福岡県宗像(むなかた)市の沖ノ島にある祭祀遺跡。1954~71年(昭和29~46)に3次の発掘を実施。祭祀遺跡は,島の中腹にある巨岩群地区に集中し,23カ所を確認。祭祀の場は,(1)巨岩上祭祀(4~5世紀),(2)岩陰祭祀(5世紀後半~7世紀),(3)半岩陰・半露天祭祀(7~8世紀),(4)露天祭祀(8~9世紀)の4段階にわけられる。出土遺物も各段階に応じて変遷がみられ,(1)では鏡・玉類・武器・碧玉製品・工具類などで,前・中期古墳の副葬品に共通する。(2)では後期古墳の副葬品に共通し,中国大陸・朝鮮半島からの渡来品もある。(3)以降はペルシアのカットグラス,唐三彩長頸瓶,奈良三彩小壺,金属製雛形(ひながた)品など多彩で,奈良時代の祭祀遺物などに共通する。これらの遺物は,大和政権が大陸との対外交渉にともなう海上通交に際し,沖ノ島で国家的祭祀を執行したことを示すと考えられる。遺跡は宗像神社境内として国史跡,遺物は国宝。
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…弥生時代には先進的な文化が発達し,福岡市の板付や春日市の須玖岡本などすぐれた遺跡や遺物に富んでいる。古墳時代にも嘉穂郡の王塚や鞍手郡の竹原などの装飾古墳に見られるような独自の文化が発達し,宗像郡の沖ノ島遺跡は海上交通にかかる祭祀遺跡として有名である。対外交渉が頻繁になるにつれて当国はその重要性を増し,536年那津(なのつ)(福岡市)に官家(みやけ)が修造され,7世紀初頭にはその長官とみられる筑紫大宰(つくしのおおみこともち)が出現した。…
※「沖ノ島遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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