灘五郷(読み)ナダゴゴウ

デジタル大辞泉 「灘五郷」の意味・読み・例文・類語

なだ‐ごごう〔‐ゴガウ〕【灘五郷】

兵庫県、灘一帯の酒造地の称。西宮市今津郷・西宮郷、神戸市東灘区の東郷中郷、同灘区の西郷五つ宮水が湧出し、灘の生一本きいっぽんで知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「灘五郷」の意味・わかりやすい解説

灘五郷 (なだごごう)

灘五郷とは灘の生一本(きいつぽん)の銘醸地の総称で,江戸時代の中期以降より急速に江戸積酒造業が発展し,今日にいたるまで全国有数の酒造地を形成している。現在の灘五郷は,兵庫県南東部の海岸寄りにある今津郷・西宮郷(西宮市),魚崎郷・御影(みかげ)郷(神戸市東灘区)と西郷(神戸市灘区)の5郷からなる。しかしこれは1886年に摂津灘酒造業組合が創設されて以来の名称であって,江戸時代の地域区分とは若干異なっている。清酒の源流である諸白(もろはく)造りは,16世紀後半に南都(奈良)から伊丹池田に移り,江戸時代になると,この伊丹,池田を中心に江戸積酒造業が発展していった。灘酒造業はこの先進江戸積銘醸地を圧倒して,中期以降,寒造りの酒造技術を開発して江戸積酒造業を発展させた。この地域で酒造りが発達した理由は,原料の酒米が豊富なうえに六甲山系の急流を利用した水車精米が盛んであったこと,江戸に送る水運の便,さらに丹波杜氏(とうじ)の高度な技術集団の存在があげられる。また宮水(みやみず)と呼ばれる酒造に好適な地下水の発見(1840)は,灘の酒の品質を大いに高めた。その中心を形成した地域は,摂津西部沿岸地帯の灘目(なだめ)と呼ばれた地域である。灘目とは灘辺という意味で,東は武庫川口より西は旧生田川の近傍にいたる,沿海およそ24kmばかりの地域の総称である。具体的には灘目は上灘と下灘からなり,上灘は摂津国菟原(うはら)郡,下灘は同国八部(やたべ)郡に属し,これに武庫郡の今津を加えた灘三郷が,江戸積摂泉十二郷酒造仲間の12郷のうちの3郷を形成していたのである。この12郷は灘三郷のほかに,大坂,伝法,池田,伊丹,尼崎,北在,兵庫,西宮,堺からなり,江戸時代中期における江戸積酒造仲間を結成して,この12郷に限って江戸積酒造業の営業を独占していた。しかし灘目における酒造業の発展はとくに上灘において目覚ましく,文化・文政期(1804-30)の最盛期には,この上灘がさらに東組,中組,西組の3組(郷)に分かれた。この上灘三組と下灘,今津を合わせて,江戸時代の灘五郷が成立したのである。

 上灘東組は魚崎村を中心に,中組は御影村を中心に,そして西組は大石・新在家両村を中心にした地域で,下灘は二ッ茶屋,脇浜,神戸村から成っていた。江戸時代において,西宮が灘五郷に含まれていないのは,上記の村々がすべて在方農村)であったのに対し,西宮は町方であったからである。そして1769年(明和6)これらの地域が上知されて天領となったときには灘目,今津が在方として代官所支配であったのに対し,西宮は町方で大坂町奉行支配であって,この領地支配形態の相違が,酒造仲間の結合においても,その性格を異にしていたのである。そしてこの支配形態が解消した明治時代になって,改めて同業組合としての灘五郷が結成されたとき,西宮が新たに灘五郷のなかに包摂されるとともに,下灘郷は酒造業それ自体が衰微して,灘五郷から脱落するにいたった。灘酒造業の発展期は前述の文化・文政期で,この時期における摂泉十二郷の江戸入津樽数は100万樽を突破したが,このうち灘五郷で50%以上を占めていた。幕末期には全体としての入津樽数そのものは100万樽にいたらなかったが,このうちに占める灘五郷の比率は70%にまで集中化がみられ,その酒造石高は約50万石にも達していた。しかし1871年に酒造営業の特権を示す酒造札(鑑札)はなくなり,それを契機に西宮は酒造業近代化のさきがけとして,煉瓦造りの酒造蔵を建て,原動機を装置した精米所を設けるなど,灘五郷に新風を吹きこんだ。

 第2次大戦前まで,灘五郷には木造の大きな酒蔵が立ち並び,冬になると新酒の仕込みがにぎやかに始まったが,戦災で酒蔵の3/4が焼失し,また最近は四季を通じての醸造が普及したため,伝統的景観は姿を消しつつある。現在,約60社,7000人が酒造りに従事し,国内生産の3割,特級酒では6割を生産している。
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百科事典マイペディア 「灘五郷」の意味・わかりやすい解説

灘五郷【なだごごう】

摂津(せっつ)国西部の沿岸地帯の総称であるのうち,江戸時代から清酒醸造業が盛んであった地域の通称。灘目(なだめ)(灘辺の意)ともいい,東は武庫(むこ)川口から西は旧生田(いくた)川の近くまでをいう。江戸時代中期以降,伊丹池田といった先進地に代わって江戸積酒造業が盛んになり,1772年には上方(かみがた)酒家10ヵ所のなかに上灘目・下灘目が数えられている。1784年には今津(いまづ)を含めた3郷が摂泉(せっせん)12郷の江戸積酒造仲間に加わっている。なかでも上灘の発展は著しく,最盛期には3組(3郷)に分かれた。この3郷に下灘を合わせて灘目4組,これに今津を含めて灘五郷と称した。明治期に下灘はこの仲間組合から脱落し,1886年に改めて摂津灘酒造業組合を結成するに当たり,西宮(にしのみや)が参加し,それに今津・魚崎(うおざき)・御影(みかげ)・西郷をもって灘五郷の形成となり,今日に至る。

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世界大百科事典(旧版)内の灘五郷の言及

【西宮[市]】より

…尼崎,西宮,兵庫の3町の経済力に強く依存した同藩は,とくに西宮町人の資力に期待し,初期の藩札貞享元年札(1684)の発行にはもっぱら西宮町人を札元として発行しているほどである。18世紀後半には灘地方および町の南東に接する今津村にいわゆる灘三郷酒造業の台頭があり,西宮はこれら新酒造地帯の追込みをうけながらも繁栄を続ける(1819年(文政2)以降灘三郷は五郷に発展するが,西宮が灘五郷のうちの一郷となるのは85年である)。幕府はこの兵庫・灘・西宮地方の繁栄に注目し,1769年(明和6)この地域一帯を幕府領に収公した。…

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