源親行(読み)ミナモトノチカユキ

精選版 日本国語大辞典 「源親行」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐ちかゆき【源親行】

  1. 鎌倉初期の歌人学者。光行の子。法名覚因。父とともに「源氏物語」本文整定に尽力し、いわゆる河内本を校訂し、注釈書「原中最秘鈔」を著わした。また、「万葉集」校訂、「古今集」「新古今集」の研究にも業績がある。その歌は「続後撰集」以下の勅撰集に六首入集。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「源親行」の意味・わかりやすい解説

源親行 (みなもとのちかゆき)

鎌倉前期の歌学者。生没年不詳。若いころから《万葉集》の書写,校定に努め,その成果は仙覚の万葉校本の土台となり,《新古今集》の校本もあるが,特に《源氏物語》学者として知られる。父光行(1163-1244)とともに《源氏物語》の21種の諸本の校合の結果,《河内本源氏物語》を大成,その注釈として父の遺業を継ぎ《水原抄(すいげんしよう)》(散逸),《原中最秘抄(げんちゆうさいひしよう)》を作成。将軍源実朝,藤原頼経宗尊親王らの歌や《源氏》の師範でもあった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「源親行」の解説

源親行
みなもとのちかゆき

生没年不詳。鎌倉前・中期の歌人・源氏学者。法名覚因。父は光行。1205年(元久2)左馬允に任じられ,以後式部大夫・河内守などを歴任。鎌倉に住み源実朝以下3代の和歌奉行を勤めた。「万葉集」「古今集」などの校合(きょうごう)を行う一方,父の業を継ぎ55年(建長7)「源氏物語」本文校訂を河内本として完成。父の稿本をもとに「水原抄」をまとめ,さらに河内家流秘説集の「原中最秘抄」(子の聖覚,孫の行阿が加筆)をなした。「新続古今集」以下に入集。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源親行」の解説

源親行 みなもとの-ちかゆき

?-? 鎌倉時代の歌学者。
源光行(みつゆき)の子。藤原定家にまなび,鎌倉幕府の和歌奉行をつとめる。将軍九条頼経(よりつね)の命で「万葉集」巻1を校合。父の「源氏物語」研究をついで建長7年(1255)河内(かわち)本を完成させ,その注釈書「水原抄」をまとめた。法名は覚因。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源親行」の意味・わかりやすい解説

源親行
みなもとのちかゆき

鎌倉時代初期の下級貴族,文学者。民部大夫,式部大夫,河内守。光行の子。鎌倉幕府の和歌所の奉行をつとめ,将軍九条頼経,宗尊親王の歌会の定連であった。父とともに『源氏物語』を研究して『河内本源氏物語』を著わした。著書に『水原抄』『原中最秘抄』 (ともに『源氏物語』注釈書) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「源親行」の解説

源親行
みなもとのちかゆき

生没年不詳
鎌倉初期の公卿・文学者
光行の子。歌道に通じ,幕府和歌所の奉行となる。父とともに『源氏物語』を研究して河内本を完成し,また『万葉集』の校合にも尽力した。『東関紀行』の作者ともいわれるが疑わしい。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の源親行の言及

【源氏物語】より

… 本文もまた当時は浮動性の多いものだったようで,陽明文庫本にその面影の一部を残している。こうした異本群の混乱を救い統一した形に整えようとしたのが鎌倉初期の藤原定家および,ともに河内守となった源光行(みつゆき)(1163‐1244)・源親行(ちかゆき)父子であった。定家は当時の善本とされた7本をもとに〈青表紙本〉を整定し,光行・親行らはさらに多くの本を参考にして〈河内(かわち)本〉を整定した。…

※「源親行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む