デジタル大辞泉
「清水六兵衛」の意味・読み・例文・類語
きよみず‐ろくべえ〔きよみづロクベヱ〕【清水六兵衛】
[1738~1799]江戸中期の陶工。摂津の人。号、愚斎。京都五条坂の窯元海老屋清兵衛に学び、独立して同地に窯を開いた。野趣に富む六兵衛風として独自の京焼を生んだ。以来現在まで8代を数える。
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きよみず‐ろくべえ【清水六兵衛】
- 京都の清水焼の名工。
- [ 一 ] 初世。旧姓古藤。号愚斎。大坂の人。京都の海老屋清兵衛に陶法を学び、五条坂で窯(かま)を開く。おもに茶器類を製作。妙法院宮の御庭番をつとめ、六目の印を受けた。元文三~寛政一一年(一七三八‐九九)
- [ 二 ] 二世。初世の子。号静斎。土焼きの茶器を主とし、染付けも焼く。寛政二~万延元年(一七九〇‐一八六〇)
- [ 三 ] 三世。二世の子。号祥雲。茶器のほか、青磁、染付け、赤絵などをつくる。文政五~明治一六年(一八二二‐八三)
- [ 四 ] ⇒きよみずろくわ(清水六和)
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清水六兵衛
きよみずろくべえ
京都の伝統陶芸家。代々清水六兵衛を名のり、8代を数える。初代(1738―99)は1768年(明和5)京都五条坂に開窯。当時異色の陶工と目され、江戸後期、京都の陶業を主導して一家をなした。2代(1790―1860)、3代(1822―83)、4代(1848―1920)、5代(1875―1959)、6代(1901―80)、7代(1922―2006)、8代(1954― )と続くが、とりわけ、幕末から明治への混乱期に京焼の再興に尽くした4代目、また富岡鉄斎などと親交を結び、釉薬(ゆうやく)の開発に目覚ましい活躍をみせ、京焼の近代化に意を注いだ5代目六和、そして代々のなかでも傑出した力量の持ち主6代目の存在は特筆すべきである。
[矢部良明]
5代目の長男。旧名正太郎。1913年(大正2)父に就いて作陶の道に入り、伝統的な京焼の技法に新しい解釈を加えた多くの技法を開発。三彩藍(らんよう)や銹(しゅうよう)、金銀彩を多用した古稀(こき)彩などが高い評価を得、日展陶芸部門の重鎮となった。56年(昭和31)の玄窯白鳥花瓶で芸術院賞を受け、62年日本芸術院会員、76年には文化功労者となったが、80年4月「六兵衛名陶展」の初日に東京の会場で急逝した。翌81年6月、女婿の九兵衛が7代目を襲名。
[矢部良明]
『『現代日本陶芸全集13 清水六兵衛』(1981・集英社)』
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清水 六兵衛(6代目)
キヨミズ ロクベエ
昭和期の陶芸家(清水焼) 京焼窯元清水家当主(6代目)。
- 生年
- 明治34(1901)年9月13日
- 没年
- 昭和55(1980)年4月17日
- 出生地
- 京都府京都市東山五条坂
- 別名
- 幼名=清水 正太郎(キヨミズ ショウタロウ)
- 学歴〔年〕
- 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科〔大正12年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 帝展特選〔昭和6年・9年〕,全国陶芸展文部大臣奨励賞〔昭和25年〕,日本芸術院賞(昭30年度)〔昭和31年〕「玄窯叢花瓶」,ベルギー博覧会グランプリ〔昭和34年〕,紺綬褒章〔昭和38年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和47年〕,文化功労者〔昭和51年〕
- 経歴
