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海底ケーブル通信 かいていケーブルつうしん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海底ケーブル通信
かいていケーブルつうしん

海底ケーブル(→通信ケーブル)によって海を隔てた地点間を結ぶ通信方式。大陸間のように長距離で多数の通信回線を必要とする回線では,海水の浸食と水圧から保護するための筐体に収められた中継器を用いて中継増幅する。海底ケーブルの敷設には特別に設計されたケーブル敷設船を用いる。1850年イギリスのドーバーとフランスのカレー間に敷設されたのが始まり。大陸間は大西洋横断電信ケーブルが 1858年に初めてアイルランドとカナダのニューファンドランド島間に敷設されたが失敗。その後数回の失敗を経て 1866年に完成した。この事業にはアメリカ合衆国の実業家サイラス・ウェスト・フィールドとイギリスの物理学者ウィリアム・トムソン・ケルビンが参加した。今日では世界のあらゆる海洋にケーブルが敷設されている。日本も 1964年ハワイとの間に太平洋横断海底ケーブルが敷設されほか,日本海ケーブルなどにより世界と結ばれている。(→海底電信線の保護に関する条約

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海底ケーブル通信
かいていけーぶるつうしん
submarine cable communication

海によって隔てられた地点を海底に敷設したケーブルで結び、これを介して行う通信のことをいう。海底ケーブルは、敷設または引揚げの際の張力に耐えるためと、敷設後の潮流による振動、海底との摩擦、船の錨(いかり)や漁具による損傷などを防ぐために、通信線を中心部に配置し外部を鉄線で覆い保護する構造となっている。ケーブルが損傷される危険性は浅海ほど大きく、浅海部ではロボットによってケーブルを埋設することもある。一方、深海用ケーブルでは外部の鉄線による保護を必要としないこともある。[矢口 勲・三木哲也]

歴史


第1期
1843年にガタパーチャとよばれる天然樹脂がケーブルの絶縁体として優れた材料であることが発見され、海底ケーブル通信は産声をあげることになる。1851年、ドーバー海峡を横断してイギリス・フランス両国を結ぶ海底ケーブルが敷設され、商用の電信が開始された。これによって、ロンドンとパリの株式取引所は、世界で初めて同日内に株価の引き合いができるようになった。この成功が刺激となり、世界各地の海に次々と電信用の海底ケーブルが敷設された。世界の主要な海底ケーブルは、第一次世界大戦が始まるまでにほとんど敷設されており、1913年には総延長が52万キロメートルにも達していた。しかし、1901年にマルコーニがイギリス―カナダ間の通信実験を成功させた無線電信が、1910年代に商用利用されるようになると、海底電信業務はしだいに圧迫されるようになった。無線電信と競争するためには通信速度を高める必要があり、従来のケーブルの数倍の速度で通信できる装荷型電信海底ケーブルが登場した。さらに、電話通信にも対応するために、今日の同軸ケーブルの原型をなす海底ケーブルが開発された。しかし、1920年代末からは長波および短波による無線電話が実用化されたため、大陸間通信手段としての海底ケーブルの地位はしだいに低下していった。[矢口 勲・三木哲也]
第2期
海底ケーブル通信がふたたび活気を取り戻すのは、1956年にイギリスとカナダを結んで敷設された第一大西洋横断海底同軸ケーブルシステムによってである。このシステムは、方向別に各1条の海底同軸ケーブルを用いて、電話36回線を多重化して伝送する方式であった。これを可能にしたのは、多重搬送通信の実用化(1918)、負帰還増幅器の発明(1930)、同軸ケーブルに使用する絶縁体ポリエチレンの発明(1933)、20年間の動作を保証する真空管をはじめとする電子部品の高信頼化技術である。さらに、真空管にかわるトランジスタの発明(1948)や、ケーブル直径の大型化により、1条のケーブルで両方向の伝送を行う(群別二線伝送方式)ことができるようになり、1964年(昭和39)にハワイと結んで敷設された第一太平洋海底同軸ケーブルを使用して日米間で128回線の提供が可能となった。回線容量の大きいシステムとしては、日本では1973年に横須賀(よこすか)(神奈川県)―那珂湊(なかみなと)(茨城県)間での実験により実用化されたCS-36Mの2700回線、世界では1975年に敷設されたPENCAN3(スペイン―カナリア諸島間)の5520回線(ただし電話帯域を4キロヘルツから3キロヘルツに狭めている)などがある。[矢口 勲・三木哲也]
第3期
1970年に光ファイバーと半導体レーザーの実用化に見通しが得られ、1980年ころには光ケーブル伝送システムが日欧米の国内通信において実用化された。光ケーブル伝送は、ケーブルの損失が小さく中継器の間隔を長距離化できること、光ファイバーそのものはきわめて細径であり多芯(たしん)のケーブル化が可能なこと、デジタル伝送が容易でありネットワークのデジタル化に適していること、などの特長をもち海底ケーブル通信にも適している。しかし、深海における高い気圧から光ファイバーを保護する技術、半導体レーザーなど光部品の高信頼化技術、などの課題があった。これらを解決して、1980年代の中ごろから海底光ケーブルシステムが敷設され始めた。日本の国内用としては、1986年(昭和61)に八戸(はちのへ)―苫小牧(とまこまい)間、宮崎―那覇(なは)間に400メガビット/秒のシステムが商用化され、大陸間用としては、1988年に大西洋横断海底光ケーブルが、また1990年代に入って太平洋横断海底光ケーブルが敷設されている。1990年代中ごろになるとインターネットの商用利用が始まり、国際通信においてもデジタル通信の需要が爆発的に増加し始めた。同時期に、1芯の光ファイバーに波長の異なる多数の光信号を多重化する波長多重伝送、および中継器において電気信号に変換することなく光信号をそのまま増幅する光増幅器の技術が実用化された。そのため2000年ころからはそれらの技術を用いて数百ギガビット/秒~数テラビット/秒の大容量海底光ケーブルシステムが敷設されるようになってきた。2010年代に入ると、波長多重に加えて光信号処理技術によって伝送効率を高め、10~20テラビット/秒の容量のシステムが敷設され始めた。[矢口 勲・三木哲也]

将来の展望

社会の高度情報化とグローバル化の進展が、情報ネットワークの量的増大と高度化・多様化と相まって進展している。そのために世界を結ぶネットワークの通信容量の拡大は、今後もとどまることなく続くものと思われる。この社会的要請にこたえるため、海底光ケーブルシステムの高度化と、さらに各国、各地を結ぶ海底ケーブルのネットワーク化が進められてゆこう。光通信の速度はますます高速化する動向にあり、エレクトロニクス技術の限界を打破するフォトニクス技術とそれを用いるフォトニックネットワークの開発が世界各国で進められている。フォトニクスとは、電子(エレクトロン)のかわりに光子(フォトン)を用いる技術で、フォトンによって動作するデバイスからそれを用いてつくられる機器の技術全般を、エレクトロニクス技術になぞらえてフォトニクス技術とよんでいる。光子を用いることで、従来の電子による操作・制御速度の限界を大きく超えることができる。[矢口 勲・三木哲也]

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