浦安市(読み)ウラヤスシ

デジタル大辞泉 「浦安市」の意味・読み・例文・類語

うらやす‐し【浦安市】

浦安

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日本歴史地名大系 「浦安市」の解説

浦安市
うらやすし

面積:一七・二九平方キロ(境界未定)

県の西部に位置し、南流する旧江戸川を挟んで西は東京都江戸川区、南は東京湾に面し、北東は市川市と接する。古くは行徳領と総称された地域に含まれた。なお現市域の過半は第二次世界大戦後の埋立地である。

〔近世〕

市域に成立した村落は当代島とうだいじま猫実ねこざね堀江ほりえの三ヵ村で、いずれも葛飾かつしか郡に属し、幕府領であった。葛飾郡南部を占めた行徳領のうち現在の市川市域の村々では寛永六年(一六二九)と元禄一五年(一七〇二)に幕府代官による検地が行われており(市川市史)、猫実村に元禄一五年の検地帳が残されていたことから、当代島村堀江村でも同年に検地が実施されたものと推測される。近世初頭、当地は江戸で消費される塩の主力となっていた行徳塩の産地であった。しかし年々塩浜の荒廃が進み、寛永六年には猫実村・堀江村、元禄一五年には当代島村が塩浜付から除かれている(「塩浜由来書」国立史料館蔵)

塩浜の荒廃によって三ヵ村では農業のほか漁業に従事する者が増えていったものと思われる。もともと当地は魚介類を江戸で商って現金収入を得るには適した地であった。ところが市域の目の前に広がる漁場は船橋村が徳川家康へ魚を献上したとの由緒に基づき、同村に漁業権のある御菜浦であると主張していて、三ヵ村にとっては自由にならない漁場であった。このため三ヵ村や周辺の村と船橋村との間では漁場相論が幾度となく起こり、天明期(一七八一―八九)の相論では猫実村に死者も出ている。相論となった漁場はおもに貝漁の漁場であったが、ほかにイカ漁も盛んに行われていた。新しい漁法であるイカ網漁は元禄一六年の大地震で江戸湾内の地形が変化し、イカの漁獲量が減少したため考案されたと伝え、のちに江戸湾岸の各所へ広まった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浦安市」の意味・わかりやすい解説

浦安〔市〕
うらやす

千葉県北西部,江戸川放水路と江戸川にはさまれた三角州にある市。 1981年市制。古くから河港として発達し,ノリとアサリの養殖が盛んであったが,第2次世界大戦後,京葉工業地域の造成や京葉港の築港などで,漁業権の放棄がなされた。 1969年地下鉄東西線が開通して,住宅団地が造成され,人口が急増。埋立地に鉄鋼団地が立地し,1983年,舞浜に東京ディズニーランドがオープンした。 JR京葉線,首都高速湾岸線が通る。面積 17.30km2(境界未定)。人口 17万1362(2020)。

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