- 父親から陶芸を学び、昭和2年第8回帝展で花びん「花と子」が初入選。以後、帝展、新文展、日展と出品を続け、特選受賞、審査員を歴任。20年6代六兵衛を襲名。23年京都陶芸家クラブを結成、後進の指導にあたる。釉薬や発色の研究と工夫に情熱を注ぎ、金銀の彩色に幽玄の趣をこめた“玄窯”を生み出し、代表作の「玄窯叢花瓶」は30年度日展出品作で日本芸術院賞を受けた。その後、金・銀彩を多用した華麗な“古稀彩”、“銀白泑”などの独創的な新技法を創案。37年日本芸術院会員、44年日展常務理事。51年には文化功労者に。
清水 六兵衛(5代目)
キヨミズ ロクベエ
明治〜昭和期の陶芸家(清水焼) 京都工芸院院長。
- 生年
- 明治8年3月6日(1875年)
- 没年
- 昭和34(1959)年8月1日
- 出生地
- 京都府京都市
- 本名
- 清水 栗太郎
- 別名
- 後名=清水 六和(キヨミズ ロクワ)
- 学歴〔年〕
- 京都府画学校卒
- 経歴
- 4代目六兵衛の長男。初め、幸野楪嶺に日本画を師事、明治21年京都府画学校に入学。卒業後、父に陶芸を学び、28年第4回内国勧業博覧会に出品した花瓶が初入選。アールヌーボーなど美術思想を学び、陶磁の改革運動に参画。大正2年5代目六兵衛を襲名。昭和2年の帝展美術工芸部の新設に尽力した。画才に恵まれ、絵画意匠の絵付陶や紬薬の研究で新しい色調とモダンな感覚の創作陶芸が多い。大正11年にはフランスのサロン・ドートンヌ美術部会員に推薦され、昭和5年帝国美術院会員となった。21年隠居して六和と号した。
清水 六兵衛(4代目)
キヨミズ ロクベエ
明治期の陶芸家(清水焼)
- 生年
- 嘉永1年(1848年)
- 没年
- 大正9(1920)年
- 出生地
- 京都
- 本名
- 清水 正次郎
- 別名
- 号=祥麟,六居
- 経歴
- 塩川文麟に絵画を学び、祥麟と号す。明治16年六兵衛を襲名。17年京都博覧会で銅牌を受賞。36年宮永車山らと遊陶園を結成、幹事をつとめる。40年神坂雪佳らと佳美会を結成。“清六”“六居”の印を使い、土焼の茶器類にすぐれた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
清水六兵衛 (きよみずろくべえ)
生没年:1901-80(明治34-昭和55)
陶芸家。5代清水六兵衛の長男で京都に生まれる。本名正太郎。京都市立絵画専門学校卒業後,父に陶技を学び,1927年帝展に美術工芸部が創設されてからは入選を重ね,31年,34年の2度,特選を受ける。45年父の隠居で6代清水六兵衛を襲名,京都陶芸クラブを主宰する。59年オステンド国際陶芸展でグラン・プリ受賞,62年日本芸術院会員となり,76年文化功労者に推された。その生涯を京都清水焼の振興と日展陶芸の発展に捧げ,三彩流泑(りゆうよう),玄窯,銹泑,紫藍泑,紅斑泑,古稀彩,銀白泑など彼独自の作風や釉調を開発している。ちなみに,清水家は1771年(明和8)海老屋清兵衛の門弟栗太郎が,京都五条坂に築窯して海老屋六兵衛と名乗り,愚斎(1738-99)と号して初代となり,その後は2代静斎(1790-1860),3代祥雲(1822-83),4代六居(1848-1920),5代六和(1875-1959)と続く。清水の姓は3代から名乗った。
執筆者:吉田 耕三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
清水六兵衛(3代)
没年:明治16.6.4(1883)
生年:文政5(1822)
