浄満寺(読み)じようまんじ

日本歴史地名大系 「浄満寺」の解説

浄満寺
じようまんじ

[現在地名]青森市油川

油川あぶらかわ集落中央、街道西側の大浜おおはまにある。金台山紫雲院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。もと弘前貞昌ていしよう寺末。寺伝によれば、最初三内さんない村支村の小三内こさんないにあり正念寺と称したが、油川城主奥瀬氏が油川に移し菩提寺とした。奥瀬氏が津軽氏に追われ、寺は衰退、関東の僧岌雲が再興、慶長一三年(一六〇八)三春みはる(現福島県田村郡三春町)の良(善)波が元和五年(一六一九)中興


浄満寺
じようまんじ

[現在地名]下津町橘本

橘本きつもとの南、加茂かも川の支流市坪いちつぼ川に沿う熊野街道に面する。小谷山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。加茂組寺社書上(下津町史)によれば、開基は藤田五郎次郎という土豪で、文明年中(一四六九―八七)蓮如から教導を受け、六字名号を授かり、藤田ふじた道場と称したという。明応四年(一四九五)実如より絵像を授けられた。


浄満寺
じようまんじ

[現在地名]宇和島市中央町二丁目

法輪山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺の背後辰野たつの川が流れる。

宇和旧記」によると、宇和島には専修念仏の僧が五、六人いたが布教がすすまず、当寺の開山汲鸞がこれを嘆いて、紀州加太浦かたのうら正立寺の前住職宗清を招いて布教につとめ、寛永三年(一六二六)現在地に常満寺を建立したとある。


浄満寺
じようまんじ

[現在地名]下関市大字永田郷

永田郷ながたごう南部野屋敷のやしきにある。浄土真宗本願寺派で、桜尾山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、肥後国の津守土佐之助宗綱が浄土真宗に帰依し、法名行恩をもらい元亀元年(一五七〇)この地に一宇を建立したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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