牧畜文化(読み)ぼくちくぶんか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「牧畜文化」の意味・わかりやすい解説

牧畜文化
ぼくちくぶんか

牧畜は、群居性を有する有蹄(ゆうてい)類を群れとして管理し、搾乳によって得る乳、毛や皮、肉などの産物に基盤を置く生活様式である。伝統的な生活様式としての牧畜は、ユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて広くみられた。牧畜という生活様式が、いつ、どこで、どのような過程を経て人類史のなかに登場してきたかは、かならずしも明らかではない。それは、牧畜が考古学的な痕跡(こんせき)や歴史的記録を残しにくい生活様式だからである。それでも、牧畜がユーラシア大陸を斜めに貫く乾燥地域において発生したのは、間違いないことであろう。牧畜の対象となる主要な家畜は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダ、ヤク、トナカイである。いずれも、ユーラシア大陸において家畜化された。新大陸において家畜化されたラマ、アルパカはラクダ科に属するが、毛と肉の利用や荷役用に供され、搾乳の対象にはならない。

[松原正毅]

家畜化の過程

ヒツジ

ヒツジは、ヤギとともにもっとも早く家畜化されたと考えられている。ヒツジの骨は、西アジアの初期農耕遺跡から出土している。イラク北東部のシャニダール遺跡で発掘されたヒツジの骨は、紀元前9000年前後の層に属する。レバント地方エリコ遺跡では前8000~前7000年の先土器文化層から、ギリシアのアルギッサ・マグラ遺跡では前7200年の文化層からヒツジの骨が出土している。ギリシアには野生種のヒツジは存在しなかったので、これは人間によってもたらされたと考えられる。

 こうした事例から、西アジアにおいては、ヒツジが前8000年紀から前7000年紀にかけて家畜化されていたことは確かであろう。農耕の開始とほとんど同じ時代に牧畜が始まったといってよい。F・E・ゾイナーなどは、ヒツジの家畜化が中石器時代にさかのぼると主張している。前6000年紀から前5000年紀に入ると、家畜化の影響による形態的な変化がはっきり現れてくる。雌ヒツジの角(つの)がなくなり、足の骨が短くなり、ふさふさした毛になる。

 ヒツジが、どの野生種から家畜化されたかについては諸説がある。野生種は40を数え、その分類についても定説はみられないようだ。最近の染色体数に基づいた研究によると、家畜種Ovis ariesはアジア・ムフロン種Ovis orientalisを祖先にしているという。アジア・ムフロン種は小アジアからイラン南部の山岳地帯にみられる。コルシカ島サルデーニャ島だけに野生状態でみられたヨーロッパ・ムフロン種Ovis musimonは、前7000年紀ころヨーロッパにもたらされた家畜種の残存と考えられている。家畜種、アジア・ムフロン種、ヨーロッパ・ムフロン種は、いずれも染色体数が54である。

 イラン東北部からアフガニスタン、インド西部の山岳地帯にみられるウリアル種Ovis vigneiを、F・E・ゾイナーは家畜種の祖先としている。ウリアル種の染色体数は58で、一部家畜種に混入しているが、直接的な祖先ではないとする説が有力である。

[松原正毅]

ヤギ

ヤギの骨は、エリコ遺跡ほか西アジアの初期農耕遺跡で前8000年ころにあたる文化層から発掘されている。ヒツジの場合と同様、家畜化による形態的な変化は前6000年紀前後から現れる。足の骨が短小化し、角が短くなり、その断面が円形または楕円(だえん)形になる。時代を経るにつれて、まっすぐな角や三日月形の角に加えて、ねじれ角の数が増加する傾向がみられる。

 家畜種Capra hircusの祖先として有力視されているのは、ベゾアール種Capra aegagrusである。ベゾアール種は、アジア・ムフロン種のヒツジの分布とほぼ同様に、小アジアからインドにかけての山岳地帯にみられる。エーゲ海の諸島やクレタ島にもみられるが、初期の家畜種の残存の可能性が強い。

[松原正毅]

ウシ

ウシは、ヒツジ、ヤギより遅れて家畜化されたようだ。もっとも古い考古学的事例は、トルコのチャタル・ヒュユク遺跡やハジラル遺跡から出土し、前6500年ころとされている。前3000年紀にあたるメソポタミア初期第3王朝期のテル・アル・ウバイド宮殿のレリーフに、ウシの搾乳の場面がある。ヤギ、ヒツジの搾乳と同様に、後脚の間から搾乳をしている。当初、搾乳の方法をヤギ、ヒツジに倣ったためと推測されている。

