茨城県南部にある市。1954年(昭和29)町制施行。同年岡田村、1955年奥野村と合併。1986年市制施行。中心市街は、江戸時代には陸前(りくぜん)浜街道(現在の国道6号)の宿場町で、1896年(明治29)常磐(じょうばん)線牛久駅が置かれ、この地方の中心地となった。ほかに408号が通じ、筑波(つくば)研究学園都市と千葉県成田市方面を結んでいる。稲敷(いなしき)台地にあり、江戸時代は牛久藩1万石の小城下町。東部はラッカセイ、サツマイモの産地、西部はミツバ、ホウレンソウなど野菜の産が多い。駅東の神谷(かみや)は日本のぶどう酒醸造の発祥地で、創始者の神谷伝兵衛(かみやでんべえ)の名を地名とした。合同酒精株式会社の牛久シャトーがあり、1903年(明治36)に建てられたシャトーカミヤ旧醸造場施設(うち3棟は国指定重要文化財)は、ワイン資料館やレストランなどとなっている。南方の牛久沼に面する城中(じょうちゅう)は、河童(かっぱ)の画で知られた画家小川芋銭(うせん)の住んだ所で、小川芋銭記念館「雲魚亭」と河童の碑がある。近年、東京のベッドタウンとして人口が増加している。面積58.92平方キロメートル、人口8万4651(2020)。
[櫻井明俊]
茨城県南部にある市。1986年市制。人口8万1684(2010)。標高20~25mの筑波稲敷台地と,これを刻んで流れる小野川水系沿岸の低地からなる。中心集落の牛久は江戸時代は水戸街道の宿場町で,牛久沼に臨む城中には牛久藩山口氏の陣屋が置かれた。明治前期から女化原(おなばけはら)など台地の開墾が進められ,県下有数のラッカセイ産地になった。JR常磐線が通じ,東京都心まで50kmの距離にあるので,1960年ころから沿線を中心に通勤住宅地化が進み,人口増加が著しい。圏央道のインターチェンジがある。農業ではラッカセイにかわり,スイカなど野菜の生産がふえている。牛久駅東に1903年神谷伝兵衛が日本で最初に建設した煉瓦造のワイン醸造所牛久シャトーがある。
執筆者:千葉 立也
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…67年1町1村を編入して,市原郡全体が市原市となり,県内一広い面積となった。近世には海岸沿いを通る木更津街道の宿場町として市原,五井,姉崎が栄え,養老川流域をさかのぼる勝浦街道の馬継場として牛久が栄えた。大正末から昭和初めに流域を貫く小湊鉄道が国鉄房総線(現,JR内房線)の五井から開通すると,五井が中心市街となった。…
…上流部に夷隅(いすみ)川と河川の争奪をした空谷(からだに),中流に数kmにわたる景勝の養老渓谷と,京葉工業地域に工業用水を供給する山倉ダムがある。また中流には桜の名所鶴舞や,かつて勝浦街道の馬継ぎ地で現在も半島中央部の商業中心をなす牛久(うしく)がある。下流の三角州は米作や果樹栽培に利用されてきたが,近年は臨海部に続く工業地になりつつある。…
※「牛久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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