元禄(げんろく)15年9月4日生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。藩用人などをつとめる。俳諧(はいかい)を美濃派の太田巴静(はじょう)らにまなぶ。俳文「鶉衣(うずらごろも)」は有名。狂歌,和歌,書画,平家琵琶(びわ),謡曲,武道などにもすぐれた。53歳で隠退,知雨亭に石原文樵(ぶんしょう)とともにくらした。天明3年6月16日死去。82歳。名は時般(ときつら)。通称は孫右衛門。別号に半掃庵,蘿隠など。連句集に「蘿葉集」,漢詩文に「蘿隠編」,狂歌集に「行々子」。
【格言など】老はわするべし。又老は忘るべからず(「鶉衣」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
横井也有
よこいやゆう
1702〜83
江戸中期の俳人
通称孫右衛門。名は時般 (ときつら) 。永言斎・知雨亭 (ちうてい) などの別号がある。尾張(愛知県)藩士の出身。俳諧は各務支考 (かがみしこう) に私淑した。多才で詩歌・書画にも巧みで,特に俳文にすぐれ,『鶉衣 (うずらごろも) 』は有名。ほかに句集『蘿葉 (らよう) 集』『垤 (ありづか) 集』,俳論『管見草 (くだみそう) 』など。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
横井也有 (よこいやゆう)
生年月日:1702年9月4日
江戸時代中期の俳人
1783年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の横井也有の言及
【也有】より
…江戸中期の俳人。姓は横井,名は時般(ときつら)。通称は孫右衛門。初号は素分,野有。別号は蓼花巷(りようかこう),知雨亭,半掃庵,蘿隠(らいん)など。名古屋の生れ。横井家は代々尾張徳川家に仕え,也有も御用人となり,大番頭,寺社奉行などを兼ねた。1754年(宝暦4)53歳のとき勤めを退いて隠居し,風流に遊んだ。俳諧は祖父や父の感化によるもので,[美濃派]の巴雀,巴静に点を請うたこともある。狂歌,書画,謡曲などをもよくする多才な趣味人であった。…
※「横井也有」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」