 ユーラシア大陸南東部の各種のウシ科の家畜を除けば、家畜化されたウシの原生種はオーロックスBos primigeniusだといわれている。オーロックスは絶滅した野生種で、後期更新世(洪積世)から完新世(沖積世)初期にかけて北アメリカを除く北半球(北緯30度から60度の範囲)に広く広がっていたと考えられている。開けた灌木(かんぼく)地帯から森林地帯の間で、草や木の葉、芽などを採食していたと思われる。家畜化によっておきた大きな変化は、全体的に小形化した点である。

 インドから東南アジアにかけての地域では、オーロックスとは系統の異なる野生種から家畜化されたウシが数種類みられる。これらのウシは、オーロックス系統より遅れる二次的な家畜化の可能性が強い。背中にこぶのあるゼビューウシBos indicusはインド原産、アッサムからミャンマー(ビルマ)にかけてみられるミタンウシBos frontalisはインド、東南アジアの森林地帯の原産、バンテンウシBos javanicusはマレーシアから東南アジア島嶼(とうしょ)部の原産、ヤクBos grunniensはチベット高原の原産とされている。

[松原正毅]

ウマ

ウマは草原に適応した動物である。ウクライナからトルキスタンにかけての草原において家畜化が始まったと推測されている。その時期は前3000年紀といわれる。当初、肉用やウシにかわる車の牽引(けんいん)獣として利用されることが多かったが、騎乗用に使われるようになって重要性を増した。牧畜民の戦闘性が開花するのは、騎馬の技術の獲得以降といってよい。前2000年紀には騎馬は始まっていた。

 ウマの野生種としては、プシバルスキーウマEquus ferus przewalskiiが有名である。モンゴル高原を中心にみられた。このほか、19世紀末までウクライナ草原に、もう一つの野生種としてタルパヌスEquus ferus gmeliniが生息していた。

[松原正毅]

ラクダ

ユーラシア大陸には、フタコブラクダCamelus bactrianusヒトコブラクダCamelus dromedariusとがみられる。両者の染色体数はともに70で、新大陸のラクダ科の仲間(ラマ、アルパカ、ビクーナグアナコ)の染色体数74とは異なっている。フタコブラクダは中央アジアから東寄りの地域に、ヒトコブラクダは西アジアおよび北アフリカに分布する。西アジアではヒトコブラクダとフタコブラクダの雑種がみられる。フタコブラクダの野生種がモンゴル高原のゴビ砂漠に少数みられる。

 イラン中央部のシャリ・ソクタ遺跡からラクダの糞(ふん)が発掘されている。年代は前2600年ころ、家畜化されたフタコブラクダのものと推測されている。ラクダは当初から車の牽引用、荷役用として重宝されたようだ。騎乗用には、騎馬の技術が応用されたのであろう。

[松原正毅]

トナカイ

トナカイは北緯55度から65度にかけて極北のタイガ・ツンドラ地帯に生息する。トナカイの家畜化については対極的な2説がある。一説はもっとも早く家畜化されたという立場をとり、一説はもっとも遅く家畜化されたという立場をとる。

 東シベリアの諸民族はトナカイを乗用にする。これらの騎乗用の鞍(くら)は、北アジアのトルコ・モンゴル型のウマ用鞍に似ている。騎馬の技術がトナカイにも適用されたのであろう。スカンジナビアのサーミ人はトナカイを搾乳する。彼らの使用する乳、乳製品、乳製品つくり用の道具などに対する語彙(ごい)は、すべてゲルマン語起源とされている。サーミ人の搾乳の技術が、ゲルマン系の文化の影響を受けて成立したことが推測される。家畜種と野生種との間に自由な交配が成立し、形態的にも両者の区別をつけがたい点も、トナカイの家畜化が新しいことを示しているだろう。

[松原正毅]

牧畜の起源

牧畜の起源については諸説がある。大別すると、狩猟採集起源説と農耕起源説とに集約できる。狩猟採集起源説では、狩猟対象となる畜群の移動に追随するなかで、畜群を群れとして管理する技術を獲得することによって牧畜革命の成立に至ると考える。農耕起源説では、農耕を営む過程のなかで、個別的な飼育による家畜化を通じて牧畜が析出したとする。

