鈴木三重吉(読み)スズキミエキチ

デジタル大辞泉 「鈴木三重吉」の意味・読み・例文・類語

すずき‐みえきち〔‐みへキチ〕【鈴木三重吉】

[1882~1936]小説家・童話作家。広島の生まれ。夏目漱石の門下。短編「千鳥」で認められ、大正7年(1918)児童雑誌赤い鳥」を創刊、児童文学の発展に尽力。小説「小鳥の巣」「桑の実」など。

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精選版 日本国語大辞典 「鈴木三重吉」の意味・読み・例文・類語

すずき‐みえきち【鈴木三重吉】

  1. 小説家、童話作家。広島県出身。東京帝国大学英文科卒。夏目漱石の門下。在学中、「千鳥」で文壇に登場。大正期にはいり童話集「湖水の女」を発表、大正七年(一九一八)「赤い鳥」を創刊、児童文学の世界に大きな功績を残した。著に「山彦」「小鳥の巣」「桑の実」など。明治一五~昭和一一年(一八八二‐一九三六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木三重吉」の意味・わかりやすい解説

鈴木三重吉
すずきみえきち
(1882―1936)

小説家、児童文学者。明治15年9月29日、広島市に生まれる。1904年(明治37)東京帝国大学英文科入学。病気で休学するが、その保養のために渡った瀬戸内海能美(のうみ)島での見聞に空想を織り交ぜて綴(つづ)った小説『千鳥』(1906)が夏目漱石(そうせき)に激賞され、これを処女作として作家的出発をした。漱石門下として短編集『千代紙』(1907)を発表、1908年大学卒業後は中学の教師をしながら創作を続け、『黒髪』(1909)、『小鳥の巣』(1910)、『桑の実』『櫛(くし)』(ともに1913)など、哀愁に彩られたロマンチシズム本領としている。しかし現実をリアルに描くことを旨とする自然主義全盛時代にあってしだいに寡作となり、ついにはロマンチシズムをその本質とする児童文学に転向するに至った。

 1918年(大正7)7月、自ら主宰して児童雑誌『赤い鳥』を創刊。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、有島武郎(たけお)、島崎藤村(とうそん)、北原白秋(はくしゅう)ら文壇作家の応援を受け、小川未明(みめい)、坪田譲治新美南吉(にいみなんきち)らの童話作家を育て、戯作(げさく)的色彩の濃かった明治時代のお伽噺(とぎばなし)を、近代的な児童文学に高める役割を果たした。彼は『赤い鳥』誌上に、外国の童話や小説を子供にふさわしいように書き直した再話を精力的に発表したが、とくに『古事記物語』(1919~20)と『ルミイ』(家なき子)(1932~36)が優れている。なお、同誌を通じて子供の綴方(つづりかた)の指導を行ったが、その著『綴方読本』(1935)は現代綴方運動の基点としての役割を果たした。昭和11年6月27日没。

上笙一郎

『『鈴木三重吉全集』六巻・別巻一(再刊・1982・岩波書店)』『『鈴木三重吉童話全集』九巻・別巻一(1975・文泉堂書店)』『『古事記物語』(角川文庫・春陽堂少年少女文庫)』『根本正義著『鈴木三重吉と「赤い鳥」』(1973・鳩の森書房)』『鈴木三重吉赤い鳥の会編・刊『鈴木三重吉』(1975)』


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百科事典マイペディア 「鈴木三重吉」の意味・わかりやすい解説

鈴木三重吉【すずきみえきち】

小説家,童話作家。広島市生れ。東大英文科卒。夏目漱石に師事,短編小説《千鳥》を《ホトトギス》に発表,作家としてデビューした。その後も浪漫的・抒情的な作品を書き注目を受けたが,しだいに童話への関心を深め1916年童話集《湖水の女》を出し,1918年児童雑誌《赤い鳥》を創刊,童話,童謡を芸術として深化向上させ,児童文学史上に大きな功績を残した。
→関連項目小島政二郎作文教育写生文新教育運動生活綴方新美南吉

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20世紀日本人名事典 「鈴木三重吉」の解説

鈴木 三重吉
スズキ ミエキチ

明治・大正期の児童文学者,小説家



生年
明治15(1882)年9月29日

没年
昭和11(1936)年6月27日

出生地
広島県広島市猿楽町(現・紙屋町)

