津島遺跡(読み)つしまいせき

日本歴史地名大系 「津島遺跡」の解説

津島遺跡
つしまいせき

[現在地名]岡山市いずみ町

上伊福かみいふく遺跡あるいは上伊福練兵場かみいふくれんぺいじよう遺跡と呼び習わしてきた遺跡であるが、錯誤から隣接地の津島を冠した呼び名が付けられた。県立岡山武道館の建設に際して文化財保存運動が高揚し、その結果、遺跡は破壊を免れて国指定史跡として保存されることとなった。付近は旭川デルタの西縁にあたる。平野北部の山麓地帯付近から当遺跡を北東から南西に斜めに遮断する旭川の旧西側分流に沿って、沖積平野形成初期の安定した微高地が広がっており、縄文時代後期以降の集落遺跡が展開している。発見された遺跡のうち弥生時代前期初頭のものは、住居地の微高地縁辺に矢板列の土留を施した集落を残しているのをはじめ、豊富な包含層が広がっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「津島遺跡」の意味・わかりやすい解説

津島遺跡 (つしまいせき)

岡山市北区のいずみ町,学南町,絵図町などにまたがる広範な弥生時代の遺跡。旭川右岸の沖積平野に立地し,第2次世界大戦中までは〈練兵場遺跡〉として知られていた。戦後中心部が公園に造成され,野球場,武道場など公園施設によって遺跡の一部が破壊されたが,保存運動のたかまりで大部分は残された。1961年,62-63年,68年,69年の4次にわたる発掘で,縄文時代晩期以来の遺跡であることがわかった。下層の弥生時代前期の水田跡は湿田であったが,上層中期には乾田にかえられ,この間に排水および灌漑技術の進展があることが明らかとなり,弥生時代水田農耕技術の発達を明らかにした。また水田跡から生物学者の協力で,各種の水田雑草が稲の花粉とともに検出されたことも,その後の弥生時代水田研究に大きな役割を果たした。弥生時代水田の上層に条里制水田,さらに近世水田と層序的に水田があったことも明らかとなった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

国指定史跡ガイド 「津島遺跡」の解説

つしまいせき【津島遺跡】


岡山県岡山市北区いずみ町にある集落跡。現在の岡山県総合グラウンドとその一帯に遺跡があることは戦前から知られていたが、1962年(昭和37)にグラウンド中央部を発掘した際、弥生時代前期の遺跡であることが判明した。1968年(昭和43)からの発掘調査で、弥生時代から古墳奈良・平安・中世末までの遺物や遺構が発見された。なかでも、弥生時代前期の水田水路や、弥生時代前期前半の円形住居跡・倉庫と考えられる方形の建物跡が発掘され、旭川のデルタ地帯に形成された微高地に集落が設けられ、それに近接した低湿地で水田が営まれていたことが判明した。弥生時代前期の集落と水田が発見されたのは日本で初めてで、1971年(昭和46)に国の史跡に指定され、2002年(平成14)に追加指定された。現在遺跡の整備が行われ、津島やよい広場で復元した遺跡などを公開し、発掘調査で見つかった出土品は遺跡&スポーツミュージアムに展示している。JR山陽新幹線ほか岡山駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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