近世京焼の代表的な焼物。桃山時代に始まる京都の製陶業は、江戸時代に入ってとくに東山山麓(さんろく)一帯で発展をみた。清水焼はその一窯であり、『隔蓂(かくめい)記』の寛永(かんえい)20年(1643)10月の条に登場してくるのが史料の初出である。17世紀から18世紀にかけては、あくまで赤の上絵を控えた緑と青を主調とする優美で瀟洒(しょうしゃ)な色絵の作風を示している。しかし開窯当初の古格な遺品は判然とせず、上述の作風も東山諸窯に共通する様式美であり、その意味でこの窯の個性は乏しい。したがって有印・無印を含めて、粟田口(あわたぐち)、御菩薩(みぞろ)、岩倉山、清閑寺、音羽(おとわ)などの諸窯の製品を一括して世に古清水と呼び習わしている。
18世紀に入ると東山諸窯は粟田口、清水、五条坂の京焼「三所」に集中し、文化(ぶんか)年間(1804~18)を迎えると磁器焼成へと大きく発展する。仁阿弥道八(にんなみどうはち)、2代和気亀亭(1822没)、初代水越(みずこし)与三兵衛(1845没)らの尽力により、白磁、染付、青磁を焼き、近代的生産体制を固めると同時に、優れた個人陶工が美術陶磁も手がけた。その結果、伝統的な色絵陶器は主として粟田口で、新興の磁器は清水・五条坂窯で焼かれることとなった。
[矢部良明]
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江戸時代の京都東山の陶窯,またその製品。狭くは清水寺一帯の窯場をさすが,広くは京都東山一帯の陶窯をいう。古い製品は古清水と総称される。「隔蓂記(かくめいき)」寛永20年(1643)条に初出し,茶陶を焼く窯であった。江戸前期はあまり隆盛せず,19世紀に京焼第一の生産量を誇る。とくに磁器生産に力をいれ販路を拡大した。
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… 幕末・明治の変革期には西欧陶技の導入,輸出陶磁の製作,工場生産への転換などが試みられたが必ずしも成功せず,その後は伝統的な高級品趣向,技術的な卓越さ,個人的作家的な性格を強めながら継続された。そして伝統的なものと革新的なものが共存しながら多くの陶芸作家を輩出し,第2次大戦後には走泥社など新しい陶芸運動の発祥地ともなり,現在では〈京焼・清水焼〉として通産省より伝統的工芸品の指定を受けるに至っている。【河原 正彦】。…
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