 民族学的な考察の結果によれば、牧畜の狩猟採集起源説のほうにより妥当性があると思われる。それは、現在まで観察されてきた牧畜生活が、畜群を群れとして管理する技術を基盤に成立しているという事実が有力な傍証と考えられるためである。極北のトナカイの野生群に追随していた狩猟採集民は、群れの移動に付き従いながら、必要に応じて狩猟を行う生活を長い期間続けたことであろう。狩猟対象としての群れに追随する生活のなかから、固有の群れに対する所有権が生じ、群れの行動を管理する技術が発生したと推測される。

 単なる狩猟対象から群れの行動を管理する技術が発生するあたりで、毛や皮、骨などをより効率的に利用する技術も随伴したであろう。歯で睾丸(こうがん)をかみ切って去勢を施す技術が、ヒツジやヤギ、トナカイに対して適用されている。古い去勢法とみられるこの技術は、西アジアから中央アジア、極北に広くみられる。これは、おそらく群れの管理技術の一環として発生してきたものであろう。去勢は、群れのなかの種雄以外の雄の機能を奪って制御しやすくするとともに、肉を生きたまま貯蔵するうえに有効な方法だった。

[松原正毅]

搾乳技術の成立

牧畜革命の完結には、搾乳の技術が伴う必要があった。乳製品の利用によって乳の貯蔵法が成立し、初めて牧畜が一貫した生活様式として確立することができたからである。トナカイでは長い期間、バッファローではまったく搾乳が行われなかったのはなぜだろう。それは、群れの規模が大きく、個体数も圧倒的に多いため、狩猟対象としてだけで十分だったという事情があったのかもしれない。アフリカ大陸原産の数多い有蹄類が一つも家畜化されず、自成的な牧畜化の歴史がみられなかったのは、こうした条件がかかわっていたためかもしれない。もちろん、人間と共生関係をもちやすいとか、縄張り制をもたないとか、各動物の習性が家畜化への道の分岐点となっていることも前提的な条件として考慮する必要があるだろう。

 現在までの資料によれば、搾乳の発生、ひいては牧畜革命の完結は、西アジアの乾燥地域で達成されたようである。ただ、牧畜革命の完結化が西アジア以外のユーラシア大陸の乾燥地域においても多元的におこりえた可能性は、まだ残されている。搾乳の技術は、どういう状況で発生したのだろうか。一つ考えられるのは、無限に近い狩猟対象から限定された畜群の利用へと状況の変化がおこったことである。限定的な状況のなかで、畜群を減少させることなく効率的に利用する方法として搾乳が始まったと考えるわけである。搾乳は、本来的に哺乳(ほにゅう)すべき子供からの横取りである。母親を失った子供への哺乳を続けるため、搾乳が始まったという状況も考えられうる。いずれにしても、さまざまな条件が組み合わさって初めて搾乳の技術が成立したのであろう。現在、家畜化された有蹄類の大部分が搾乳の対象となっている。

[松原正毅]

牧畜の諸形態

移動性の高い牧畜を遊牧という。遊牧的な生活様式においては、家財道具はもちろん、家族全員が畜群と移動をともにする。移動性の高い生活に伴って、さまざまな形のテントが発達した。フェルト製の円形のテントは中央アジア、北アジアのおもにトルコ系、モンゴル系の人々に、黒ヤギの毛で織った方形のテントはペルシア系、アラブ系を中心に、ヤクの毛で織った方形のテントがチベット系を中心に、それぞれみられる。

 類型的にみれば、移動は水平的なものと垂直的なものとに大別できる。水平的な移動は草原的な環境においてみられ、垂直的な移動は山岳地域を包摂する環境においてみられる。山岳地域を夏営地とする移動は、起源的にはある種の家畜の野生種群の季節的な移動に対応しておこったものであろう。遊牧的な生活においては、普通、冬営地と夏営地が設けられる。地域によっては、これに加えて秋営地、さらに春営地が設けられることもある。各営地間を結ぶのが移動になるが、各営地に滞在中もテント地を何度も変えることはよくみられる。年間を通じての移動距離は、もっとも長いもの(アフガニスタン、イラン、トルコなどの事例)で1000キロメートル前後になる。

