池坊専好(読み)イケノボウセンコウ

デジタル大辞泉 「池坊専好」の意味・読み・例文・類語

いけのぼう‐せんこう〔いけのバウセンカウ〕【池坊専好】

(初世)[1540ころ~1620ころ]立花の名手。信長秀吉の後援を得て池坊流を発展させた。
(2世)[1575~1658]立花の名人。法橋ほっきょうに叙任。後水尾ごみずのおの親任を得て、宮廷で立花を指導した。多数の立花図を残した。

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精選版 日本国語大辞典 「池坊専好」の意味・読み・例文・類語

いけのぼう‐せんこう【池坊専好】

  1. [ 一 ] 初世。安土桃山時代の池坊立花の名手。織田信長豊臣秀吉などの支持を受け、池坊流発展の端を開く。元和七年(一六二一)没。
  2. [ 二 ] 二世。江戸時代初期の池坊立花の名手。法橋(ほっきょう)に叙任。後水尾院の親任を得て、宮廷で立花を指導した。天正三~万治元年(一五七五‐一六五八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「池坊専好」の意味・わかりやすい解説

池坊専好(2代)
いけのぼうせんこう
(1570―1658)

いけ花流派池坊の第32世で立花(りっか)の名手。近衛家煕(このえいえひろ)の言行を集録した『槐記(かいき)』には、「立花ノ中興ハ専光(好)ニ止マリタリ、専光ヲ名手トス」と称されている。2代専好には200点に余る立花図が曼殊院(まんしゅいん)、池坊家元、陽明(ようめい)文庫などに残され、立てた場所、年月日の明らかなものだけでも百数十点に及んでいる。これは、2代専好が後水尾(ごみずのお)天皇(上皇)の特別な愛顧を被り、宮中立花の指導者であったからで、天皇や門跡(もんぜき)や公家(くげ)たちが、稽古(けいこ)の範として絵師に命じてその立花図を写しとったものと考えられる。2代専好の活躍した最盛期は寛永(かんえい)期(1624~44)を頂点とし、寛永6年(1629)閏(うるう)2月5日と寛永6年七夕(たなばた)に催された「紫宸殿御立華(ししんでんごりっか)」会はとくに名高く、後水尾天皇以下諸公卿(くぎょう)の出瓶(しゅっぺい)があり、前者の会は『槐記』のなかで、「秀吉ノ大茶湯後ノ一大壮観ナリ。専光(好)カ桜一色ト云(い)フコトハ此時ヨリ始マリケル」と記述するほどであった。このように2代専好は立花を完成させた名人であるばかりでなく、公武にいけ花を介して交誼(こうぎ)を結び、池坊の地歩を不動のものとした。彼は立花を単なる座敷飾りとせず、一瓶一瓶が独立した鑑賞に堪えるものとして構成したところに、その最大の特色がある。

[北條明直]

『華道家元池坊編『池坊専好立花名作集』『池坊専好立花名作集 解説』(1976・日本華道社)』

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朝日日本歴史人物事典 「池坊専好」の解説

池坊専好

没年:万治1(1658)
生年:天正3(1575)
江戸初期の京都頂法寺(通称六角堂)の僧,専応花道の宗匠。初め専朝。没年には万治2(1659)年説がある。寛永14(1637)年に後水尾上皇の内意によって法橋を宣下。専好と先師との関係は,専応―専栄―専好(13代)―専好(専朝,14代)となる。「池坊中興の祖」「天下の名人」と称された。専好の足跡は立花,砂物を元和3(1617)年から万治2年の間に描いた『立花写』(京都・曼殊院蔵),家伝の花論を記した『花伝書』などによって知られる。立花形姿は以前よりも複雑な構成になり,円相の形をとる伝承が守られ,「奇麗清涼」と面白く鑑賞されたという。画期的な寛永6年の紫宸殿における立花の催しは,近衛家煕の『槐記』に詳しい。「主上を始め奉り……出家町人にかぎらず,其ことに秀たる者に皆立花させて,双られたり。秀吉の大茶会ののち一壮観也」と物語風に記されている。この催しが契機となって立花,池坊の存在が世に知られて,各地に門弟がひろがっていった。また,公の席を飾る立花だけでなく,このように多くの人々が楽しみに立てて眺める花が流行した。正保3(1646)年の『秘伝書』には「七つ道具」の呼称を「心,添,請,正心,見越,流枝,前置」と変えたものが示されている。 池坊歴代には専好が3人いる。譜で示すと,専好(13代)―専好(14代)―専存―専養―専好(17代・35世)となる。近年,14代専好の師である先代専好(13代,安土桃山時代)の伝書が明らかになり,14代専好を待たずに,すでに13代によって花論が完成されていたこと,その作風が雄壮,軽妙であったことが判明している。<参考文献>林屋辰三郎・山根有三・岡田幸三『池坊専好立花名作選集』

(岡田幸三)

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改訂新版 世界大百科事典 「池坊専好」の意味・わかりやすい解説

池坊専好 (いけのぼうせんこう)

