浄教寺(読み)じようきようじ

日本歴史地名大系 「浄教寺」の解説

浄教寺
じようきようじ

[現在地名]奈良市上三条

上三条かみさんじよう町北部に所在する。九条山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来は鎌倉時代の作。「浄教寺由緒略記」によると、河内国八尾やお(現大阪府八尾市)の庄司真野行延が親鸞の直弟となり、寛元二年(一二四四)開基。その後北朝光明天皇から称仏名院の号を賜った。享禄三年(一五三〇)河内国より大和添下そえしもじよう(現大和郡山市)へ、永禄二年(一五五九)九条(現奈良市)に移った。石山合戦の功により本願寺顕如から浄教寺号を許された。慶長八年(一六〇三)徳川家康から上三条の地を頂戴して現在地に移り、寺内地子二石四斗七升が免じられた(庁中漫録)


浄教寺
じようきようじ

[現在地名]知立市八橋町 神戸

八橋やつはしの郷の中心部に位置する。久平山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。もと天台宗で建久五年(一一九四)観応の開山と伝え、文明一八年(一四八六)性厳のとき真宗に転じた。方便法身尊影の裏書に、

<資料は省略されています>

とある。勝鬘しようまん(現岡崎市)の末で、永禄七年(一五六四)三河一向一揆に際し当寺の僧八橋茂左衛門は、宗門一大事と本寺へ馳せつけ、強弓をもって家康の軍を攻立てたという。


浄教寺
じようきようじ

[現在地名]吉備町長田

清流山と号し、西山浄土宗。本尊阿弥陀如来。文明四年(一四七二)明秀の開基。「続風土記」に「当寺に出村最勝寺の仏像仏画多く転伝せり」とあるが、天正期(一五七三―九二)豊臣氏によって寺領を没収され、没落したいで(現吉備町)最勝さいしよう寺の寺宝の一部が渡ったのであろう。西山派の念仏道場として当地域の拠点になったが、永禄五年(一五六二)春、井口いのくち(現同上)真宗門徒道場(現安楽寺)が盛んになるに及んで勢力争いが起こり、浄教寺の檀徒らは藤並荘野田平右衛門を頭領に迎えて井口道場に不意打ちをかけて争った(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「浄教寺」の解説

浄教寺

奈良県奈良市上三条町にある浄土真宗本願寺派の寺院山号は九条山、本尊は阿弥陀如来。1244年、河内国に開基と伝わる。幾度か移転し、1603年より現在地。

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