 牧畜の形態は、遊牧的なものから定住的なものまでさまざまである。両者の間にはかなり連続的な変異がみられる。冬営地に定住的な住居と耕地をもち夏営地でテント生活を送る場合、それとは逆に夏営地に定住的な住居をもつ場合など多様な事例をあげうる。いずれにしても、いくつかの例外的な事例を除けば、牧畜の経営は原則的に世帯(家族)単位になっている。それだけに経営規模はおのずから限定され、子供を含めた家族全員の労働力が必要とされる。

 生態学的な要因もあって、地域により家畜の組合せや頭数、重要度の高い家畜の種類などが異なる。遊牧的な生活様式においては、多種類の畜群を擁することが、さまざまな災害に対する保険的な措置となっている。1種類の畜群が壊滅しても別の種類の畜群が残れば、苦しい時期をしのぐことが可能になる。定住的になるほど、畜群の種類数が減少する傾向がみられる。

 ユーラシア大陸の中緯度地帯の大部分では、数の多少や重要家畜の差異はあるが、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダの五畜が遊牧的な生活様式における経営対象となっている。この五畜を、トルコ語およびモンゴル語ではマルとよぶ。マルは家畜という概念にあたる。トルコ系遊牧民ユルックの一例では、遊牧生活を維持するための1世帯当りの平均的な所有頭数は、ヒツジ200~300頭、ヤギ300頭、ウシ30頭、ラクダ10頭、ウマ5~10頭となる。

[松原正毅]

牧畜文化の特徴

農耕文化と比較したとき、牧畜文化の際だった特徴の一つは、累積的蓄積を生まないことである。世帯(家族)単位という経営では、管理できる畜群の規模には一定の限界があり、乳や毛、皮などの産物は穀類のような貯蔵の対象にはなりにくい。遊牧的な生活様式においては、この傾向はますます強くなり、所有しうる財産はラクダなどの移動手段に規定される。必要最小限の生活用具以外には所有しない生活となる。累積的な蓄積を生まないという構造は、貧富の差が農耕社会ほど大きくならず、階層差も小さい、平等的な社会に結び付く。

 牧畜社会においては、農耕社会と比較すると儀礼性がより簡明になる傾向がある。煩瑣(はんさ)な儀礼性を伴わないために、その社会には一種の澄明さが感じられる。ユーラシア大陸の多くの牧畜社会においては、父系血縁集団が社会組織の中核をなし、伝統的には軍事的、政治的な集団と重なり合った。

 生活様式としての牧畜は、農耕では利用し尽くせない空間を、畜群を媒介にすることによって人類の側に引き寄せる機能を果たしてきた。草原や荒蕪地(こうぶち)、砂漠、山岳地域など極度に条件の悪い空間を、牧畜によって初めて広域的に利用することが可能になったのである。現在、移動性の高い遊牧的な生活様式は急速に姿を消しつつある。その生活様式を保持しうるための生活空間が侵食され、失われてしまったのが主要な原因である。定住性の強い近代的な牧畜においては、家畜の移動を妨げる囲いや柵(さく)、畜舎が重要な意味をもつようになった。そこでは、畜産の効率がもっぱら追求されている。

[松原正毅]

『『遊牧論その他』(『今西錦司全集』第2巻所収・1974・講談社)』『梅棹忠夫著『狩猟と遊牧の世界』(講談社学術文庫)』『F・E・ゾイナー著、国分直一・木村伸義訳『家畜の歴史』(1983・法政大学出版局)』『松原正毅著『遊牧の世界』上下(中公新書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「牧畜文化」の意味・わかりやすい解説

牧畜文化 (ぼくちくぶんか)

近代以前の食糧獲得の諸活動,つまり生業のあり方を,その対象および獲得方法から分類するとき,採集,狩猟,農耕,牧畜との4種があるとされる。牧畜は狩猟とともに,対象が動物である点で共通し,植物を獲得する採集や農耕と対立している。ただ採集,狩猟が野生の動植物を略奪的に獲得,消費するのに対して,農耕とともに牧畜は,当の植物なり動物の生殖および成長過程に人為的に介入し,人間管理下で動植物の再生産を実現させつつ,その余剰部分を人間の側が搾取する点で,管理下で対象との共生を実現したものといえる。農耕の牧畜との差はそれゆえ,管理対象が動物か植物かの違いにすぎないともいえる。

