日本歴史地名大系 「洞村」の解説
洞村
ほらむら
洞村
ほらむら
洞村
ほらむら
洞村
ぼらむら
洞村
ほらむら
洞村
ほらむら
洞村
ほらむら
天正検地の際は稲倉郷九七四石八斗九合の中にあったが、寛永三年(一六二六)村分れした。同一九年の信州松本御領分村々高附帳に初めて一三一石六斗六升六合と高付けされる。「信府統記」に「御朱印高百六拾五石三斗六升七合」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は一九七石六斗四升七合である。寛文年間(一六六一―七三)の水田は七町五段一五歩、畑地は六町九段八畝一二歩である。慶安検地の時、本百姓一七、門百姓三。
「信府統記」に「洞村山の古城地 早落山ノ城ト云ヒ伝フ、洞村ヨリ午ノ方二町四十間本城戌亥ヨリ辰巳ヘ五間、午未ヨリ子丑ヘ二十二間、赤沢氏領セシ頃、地取合多キ時節ナレハ、所々ニ要害ノ地ヲ見立テ、取出塁等ヲ構ヘ置ケリ、早落山ノ号、城ニハ忌ヘキ名ナリ、此城日アラスシテ落城セシコトアリケル故、山ノ号トシテ称ヘ来レルニヤ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報