京都頂法寺の僧坊,池坊に住む僧侶専好の通称。この池坊に専好の名を名のるものは3人をかぞえ,いずれも花道宗匠として活躍した。初世専好(?-1621)は,たびたび宮中に祗候して〈立花〉を立てているが,みずから花師と称し池坊専応以来の伝統を継ぎながら,作風はおおらかで,華麗な表現をみせ,入木道(書道)の理論をふまえた新しい技法論《専好華伝書》を著している。2世専好(?-1659)は,先師専好の花道を継ぎ,理論面よりも実作上で名人と称賛された。とくに天皇や門跡,公家が参加して京都御所の紫宸殿や仙洞御所で催された花興行(花会)では指導的役割をはたし,後水尾上皇の内意によって僧位(法橋(ほつきよう))を与えられた。作風は師の遺風を守りながら,繊細美麗な花形をつくり出し,それが後代における花形の手本となっている。3世専好(?-1734)は,頂法寺の法灯を守りながら,池坊家の花道の芸風と精神を墨守して,それを次代へ伝えている。
池坊
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「池坊専好」の意味・わかりやすい解説

池坊専好
いけのぼうせんこう

池坊生け花の名手。専好の名を称する花人は3名いるが,なかでも天正~元和期 (1573~1624) に活躍した 13世初代専好 (1541~1621) ,寛永~明暦期 (24~58) 頃に活躍した 14世2代専好 (?~58) が高名。3代専好 (81~1734) は 16世専養 (1655~1711) の跡目を継ぎ,享保期 (16~36) 頃に活躍した。東福寺の月渓聖澄の『百瓶華序』によると,初代専好は慶長4 (1599) 年京都大雲院で弟子 100人と百瓶花会を催し,当時すでに法印に昇叙。毛利輝元,前田利家邸で立て花をととのえ,鹿苑院法堂の三具足 (みつぐそく) の花を立てたことが知られるが,事跡を記すものは少い。2代専好の事跡は『資勝 (おしかつ) 卿記』『土御門泰重卿記』『隔めい記』などに散見するが,年代の明確な立華図が多数伝わることとともに,後水尾天皇に親近して池坊立華を隆盛に導いたことが注目される。曼殊院の『立花図帖』,池坊文庫の『立花図巻』などは立華の姿を具体的に伝えている。また東京国立博物館蔵の『立華図』屏風は江戸初期の絵画資料としても貴重。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「池坊専好」の解説

池坊専好
いけのぼうせんこう

立花(たてはな)師。安土桃山~江戸中期に3世を数える。初世(1536~1621)は立花の構成理論に儒教を導入し,立花に画期的な変化をもたらした。1599年(慶長4)京都大雲院で催した百瓶華会(ひゃくへいかかい)は絶賛をえた。2世(1570~1658)は後水尾(ごみずのお)天皇に召されて立花を指導し,宮中立花会の判者にもなり,法橋(ほっきょう)に叙された。立花の大成者で,立花の構成理論に仏教をもとりこんだ。作品図は池坊・曼殊院・陽明文庫などに残されており,重文。3世(1680~1734)は伝書の整備と伝授の式法を改訂。また抛入(なげいれ)花にも対応した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池坊専好」の解説

池坊専好(2代) いけのぼう-せんこう

1575?-1658 江戸時代前期の華道家。
天正(てんしょう)3年?生まれ。京都頂法寺(六角堂)の僧。後水尾天皇の花会などで活躍し,法橋位をあたえられる。立花の大成者で,豪壮な様式を完成し,立花の最盛期と池坊の指導的地位をもたらす。作品200点余の立花図が京都曼殊(まんしゅ)院などにのこる。万治(まんじ)元年11月7日死去。84歳? 初名は専朝。

池坊専好(初代) いけのぼう-せんこう

?-1621 戦国-江戸時代前期の華道家。
池坊家31代。京都頂法寺(六角堂)の僧。慶長4年京都大雲院で門人100人とともに100個の銅瓶に花をいける百瓶(ひゃっぺい)華会を開催,絶賛を博した。七つ道具(役枝)を考案し,池坊立花のあたらしい様式をうみだした。元和(げんな)7年6月24日死去。著作に「池坊専好花伝書」など。

池坊専好(3代) いけのぼう-せんこう

1680-1734 江戸時代前期-中期の華道家。
延宝8年生まれ。京都頂法寺(六角堂)の僧。享保(きょうほう)8年「会席法度乃書」をさだめて池坊一門の結束をはかる。翌年「生花(しょうか)の書」をあらわし,伝統をまもりつつも生花(せいか)の流行にみられるあたらしい時代への対応につとめた。享保19年5月12日死去。55歳。

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世界大百科事典(旧版)内の池坊専好の言及

【池坊】より

…桃山時代になると,ほかの流派はほとんどみられず,立花を家業とする池坊の位置は定着した。東福寺の月渓聖澄が池坊専好の花展のために書いた《百瓶華序(ひやくへいかのじよ)》(1600)には,池坊を〈累代,華を瓶裡に立てるを以て家業と為す〉とあり,また〈其の元祖,専慶という。専慶より今の池坊法印に至る,累十三葉〉と述べて〈累(かさね)ること十三葉〉と専慶から専好(初世)までの系譜をかぞえ,専好の技量を大いに賞賛している。…

【池坊】より

…桃山時代になると,ほかの流派はほとんどみられず,立花を家業とする池坊の位置は定着した。東福寺の月渓聖澄が池坊専好の花展のために書いた《百瓶華序(ひやくへいかのじよ)》(1600)には,池坊を〈累代,華を瓶裡に立てるを以て家業と為す〉とあり,また〈其の元祖,専慶という。専慶より今の池坊法印に至る,累十三葉〉と述べて〈累(かさね)ること十三葉〉と専慶から専好(初世)までの系譜をかぞえ,専好の技量を大いに賞賛している。…

※「池坊専好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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