 ただ牧畜生活の特異性を指摘しただけでは,牧畜の食生活上の特異性を見失うことになる。牧畜家畜の大半は,搾乳の対象となる。採集,狩猟や農耕がもたらす肉食も植物食も,要は人間本来のカーニボラス(肉食的)かつハービボラス(草食的)な雑食的食性,いや高等猿類以来の食性に準じた,その要求を満たすものである。それに対して牧畜は,乳利用の開始とともに,人類に他の哺乳類の乳を摂取するというまったく異種の新しい食習慣をもたらした。哺乳類は人類を含めて,確かに幼児期には母乳をのんで育つ。ただ離乳とともに,草食ないし肉食者になっていくのが一般で,他の哺乳類の乳をのむなどしないのが原則である。牧畜による乳利用の開始は,まさにこういう食性に新たな食のあり方をもたらしたといってよい。

人類が乳利用をする哺乳類は,数多くある哺乳類の中でも,きわめて限られており,羊,ヤギ,牛(水牛やヤクを含む),馬,ラクダ,トナカイなどである。かつ搾乳しない牧用家畜リャマ,アルパカを含めてさえ,その数は少なく,それらはすべて草食性の有蹄類のうちの特定の種に限られている。しかもこれらは,有蹄類の中でも比較的大きな群れをつくるものに限られている。群居性のある有蹄類が牧畜家畜として選ばれたのには,たんに哺乳類であるという理由だけでなく,群れを群れとして一挙に管理できるという,管理労働上の経済性という要因も働いていることはいうまでもない。ちなみに,肉食性動物は,一般に大きな群れはつくらない。またその肉は臭い。牧畜家畜の家畜化を行った人々が,これら限られた範囲のおとなしい動物に目をつけ,その家畜化を達成させた背後には,このような大量管理の容易さがあったといえよう。

 ところでこれら牧畜家畜が,野生から家畜化された時期について,考古学者の中でも意見の相違はあるが,牛の家畜化は,ほぼ前8000年ころにはアナトリアを含めた東地中海地域で達成され,前6千年紀にはザーグロス山脈の山麓,さらにトルキスタンにまで広まったとされる。羊とヤギは前7千年紀ごろ,しかも羊はメソポタミアの肥沃な三日月地帯,ヤギはその縁辺部で家畜化されたと考えられている。馬はそれよりさらにおそく前4千年紀,ラクダ,トナカイなどはずっと後れると考えられている。しかもトナカイを除くと,家畜化の起源地はおおむね中近東の乾燥地帯であり,かつ麦の栽培化の起源地とほぼ重なる。一年生のイネ科草原にはこれら草食性の群れが動きまわっていたに違いない。それらの群れを人はいかに家畜化したか。その経緯に諸説があるが,いまだ定説は固まっていない。ともあれ,こうして始まった牧畜は,一つは中央アジアから中国北部へ向け,他は地中海地域を経てヨーロッパへ,またスーダンを経てアフリカ各地へと広まったとみてよい。ところで半砂漠や砂漠など極乾燥に強いラクダを除くと,羊,ヤギ,馬,牛などの牧畜家畜は,乾燥ベルト周辺のステップやサバンナ地帯,さらに草地形成の容易な冬雨地帯に広く分布し,これらの地域に典型的な牧畜文化を成立させた。それに対し東南アジアやオセアニアなどは,湿潤で森林やブッシュの繁茂がきつく,草地放牧の適地を欠く。水牛や牛,そして豚などの小規模飼育は認められても,群放牧による牧畜は展開せず,集団ないし専業的職業としての牧畜民や牧夫の成立をみず,農民の副業的活動にとどまったといってよい。その点で日本も似た条件下にあり,牧での牛馬の放牧はあっても,どこまでも農山村の生業の一部として特異的に認められ,他は役畜である牛馬や豚の舎飼いが一般であった。こうして牧畜文化は,中近東,中央アジアの乾燥ベルトの縁辺部を中心として,ヨーロッパ,北・東アフリカ,そして南アメリカの山地部に展開したといってよい。
家畜

さて,牧畜文化について語ろうとするとき,いわゆる生活技術としての側面と,家畜および人-家畜関係などを対象化し,それに象徴的意味を付して,思考やコミュニケーションの道具,つまり表象手段として用いられる側面とに一応分けて語るのが適当であろう。

 生活技術としての牧畜文化は,管理の対象が動物であるという点で,農耕とはまったく異なる内容をもっている。けだし管理技術とは,人間の側の利用意図と対象生物のあり方とのすり合せの結果として存在する。では牧畜はどのような基本的技術からなっているか。