幕末明治期の京焼の陶工。清水六兵衛家は寛延年間(1748~51)に摂津国東五百住村(大阪府)から京都五条坂に移った初代六兵衛以来の陶家。2代清水六兵衛の次男として京都に生まれる。名は栗太郎。祥雲と号し,5代清水六兵衛(六和)の祖父に当たり,清水六兵衛家中興の祖ともいわれる。早くから紅花問屋に奉公に出されたが,長男放蕩のため呼び戻されて家督を相続。絵を四条派の文人画家として知られた小田海僊に学び,陶技を父より学ぶ。明治初年には宮川香山と東上し,横浜で西洋陶器の製法である石膏型の成形法を修得し,幹山伝七と共に研究したといわれる。明治6(1873)年京都府勧業御用掛となり,京都府の求めにより染付の洋食器を造り,伊羅保や織部釉のタイルなども造った。同8年第4回京都博覧会で初めて設けられた品評人(審査員)となり,あわせて銅牌も受賞。11年パリ万国博覧会,12年シドニー万国博覧会では銅牌を,16年アムステルダム万国博覧会では銀牌を受賞するなど,海外にも積極的に出品し,日本のやきものの声価を高め,国内では京都美術学校の創立に当たって建議者のひとりとして名を連ねるなど,京焼の発展に尽くした。伝統的な陶技による染付・赤絵などに大作を残しながら,洋風食器なども手掛け,幕末から明治にかけての新しい京焼の方向を模索したひとりである。
清水六兵衛(4代)
没年:大正9(1920)
生年:嘉永1(1848)
明治期京焼の陶芸家。3代清水六兵衛の長男として京都に生まれ,名は正次郎。絵画を塩川文麟に学び,祥麟と号した。明治16(1883)年3代六兵衛の死とともに4代を襲名。17年京都博覧会で銅牌を受賞。京都陶磁器品評会の審査員となる。36年,初代宮永東山,初代伊東陶山,浅井忠らと共に陶器研究団体「遊陶園」を結成,幹事を務める。40年には図案家の神坂雪佳らと共に佳美会を結成。大正2(1913)年隠居し,六居と号した。富岡鉄斎,幸野楳嶺らと親交があり,3代の豪快な作風に較べ,文人肌で温和な性格が作風にあらわれ,土物を多く残す。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
清水六兵衛
きよみずろくべえ
京都五条坂の陶芸の家系。代々清水六兵衛と称する。1世六兵衛愚斎 (?~1799) は摂津の出身。幼名栗太郎。寛延年間京都に出て陶技を学び,明和5 (68) 年五条坂に窯を開き,清水六兵衛と称した。茶器,置物,文房具などを作り,千宗玄はじめ諸名家から各種の印を与えられた。また天竜寺桂州和尚より六角形の「清」字印を受け,代々この印を用いる。2世静斎以下今日まで中国,日本の諸陶の写しのほか,染付,赤絵,青磁など広範囲の焼物を制作している。ことに6世清水六兵衛 (1901~80) は伝統のうえに立って創作陶芸に新風を吹込み,新しい焼成法「玄窯」や新釉「銹よう (しゅうよう) 」などを開発し芸術性を高めた。 1962年日本芸術院会員,76年文化功労者。代表作に『花と子花瓶』『染付魚文盛花器』『玄窯叢花瓶』がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
清水六兵衛【きよみずろくべえ】
姓は〈しみず〉とも呼ぶ。京都五条坂の清水焼の陶工。初世愚斎〔1738-1799〕,2世静斎〔1790-1860〕は楽焼(らくやき),御本(ごほん)などの茶陶を焼き,3世祥雲〔1822-1883〕は灯籠(とうろう)などの大器の焼成を得意とした。4世六居〔1848-1920〕,5世六和〔1875-1959〕は明治期の京都陶界の功労者。6世〔1901-1980〕は日展理事で,陶芸界の重鎮だった。7世〔1922-2006〕は九兵衛の名で彫刻家としても活躍。8世〔1954-〕は2000年襲名。
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清水六兵衛(7代) きよみず-ろくべえ
1922-2006 昭和後期-平成時代の陶芸家,彫刻家。
