日本歴史地名大系 「潮音寺」の解説
潮音寺
ちようおんじ
潮音寺
ちようおんじ
百貫
、其後至
毛利家
没
収之
、末寺十五軒至
寛永十六年
為
四ケ寺
也」という。「福山志料」は「備後全志通証」を引いて、昔は天台宗の大寺で子院も多く、坊舎の名が民屋畠などの字に残るとし、「大喜庵ノ跡ハ今ノ藤ノ棚ノ西ニテ民屋アリ、曇教庵ノ址ハ寺前ヲ下レハ左辺ニテ田圃ノ間ニ荒神ト唱アリ此処ナリト云、今是ヲトンケウノ荒神ト唱ヘリ、寺ノ向ニ松原ト云地名アリ、其外二王門ノ旧跡・市場辻ナトイヘル地名モアリトイヘリ、又寺前ニ大ナル蓮池ナトアリケルヨシ云伝ヘリ」といい、慶長三年伊勢太夫配札帳に大喜庵が記されるから、その頃まではあったのだろうと述べている。
潮音寺
ちようおんじ
潮音寺
ちようおんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報