小説家、児童文学者。明治15年9月29日、広島市に生まれる。1904年(明治37)東京帝国大学英文科入学。病気で休学するが、その保養のために渡った瀬戸内海の能美(のうみ)島での見聞に空想を織り交ぜて綴(つづ)った小説『千鳥』(1906)が夏目漱石(そうせき)に激賞され、これを処女作として作家的出発をした。漱石門下として短編集『千代紙』(1907)を発表、1908年大学卒業後は中学の教師をしながら創作を続け、『黒髪』(1909)、『小鳥の巣』(1910)、『桑の実』『櫛(くし)』(ともに1913)など、哀愁に彩られたロマンチシズムを本領としている。しかし現実をリアルに描くことを旨とする自然主義全盛時代にあってしだいに寡作となり、ついにはロマンチシズムをその本質とする児童文学に転向するに至った。
1918年(大正7)7月、自ら主宰して児童雑誌『赤い鳥』を創刊。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、有島武郎(たけお)、島崎藤村(とうそん)、北原白秋(はくしゅう)ら文壇作家の応援を受け、小川未明(みめい)、坪田譲治、新美南吉(にいみなんきち)らの童話作家を育て、戯作(げさく)的色彩の濃かった明治時代のお伽噺(とぎばなし)を、近代的な児童文学に高める役割を果たした。彼は『赤い鳥』誌上に、外国の童話や小説を子供にふさわしいように書き直した再話を精力的に発表したが、とくに『古事記物語』(1919~20)と『ルミイ』(家なき子)(1932~36)が優れている。なお、同誌を通じて子供の綴方(つづりかた)の指導を行ったが、その著『綴方読本』(1935)は現代綴方運動の基点としての役割を果たした。昭和11年6月27日没。
[上笙一郎]
『『鈴木三重吉全集』六巻・別巻一(再刊・1982・岩波書店)』▽『『鈴木三重吉童話全集』九巻・別巻一(1975・文泉堂書店)』▽『『古事記物語』(角川文庫・春陽堂少年少女文庫)』▽『根本正義著『鈴木三重吉と「赤い鳥」』(1973・鳩の森書房)』▽『鈴木三重吉赤い鳥の会編・刊『鈴木三重吉』(1975)』
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明治・大正期の児童文学者,小説家
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小説家,童話作家。広島市生れ。少年時に母を失う。1908年東大英文科卒業。成田中学,海城中学の教師を務めた。東大在学中から夏目漱石に私淑。神経衰弱のため休学し,瀬戸内海の能美島で保養,その生活より着想した《千鳥》(1906)を漱石の推薦で《ホトトギス》に発表,作家として踏みだした。上京して漱石宅に親しく出入りするようになり,木曜会を提案。07年《千代紙》を刊行。〈一人の女性〉の追憶と憧憬に生きる心情を描く,暗く沈んだロマン性が注目をひいた。その後発表した長編《小鳥の巣》(1910),《桑の実》(1913)などでやや写実性を増したが,やがて童話への関心を強め,《世界童話集》21巻(1917-26)を企画刊行し,18年〈芸術として真価ある〉童話と童謡および児童劇の創作を活発にする目的で《赤い鳥》を創刊,主宰し,大正から昭和にかけて児童文化の振興に貢献した。自身の童話集に《湖水の女》(1916)がある。
執筆者:遠藤 祐
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(佐藤宗子)
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1882.9.29~1936.6.27
明治・大正期の小説家・童話作家。広島県出身。東大卒。神経衰弱のため東大休学中の1906年(明治39)に書いた「千鳥」が夏目漱石に絶賛され文壇にデビュー。写生文を得意とし,母性思慕をテーマとした小説を残す。代表作「山彦」「小鳥の巣」「桑の実」。その後童話作家に転じ,18年(大正7)に雑誌「赤い鳥」を創刊,童話・童謡・綴り方・詩・自由画などの児童文化運動の旗手として活躍。
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…小川未明の第1童話集《赤い船》(1910)は,日本の児童文学に近代的文学精神と文芸形態をもたらしたさきがけである。未明と同じくネオ・ロマンティシズムに立つ鈴木三重吉も,世界童話の芸術的再話によって小波の世界おとぎ話の移植に対決した。三重吉が主宰する雑誌《赤い鳥》(1918創刊)は,新しい童話・童謡の創作をうながす文学運動のよりどころとなった。…
… 生活綴方は,はじめ地方農山漁村の公立小学校の教室とその校区青年会で始まったが,学校では国定教科書のなかった国語科綴方(作文)の時間を使って主におこなわれた。その原型を打ち出した一人である小砂丘(ささおか)忠義は高知県の山村の小学校での実践をへて,1930年から《綴方生活》を編集,全国的な運動の契機をつくったが,その伏線として芦田恵之助の随意選題綴方の主張や鈴木三重吉の《赤い鳥》(1918創刊)による綴方のリアリズムの運動があった。農村の疲弊が進むなかで,東北地方では秋田の青年教師たちを中心に《北方教育》(1930)が創刊され,社会科学的な観点から生活を把握する眼を綴方を通して育てようとする〈北方性教育運動〉が展開された。…
…これらは,従来のわらべうたと区別するため創作童謡,芸術童謡などともいわれ,またわらべうたの方を伝承童謡とよんでいた。 1918年に鈴木三重吉らによって創刊された児童雑誌《赤い鳥》を基盤に展開された〈赤い鳥〉の運動は,泉鏡花,小山内薫,芥川竜之介,北原白秋,島崎藤村ら当時を代表する文学者の参加を得て児童文学の運動として始まった。北原白秋がおもに詩を担当し,わらべうたのスタイルを踏襲した韻を踏んだリズミカルな詩をのせた。…
※「鈴木三重吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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