上磯(読み)かみいそ

精選版 日本国語大辞典 「上磯」の意味・読み・例文・類語

かみいそ【上磯】

  1. 北海道南西部、渡島(おしま)支庁の郡。渡島半島南部にある。明治二年(一八六九渡島国の一郡として成立。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上磯」の意味・わかりやすい解説

上磯
かみいそ

北海道南西部、渡島(おしま)支庁(現、渡島総合振興局)管内にあった旧町名(上磯町(ちょう))。現在は北斗(ほくと)市の南西部を占める地域。旧上磯町は1918年(大正7)町制施行。1955年(昭和30)茂別(もべつ)村を編入。2006年(平成18)亀田(かめだ)郡大野町(おおのちょう)と合併して市制施行、北斗市となる。旧町名はアイヌ語の「カムイソ」(神の岩、美しい岩)に由来する。旧町域は津軽海峡に面し、山地丘陵台地平地からなる。市街地は函館(はこだて)平野の一部で、戸切地(へきりち)川、大野川、茂辺地(もへじ)川などがつくる沖積平野が占める。道南いさりび鉄道、国道228号が通じる。かつては米作、ジャガイモ栽培主体の農業と漁業のほか、背後の山地に埋蔵する石灰岩を利用したセメント工業の町であった。高度成長期に石油、木材工業が立地し、1984年「テクノポリス函館」指定を受け上磯工業団地(1985)、追分地区農工団地(1992)を造成、食品、精密機械、金属などの工場が多数進出した。農業もトマト、キュウリ、イチゴなどの施設園芸を取り入れた複合経営に変わっている。漁業ではホッキガイイワシカレイなどの水揚げがある。また、市街地は函館市のベッドタウン化している。国史跡に、15世紀に安東氏の拠(よ)った茂別館跡(もべつたてあと)、松前藩戸切地陣屋跡(まつまえはんへきりちじんやあと)があり、トラピスト修道院は日本で最初の男子修道院である。

[瀬川秀良]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上磯」の意味・わかりやすい解説

上磯
かみいそ

北海道南西部,北斗市南部の旧町域。函館湾に面する。 1918年町制。 1955年茂別村を編入。 2006年大野町と合体して北斗市となった。地名はアイヌ語でカムイソ (神瀑あるいは美しい岩の意) に由来するともいわれる。函館湾奥沿いに位置し,安政2 (1855) 年に松前藩戸切地陣屋 (へきりちじんや) が置かれた。峩朗鉱山の豊富な石灰岩と万太郎沢のドロマイトを原料として 1890年セメント工場が創設された。その後石油精製所なども立地し,函館工業地域の外延部の景観を呈する。野菜栽培のほか,沿海では定置網漁業とホッキガイの採取も行なわれる。戸切地陣屋跡,茂別館跡 (もべつたてあと) は国の史跡。トラピスト修道院や当別の海水浴場もあって,訪れる人が多い。

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百科事典マイペディア 「上磯」の意味・わかりやすい解説

上磯[町]【かみいそ】

北海道上磯郡の旧町。函館湾岸と背後の山地を占め,江差線が通じる。1855年戸切地(へきりち)に松前藩の陣屋が置かれた。古くから肥沃な土地として農業が盛んだったが,近年は臨海工業地帯として,セメント製造,石油精製などの企業が進出している。南部の当別には男子トラピスト修道院がある。2006年2月,亀田郡大野町と合併し市制,北斗市となる。262.41km2。3万7286人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「上磯」の意味・わかりやすい解説

上磯 (かみいそ)

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