 家畜は群れをつくり,かつ移動して草をくう。舎飼いして,乾草を与えるヨーロッパ的家畜飼養は,季節的に草を欠く地域に発達した飼養法であり,労働経済の効率から考えれば,不利な環境でのやむをえぬ手法にすぎない。みずから草を持ち運ばずに,家畜の側に摂食活動をまかせるべく放牧し,かつ群れごと管理するほうがよいに決まっている。また季節的に雪や乾燥で放牧が不可能になっても,低地や高地に放牧適地があるなら,季節的に移動すれば,人が草を集めて与える必要はない。家畜群を毎日放して草をくわせる放牧が,牧畜の本来的な姿であり,この点は遊牧であれ,季節的に移動する移牧であれ変わるところはない。舎飼いは,条件的に制約されたところでのやむをえぬ牧畜形態であるといえる。

 さて放牧といっても,群れを放置しておいては,害敵に襲われたり,略奪される危険がある。また牧畜民の管理下から迷い出てしまうこともある。よい草地で放牧し,多くの乳産を計ることもまた考慮される要件である。そこにとうぜん群れを人の側につなぎとめ,放牧をガイドする牧夫の存在が必要になる。放牧しつつ群れをつなぎとめ,行動を統御する技術がそこに生ずる。日帰り放牧で群れをまとめ,思うコースに従って群れを引導する牧夫は,逸脱行動をするものを,身体的干渉や投石具などでの脅しで統御する。また特別の掛け声や口笛で群行動を制御する。こうして牧畜民は,停止や反転などその命令内容に応じた音声サインを,それぞれの地域で固有に発達させている。ところで,これらの家畜は先行個体に追随する性質をもっている。羊群などの場合,先行性の強いヤギを混入するほか,牧夫の命令語をよく了解する群れリーダーを仕立てて,これに先導役を果たさせることもある。地中海地域から中近東にかけては,去勢され,牧夫の命令に従うべく訓練された誘導オスの利用が一般的である。それは支配管理する牧夫と支配される群れとの仲介者的役割を担うものといってよい。ところがこのような去勢誘導オスの利用は,中央アジアやモンゴルの牧畜民の下では認められない。ともあれ,このような家畜とのある種のコミュニケーションを通じて管理するということは,動物管理において初めて認められる技術であり,農耕的植物管理には認められぬ側面である。

 ところで,家畜には性差があり,交尾期になると発情し,交尾する。シカ科のなかには,交尾期になるとオスが複数のメスをとりこみ,ハレムを形成するものがある。家畜化初期の段階でこのようなハレム化が起こったらどうなるか。群れはハレムの数だけに分裂し,一群管理は不可能となる。また交尾期にはオスは興奮し,群れに混乱をもたらす。交尾によるメスの妊娠が,少数のオスで達成されるなら,オス間の競合を低下すべく,種オスを少数に減らしておくほうがよい。オスの去勢ないし屠殺は,こういう点で,牛であれ羊であれ牧夫にとっての好ましい管理戦略となる。地中海地域の羊放牧民の下では,オスの幼子段階での大量屠殺が一般的である。モンゴルなどでは幼子屠殺よりもオス去勢のほうがなされる。ともあれこうして,畜群は乳産能力をもつ大半のメスと,群れの再生産のために必要な少数の種オスからなるのが一般であり,放牧群は基本的に性比の不均衡によって特徴づけられる。

 もちろん,交尾能力をもつオスなしに群れの再生産はない。ただ交尾期以前において,この種オスは,幼群の中に混入されるか,牧夫のキャンプにとどめおかれるかして,メスから隔離されている。そして交尾期の到来とともに,いっせいにメス群に混入される。ここにオス・メスの定期的隔離と融合のパターンがある。出産補助および出生直後の子の保護のための労働は軽視できない。交尾期,ひいては出産期を一定期間内に限定すれば,この種の労働は集中的に行われ,計画的集中管理が可能である。性能力のあるオスの数の削減,また種オスの定期的投入,これらの介入はいずれも群れへの性的コントロールの性格をもっているが,そのいずれも,おもにオスの性のコントロールを通じてなされている。栽培植物の管理には一般的に認められない,性への強い関心がここにある。

