デジタル大辞泉
「源親行」の意味・読み・例文・類語
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源親行 (みなもとのちかゆき)
鎌倉前期の歌学者。生没年不詳。若いころから《万葉集》の書写,校定に努め,その成果は仙覚の万葉校本の土台となり,《新古今集》の校本もあるが,特に《源氏物語》学者として知られる。父光行(1163-1244)とともに《源氏物語》の21種の諸本の校合の結果,《河内本源氏物語》を大成,その注釈として父の遺業を継ぎ《水原抄(すいげんしよう)》(散逸),《原中最秘抄(げんちゆうさいひしよう)》を作成。将軍源実朝,藤原頼経,宗尊親王らの歌や《源氏》の師範でもあった。
執筆者:南波 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
源親行
没年:文永9以降?(1272)
生年:文治4頃(1188)
鎌倉時代の古典学者,歌人。法名覚因。河内守源光行の子。父の業を継いで『源氏物語』のいわゆる河内本を大成した源氏学者として名高い。式部大夫,河内守。承久3(1221)年の承久の乱以前より鎌倉幕府に仕え,実朝,頼経,宗尊3代の和歌奉行を務める。承久の乱では院方に加わった父光行の助命を嘆願し許された。一方藤原定家ら在京の歌人達とも交渉があった。『源氏物語』のほか,『万葉集』を校勘,『古今集』『新古今集』などの古典も校合書写,また『源氏物語』の注釈書『水源抄』(散佚)を著すなど,鎌倉在住の古典研究者として多大な業績を残す。歌人としては『続後撰集』以下の勅撰集に6首入集。また『新和歌集』『東撰和歌六帖』に多数入集し,関東の和歌指導者のひとりとして重きをなしたらしい。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
源親行
みなもとのちかゆき
生没年不詳。鎌倉前・中期の歌人・源氏学者。法名覚因。父は光行。1205年(元久2)左馬允に任じられ,以後式部大夫・河内守などを歴任。鎌倉に住み源実朝以下3代の和歌奉行を勤めた。「万葉集」「古今集」などの校合(きょうごう)を行う一方,父の業を継ぎ55年(建長7)「源氏物語」本文校訂を河内本として完成。父の稿本をもとに「水原抄」をまとめ,さらに河内家流秘説集の「原中最秘抄」(子の聖覚,孫の行阿が加筆)をなした。「新続古今集」以下に入集。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
源親行 みなもとの-ちかゆき
?-? 鎌倉時代の歌学者。
源光行(みつゆき)の子。藤原定家にまなび,鎌倉幕府の和歌奉行をつとめる。将軍九条頼経(よりつね)の命で「万葉集」巻1を校合。父の「源氏物語」研究をついで建長7年(1255)河内(かわち)本を完成させ,その注釈書「水原抄」をまとめた。法名は覚因。
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源親行
みなもとのちかゆき
鎌倉時代初期の下級貴族,文学者。民部大夫,式部大夫,河内守。光行の子。鎌倉幕府の和歌所の奉行をつとめ,将軍九条頼経,宗尊親王の歌会の定連であった。父とともに『源氏物語』を研究して『河内本源氏物語』を著わした。著書に『水原抄』『原中最秘抄』 (ともに『源氏物語』注釈書) がある。
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源親行
みなもとのちかゆき
生没年不詳
鎌倉初期の公卿・文学者
光行の子。歌道に通じ,幕府和歌所の奉行となる。父とともに『源氏物語』を研究して河内本を完成し,また『万葉集』の校合にも尽力した。『東関紀行』の作者ともいわれるが疑わしい。
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世界大百科事典(旧版)内の源親行の言及
【源氏物語】より
… 本文もまた当時は浮動性の多いものだったようで,陽明文庫本にその面影の一部を残している。こうした異本群の混乱を救い統一した形に整えようとしたのが鎌倉初期の藤原定家および,ともに河内守となった源光行(みつゆき)(1163‐1244)・源親行(ちかゆき)父子であった。定家は当時の善本とされた7本をもとに〈青表紙本〉を整定し,光行・親行らはさらに多くの本を参考にして〈河内(かわち)本〉を整定した。…
※「源親行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」