大正11年5月15日生まれ。東京芸大在学中に6代清水六兵衛の婿養子となり,陶芸を修業。昭和42年金属造形に転じ,清水九兵衛の名で野外彫刻などをつくる。昭和50年中原悌二郎(ていじろう)賞優秀賞,52年箱根彫刻の森美術館大賞を受賞。56年7代六兵衛をつぐ。京都市立美大(現京都市立芸大),京都造形芸術大の教授。平成12年長男に8代六兵衛の名跡を譲った。平成18年7月21日死去。84歳。愛知県出身。旧姓は塚本。本名は広。
清水六兵衛(初代) きよみず-ろくべえ
1738-1799 江戸時代中期-後期の陶工。
元文3年生まれ。摂津島上郡(大阪府)の人。京都清水焼の陶工海老屋(えびや)清兵衛に師事。明和8年に独立し,五条坂に窯をひらく。土焼きの茶器,置物,文房具をやき,六目印をおす。作品は六兵衛風とよばれた。円山応挙,松村月渓らとまじわり,合作の品ものこした。寛政11年3月死去。62歳。姓は古藤。幼名は栗太郎。号は愚斎。
清水六兵衛(6代) きよみず-ろくべえ
1901-1980 昭和時代の陶芸家。
明治34年9月13日生まれ。5代清水六兵衛の長男。昭和20年家業の京都清水焼をつぐ。伝統的な京焼の技法に釉薬(ゆうやく)や焼成の新技法をくわえる。31年「玄窯叢花瓶」で芸術院賞。51年文化功労者。芸術院会員。昭和55年4月17日死去。78歳。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。幼名は正太郎。号は禄晴。
清水六兵衛(4代) きよみず-ろくべえ
1848-1920 明治時代の陶工。
嘉永(かえい)元年生まれ。3代清水六兵衛の長男。明治16年家業の京都清水焼をつぐ。17年京都博覧会で銅牌をうける。36年宮永東山らと遊陶園を,40年神坂雪佳(かみさか-せっか)らと佳美(かつみ)会を結成,京焼の再興につくした。大正9年11月死去。73歳。幼名は正次郎。号は祥麟,六居。
清水六兵衛(5代) きよみず-ろくべえ
1875-1959 明治-昭和時代の陶芸家。
明治8年3月6日生まれ。4代清水六兵衛の長男。大正2年家業の京都清水焼をつぐ。釉薬(ゆうやく)の化学的研究にうちこみ,洋画家浅井忠らとあたらしい意匠を開発するなど,京焼の近代化につくす。芸術院会員。昭和34年8月1日死去。84歳。幼名は栗太郎。号は祥嶺,のち六和。
清水六兵衛(3代) きよみず-ろくべえ
1822-1883 江戸後期-明治時代の陶工。
文政5年9月1日生まれ。2代清水六兵衛の次男。京都清水焼。天保(てんぽう)9年家業をつぎ,宮中の大雪見灯籠2基を製作。明治期には染め付け洋食器も手がける。万国博覧会に出品するなど,京焼を海外にもひろめた。明治16年6月4日死去。62歳。幼名は栗太郎。号は祥雲。
清水六兵衛(2代) きよみず-ろくべえ
1790-1860 江戸時代後期の陶工。
寛政2年生まれ。初代清水六兵衛の子。京都清水焼。10歳で父をなくし休業していたが,文化8年22歳で再開して六兵衛の名をつぐ。土焼きの茶器にくわえ,白磁や染め付けの作品もある。二重枠の六角に清の字の印をもちいた。万延元年3月死去。71歳。号は静斎。
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清水六兵衛(3代目) (きよみずろくべえ)
生年月日:1822年9月1日
江戸時代末期;明治時代の京焼の陶工
1883年没
清水 六兵衛(5代目) (きよみず ろくべえ)
生年月日:1875年3月6日
明治時代-昭和時代の陶芸家
1959年没
清水 六兵衛(6代目) (きよみず ろくべえ)
生年月日:1901年9月13日
昭和時代の陶芸家
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の清水六兵衛の言及
【清水六兵衛】より
…陶芸家。5代清水六兵衛の長男で京都に生まれる。本名正太郎。…
※「清水六兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」