学歴〔年〕
東京帝大英文科〔明治41年〕卒

経歴
明治39年夏目漱石の推薦で短編小説「千鳥」を発表し、40年短編集「千代紙」を刊行。41年大学卒業後の10月に成田中学の教頭となり、44年まで勤務。その間「山彦」「お三津さん」「文鳥」などを発表する。その後も長編小説「小鳥の巣」「桑の実」など多くの作品を発表するが、大正5年童話集「湖水の女」刊行後、童話を多く発表。6〜7年中央大学講師。7年初の童話・童謡誌「赤い鳥」を創刊し、作家・画家・作曲家ら多くの執筆陣の協力を得てその編集に専念、自らは「古事記物語」などの再話・翻案を掲載した。「赤い鳥」は全国に自由画運動・綴方運動を普及させる一方、坪田譲二・与田準一ら多くの児童文学者を育てた。また「世界童話集」「日本児童文庫」「小学生全集」の編集も手がけた。「鈴木三重吉全集」(全6巻 岩波書店)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「鈴木三重吉」の意味・わかりやすい解説

鈴木三重吉 (すずきみえきち)
生没年:1882-1936(明治15-昭和11)

小説家,童話作家。広島市生れ。少年時に母を失う。1908年東大英文科卒業。成田中学,海城中学の教師を務めた。東大在学中から夏目漱石に私淑。神経衰弱のため休学し,瀬戸内海の能美島で保養,その生活より着想した《千鳥》(1906)を漱石の推薦で《ホトトギス》に発表,作家として踏みだした。上京して漱石宅に親しく出入りするようになり,木曜会を提案。07年《千代紙》を刊行。〈一人の女性〉の追憶と憧憬に生きる心情を描く,暗く沈んだロマン性が注目をひいた。その後発表した長編《小鳥の巣》(1910),《桑の実》(1913)などでやや写実性を増したが,やがて童話への関心を強め,《世界童話集》21巻(1917-26)を企画刊行し,18年〈芸術として真価ある〉童話と童謡および児童劇の創作を活発にする目的で《赤い鳥》を創刊,主宰し,大正から昭和にかけて児童文化の振興に貢献した。自身の童話集に《湖水の女》(1916)がある。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「鈴木三重吉」の解説

鈴木三重吉

没年:昭和11.6.27(1936)
生年:明治15.9.29(1882)
近代の小説家,児童文学者。広島県生まれ。東京帝国大学英文科在学中に神経衰弱から休学。その間に執筆した「千鳥」が夏目漱石に認められ,明治39(1906)年『ホトトギス』掲載となる。卒業後も教師をしながら創作活動を続け,「小鳥の巣」「桑の実」などを発表した。しかし大正4(1915)年をもって自身の小説創作に見切りをつけ,以降は筆を絶ち,出版企画にも手をそめる。同7年7月,画期的な児童雑誌『赤い鳥』を創刊,1度だけ2年近い休刊をはさみはしたが亡くなるまで月刊で刊行。新しい童話,童謡の提供,新人作家の育成,児童の綴方,自由詩など表現活動の推進に大きな功績を残した。自身の創作童話は1編のみで,「古事記物語」はじめ専ら外国作品や古典の再話に取り組んだ。小説家であったころから推敲癖が特に強く,『赤い鳥』主宰後は他の作家の文章をも入念に手直ししたりしたという。<著作>『鈴木三重吉全集』(全7巻),『鈴木三重吉童話全集』(全10巻)

(佐藤宗子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木三重吉」の意味・わかりやすい解説

鈴木三重吉
すずきみえきち

[生]1882.9.29. 広島
[没]1936.6.27. 東京
小説家,児童文学者。第三高等学校を経て 1908年東京大学英文科卒業。病気休学中に小説『千鳥』 (1906) を書いて夏目漱石に推賞され,その門下に列して『山彦』 (07) ,『お三津さん』 (07) で文壇に進出,繊細な感覚と豊かな抒情性に特色を示し,後期浪漫主義の有力作家と目された。しかし『瓦』 (11) ,『桑の実』 (13) などの長編発表後は,童話集『湖水の女』 (16) ,『世界童話集』 (17~26) などを書いて児童文学に転じ,18年には児童文芸雑誌『赤い鳥』を創刊,後半生を同誌のために捧げ,翻訳,再話ならびに編集,新作家の発掘に努めた。『赤い鳥』編集を通じての児童文化への貢献は多大である。ほかに小説『八の馬鹿』 (15) ,再話『古事記物語』 (20) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木三重吉」の解説

