潮音寺(読み)ちようおんじ

日本歴史地名大系 「潮音寺」の解説

潮音寺
ちようおんじ

[現在地名]世羅西町小国

美波羅みはら川の南、潮音寺谷の西にある潮音寺山南麓に位置する。臨済宗妙心寺派で、本尊聖観音、山号は白花山。「世羅郡誌」に応安二年(一三六九)二月創立、開山恵超とあるが、「芸藩通志」には宝徳元年(一四四九)新見備中建立、天文年中(一五三二―五五)赤川筑前再興の時の僧は大年とある。

宝徳元年新見宗頴・直時により小国おぐに包時かねときと、法要読経料として秋光あきみつ名の田五反・畠一反を寄進された(同年九月晦日付「新見宗頴同直時連署寄進状」当寺文書)

潮音寺
ちようおんじ

[現在地名]府中市元町

小野おの神社の西方にあり曹洞宗、山号補陀落山、本尊聖観音。「水野記」に「宝陀山潮音寺」として本尊は勝軍地蔵、正中元年(一三二四)山名備後守の開基で寺領三五〇貫を寄進、当時の住僧は亀胤と記し、「寛永十六年之記云、近代楢崎三河守寄百貫、其後至毛利家収之、末寺十五軒至寛永十六年四ケ寺也」という。「福山志料」は「備後全志通証」を引いて、昔は天台宗大寺で子院も多く、坊舎の名が民屋畠などの字に残るとし、「大喜庵ノ跡ハ今ノ藤ノ棚ノ西ニテ民屋アリ、曇教庵ノ址ハ寺前ヲ下レハ左辺ニテ田圃ノ間ニ荒神ト唱アリ此処ナリト云、今是ヲトンケウノ荒神ト唱ヘリ、寺ノ向ニ松原ト云地名アリ、其外二王門ノ旧跡・市場辻ナトイヘル地名モアリトイヘリ、又寺前ニ大ナル蓮池ナトアリケルヨシ云伝ヘリ」といい、慶長三年伊勢太夫配札帳に大喜庵が記されるから、その頃まではあったのだろうと述べている。

潮音寺
ちようおんじ

[現在地名]小千谷市小粟田

小粟田こおだ南西にある。曹洞宗、福聚山と号し、本尊阿弥陀如来。千谷川ちやがわにあったという潮音寺と時水の寺屋敷ときみずのてらやしきにあったという真宗の東日山西光さいこう寺が合体した寺と考えられている。西光寺はのちに塩殿しおどのに移り、現在も西光寺さいこうじの集落がある。境内の観音堂は西光寺の遺構で、本尊観世音菩薩を安置する。寺蔵の天文一二年(一五四三)の棟札によると、大檀那石河氏が渓臨笑月を招いて、再興の大清浄願を発して観音堂を建立。

潮音寺
ちようおんじ

[現在地名]宇和島市野川

辰野たつの川右岸の潮音寺山の麓の小寺。寿命山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は観世音菩薩。「宇和旧記」には長遠寺と記す。開山・開基は不明であるが、毛山けやま四ヵ寺の一つに数えられているから起源は古い。

竜泉寺(等覚とうがく寺)の南山座元が、寛永一一年(一六三四)に大悲閣を建て、釣鐘を鋳造した。同一五年、伊達秀宗が鐘楼を構えて鐘をつり、時報を打たせた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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