 さて乳を利用する牧畜民は,子がのむはずの家畜の乳の一部を人の側に搾取しなくてはならない。乳をめぐる家畜の子と牧畜民との要求は相互対立的関係にある。かつ一方を排他的に充足することはできない。出産後一定期間子への哺乳を認めてのち,搾乳を始めることでこの対立は解決されている。ただ搾乳の際,近代ヨーロッパで改良される以前の牛については,乳の張った牛の乳房を直接しぼっても乳腺は開かず,乳は出ない。搾乳のまえに実子を呼び出し,実母の乳房をふくませてのち,子を引き離して搾乳を始める催乳技術は牛牧畜で一般であった。それに対し羊にあってはこの催乳の要はない。ただ搾乳後,実子に残り乳を吸うことを許す牧畜民は少なくない。このようなことからも,実母・実子関係を牧夫はきわめてよく記憶しており,東アフリカの牛牧畜民であるイラク族など,この単位に一つの名を与えている。また母を通じた母系集団に系譜性を認めて,その単位に名を与えている例も,トルコ系の牧民に認められる。

 子は哺乳期間を終えると離乳する。冬季に生まれた子は,春の後半には完全に離乳し,オトナ群と別個の子群を形成して放牧される。こうして一つのキャンプの群れは子とオトナの2群からなっており,成長とともに順次オトナ群に子が編入されることになる。そこには,出生後順次オトナ群に編入されてついには死んでいく連続的推移のプロセスがあり,群れそのものは成員を変えつつ維持されている。植物,とくに一年生草本である麦のような場合,毎年個体は枯死し,実を結び,翌年新たな生が芽生えるというパターンを繰り返している。死・再生のパターンがそこにあるが,牧畜群にはこのようなものはない。

 以上,放牧家畜群の管理技術の基本的要素を,おもに放牧群の行動管理,また乳をめぐる母子関係への介入という側面を中心に述べた。ところでこの種の技術の多くは,放牧による牧畜に固有なものとして生まれたものである。ところがこの牧畜家畜が,定着農耕民の下で飼養されはじめたり,ヨーロッパのように冬季放牧地を欠く地域で採用されはじめるとともに,彼らは舎飼いされ,移動的摂食活動を家畜自身が行う代りに,人の側が草を刈り,それを家畜にもたらすことが必要となってくる。採草地や牧草地を持ち,草刈り労働が増すとともに,牧畜民的家畜飼養から,定着農民による牧畜という形式が現れてくる。まさに農耕的牧畜が発生する。家畜の排泄物を肥料とする有機的な農牧結合がそこに生ずる。ヨーロッパの三圃制農業は農牧の有機的結合の典型例である。ここで牧畜は農耕的サイクルの中に組み入れられ,舎飼いに伴ってさきに示した放牧に特異的な性管理も必要性を失う。ヨーロッパは牧畜的だとか,牧畜文化的要素があるということがあるが,ヨーロッパはむしろ,牧畜の周縁地域に属するということができよう。

さて,すでにみたように,農耕と対比するとき,牧畜にはいくつかの固有な特徴がある。そこには性差に応じて異なった介入があり,とりわけオスの性の数的削減と種オスの特異的管理がある。牧夫は一般に男性によってなされる。大半がメスからなる群れに対してもっぱら男性である牧夫が管理する。支配するものが男性的性をもち,管理されるものが女性的性をもつという構図がそこにある。かつメス群からなる畜群において母系的系譜が注視されるのに対して,牧畜民社会は多く父系的血縁が重視される。この相補的ともいえる対立関係が牧畜文化にとってなんらかの意味をもつものなのかどうか。家畜という自然的対象を管理する生活者が,それにそって自然を見,世界を見るときのイメージは,どのような特徴をもつか。ここに生活技術としての牧畜文化に加えてもう一つ,イメージ的表象にかかわる牧畜文化というものが考えられる。もちろん象徴表現の素材が同じでも,象徴の形式は文化に応じてさまざまでありうる。ただ象徴の素材の特性は,象徴的表現のあり方に対して制限的に働きうることも否定できない。

 旧約聖書的世界において,過越(すぎこし)の祭でオスの当年生れの子羊が犠牲にされる。それは地中海地域の牧羊者が,春に,当年生れのオス子羊を大量に屠殺する慣習と対応している。また古代以来,牧畜圏で帝国形成を行った地域には,いわゆる皇帝と人民との間を仲介する者としての宦官(かんがん)が存在した。去勢された男が,支配する者と支配される者との仲介者的位置をとる。それは牧夫と群れとの仲介的位置をとる,去勢された誘導オス・リーダーと対比的な機能を果たしている。中国の諸制度が日本に導入された際,このような宦官の制はとり入れられずに終わっている。牧畜に固有な去勢技術が人間にまで適用され,去勢家畜と同じ名称でこれらの人が呼ばれている例は,前3千年紀の古代シュメールにすでに認められる。人を家畜のあり方の延長としてながめ,規定する例は,古代インドのベーダ世界においても認められる。宦官がこのような去勢オス・リーダーの隠喩として想定され,人的管理装置の一つとして考案された可能性は高い。