鈴木三重吉 すずき-みえきち

1882-1936 明治-昭和時代前期の小説家,児童文学者。
明治15年9月29日生まれ。夏目漱石に師事。小説「千鳥」「桑の実」を発表。大正7年「赤い鳥」を創刊し,芸術性ゆたかな童話・童謡の創作を提唱。坪田譲治,新美南吉(にいみ-なんきち)らの童話作家をそだてた。昭和11年6月27日死去。55歳。広島県出身。東京帝大卒。童話集に「世界童話集」。
【格言など】生きたいというのは寂寥と悪闘しようとする執着でなければならない(「小鳥の巣」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鈴木三重吉」の解説

鈴木三重吉
すずきみえきち

1882.9.29~1936.6.27

明治・大正期の小説家・童話作家。広島県出身。東大卒。神経衰弱のため東大休学中の1906年(明治39)に書いた「千鳥」が夏目漱石に絶賛され文壇にデビュー。写生文を得意とし,母性思慕をテーマとした小説を残す。代表作「山彦」「小鳥の巣」「桑の実」。その後童話作家に転じ,18年(大正7)に雑誌「赤い鳥」を創刊,童話・童謡・綴り方・詩・自由画などの児童文化運動の旗手として活躍。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鈴木三重吉」の解説

鈴木三重吉
すずきみえきち

1882〜1936
明治〜昭和初期の小説家
広島県の生まれ。東大卒。夏目漱石に師事し,叙情的・唯美的な作品を発表。のち童話作家に転じ,雑誌『赤い鳥』を創刊,児童文学に貢献した。代表作に『千鳥』『桑の実』など。

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367日誕生日大事典 「鈴木三重吉」の解説

鈴木 三重吉 (すずき みえきち)

生年月日:1882年9月29日
明治時代;大正時代の小説家;童話作家
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鈴木三重吉の言及

【赤い鳥】より

鈴木三重吉によって主宰された児童文芸雑誌。1918年7月創刊から29年3月までと,31年1月から36年10月の〈三重吉追悼号〉までの前後期を通じて合計196冊発行。…

【児童文学】より

…小川未明の第1童話集《赤い船》(1910)は,日本の児童文学に近代的文学精神と文芸形態をもたらしたさきがけである。未明と同じくネオ・ロマンティシズムに立つ鈴木三重吉も,世界童話の芸術的再話によって小波の世界おとぎ話の移植に対決した。三重吉が主宰する雑誌《赤い鳥》(1918創刊)は,新しい童話・童謡の創作をうながす文学運動のよりどころとなった。…

【生活綴方】より

… 生活綴方は,はじめ地方農山漁村の公立小学校の教室とその校区青年会で始まったが,学校では国定教科書のなかった国語科綴方(作文)の時間を使って主におこなわれた。その原型を打ち出した一人である小砂丘(ささおか)忠義は高知県の山村の小学校での実践をへて,1930年から《綴方生活》を編集,全国的な運動の契機をつくったが,その伏線として芦田恵之助の随意選題綴方の主張や鈴木三重吉の《赤い鳥》(1918創刊)による綴方のリアリズムの運動があった。農村の疲弊が進むなかで,東北地方では秋田の青年教師たちを中心に《北方教育》(1930)が創刊され,社会科学的な観点から生活を把握する眼を綴方を通して育てようとする〈北方性教育運動〉が展開された。…

【童謡】より

…これらは,従来のわらべうたと区別するため創作童謡,芸術童謡などともいわれ,またわらべうたの方を伝承童謡とよんでいた。 1918年に鈴木三重吉らによって創刊された児童雑誌《赤い鳥》を基盤に展開された〈赤い鳥〉の運動は,泉鏡花,小山内薫,芥川竜之介,北原白秋,島崎藤村ら当時を代表する文学者の参加を得て児童文学の運動として始まった。北原白秋がおもに詩を担当し,わらべうたのスタイルを踏襲した韻を踏んだリズミカルな詩をのせた。…

※「鈴木三重吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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