日本歴史地名大系 「檜枝岐村」の解説
檜枝岐村
ひのえまたむら
蒲生領高目録によると高六八石余。慶長二年(一五九七)の前掲高物成帳でも同高で、免の記載はないが物成九石一斗。正保二年(一六四五)の年貢割付状写(福島県史)では高一三一石余、免一ツ四分で年貢は金納。寛文五年(一六六五)の伊南郷村々改帳(馬場家文書)でも同高で免一ツ八分、畑のみで二四町八反余。本村の家数三二・竈数五二、男一四二・女一一八、馬三。滝沢の家数六・竈数六、男一〇・女一三。小役として糠藁役・綿役・布役・川役・山役が課された。産業として養蚕(産高金二両ほど)・麻(同二両ほど)・瀑布織(同一〇両ほど)・曾木(同六六両ほど)があった。
檜枝岐村
ひのえまたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報