 インドではいわゆる菜食主義という生活原理がある。もちろん,一般の人々は肉食を行う。ただ,このような菜食主義が一つの理想的な生き方となるということは注意すべきことである。牧畜民で菜食主義者はいない。しかし牧畜民の中には草食性の動物しか食べない人々がいる。イスラエルの民がそうであり,その宗教の影響をうけたイスラム教にあっても,この原則は共有されている。旧約聖書の食生活規制によると,偶蹄類の反芻(はんすう)する動物は食べてもよいが,それ以外の動物は食べてはならないとされている。肉食獣を食べることの禁忌は厳しい。血を食べるものは穢(けが)れるという原則になっており,彼らも牛,ヤギ,羊は食べてもよいが,その血は食べてはならないとしている。血を食べるものは肉食獣と同等の地位に堕(お)ちることを意味する。牧畜家畜はすべて草食獣である。草食獣に依存して生活する牧畜民の倫理的感性が,そこに働いているかにみえる。草食するか血を含めて肉食するかの差に弁別的価値を認める態度に,中近東世界の牧畜民的生活に根ざした価値意識の根をみることはできないだろうか。

 東アフリカの牧畜民にあっても,家畜とくに牛は象徴的に重要な意味が与えられている。スーダンやエチオピアのヌエル系の牛牧畜民の下では,牛の色や模様が細かく識別されており,男性は特定の色・模様をもつオス牛をみずからの愛寵する牛と定め,生涯の伴侶とする。またそれは,クランや部族の旗ともいえる象徴としての意味を与えられることがある。

 思考の道具としての家畜とは別に,家畜は財の象徴としても用いられる。花嫁代償(婚資)や賠償金支払の手段として,交換財として用いられるばかりか,家畜は財を産み出す動産でもある。家畜は毎年子を産む。またその子は成長して新たに子を産む。複利的な利子をもたらす財として,家畜にかかわる名詞が貨幣や資本財を表す言葉になっている例は,インド・ヨーロッパ語で珍しくはない。また家畜の貸与ないし移籍を通じた社会関係というものも,東アフリカに見いだせる。農業的な経済とは別個の,資本主義的ともいえる経済的交換の観念の原初的あり方をさえ示唆しているかにもみえる。

 生業のあり方が文化を規定するというつもりはない。生業を同じくしても,文化は異なったものでありうる。ただ,牧畜という,農耕とも狩猟とも異なる固有の象徴のモデルや経済パターンというものがあることは,以上の例をみても,確かなことである。
採集狩猟文化 →農耕文化
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牧畜文化」の意味・わかりやすい解説

牧畜文化
ぼくちくぶんか
nomadic culture

生活経済 (生業) の基盤を大型群棲動物 (ウシ,ヒツジ,ラクダ,ウマなど) の維持管理と飼育に置く諸民族の生活様式。その生業形態,家畜飼育の方法に応じて,遊牧移牧,近代的牧畜の 3形態に分類される。遊牧は北アフリカ,西アジア,中央アジア,シベリアなどの乾燥地域および寒冷地域に分布し,移牧はアルプスや西アジアの高原地帯に局地的にみられ,近代的牧畜はヨーロッパ,アメリカなどにみられる。牧畜文化の特徴は特に遊牧民にみられ,牧畜は男性の仕事とされている場合が多いため男性の権力が強く,家父長制大家族が社会・経済上の単位を形成している。さらにそれと関連して夫方居住婚,父系相続,処女性の強調,一夫多妻婚などの特徴がみられる。かつては家父長制大家族の上位集団を構成し,騎馬の風習と結合して,その組織力と機動力をもとに広大な帝国を形成したこともある。また一神教的な天の父神の観念がある一方で,動物崇拝が顕著である。今日ではそのほとんどが定着民となり,遊牧民の人口は減少した。このような文化は,狩猟採集民文化から発展したという説と,農耕文化における家畜飼育から分かれて独立したという説があるが,近年の民族学的資料では,後者を裏づけているものが多い。

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