日本大百科全書(ニッポニカ) 「牧畜文化」の意味・わかりやすい解説
牧畜文化
ぼくちくぶんか
牧畜は、群居性を有する有蹄(ゆうてい)類を群れとして管理し、搾乳によって得る乳、毛や皮、肉などの産物に基盤を置く生活様式である。伝統的な生活様式としての牧畜は、ユーラシア大陸からアフリカ大陸にかけて広くみられた。牧畜という生活様式が、いつ、どこで、どのような過程を経て人類史のなかに登場してきたかは、かならずしも明らかではない。それは、牧畜が考古学的な痕跡(こんせき)や歴史的記録を残しにくい生活様式だからである。それでも、牧畜がユーラシア大陸を斜めに貫く乾燥地域において発生したのは、間違いないことであろう。牧畜の対象となる主要な家畜は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダ、ヤク、トナカイである。いずれも、ユーラシア大陸において家畜化された。新大陸において家畜化されたラマ、アルパカはラクダ科に属するが、毛と肉の利用や荷役用に供され、搾乳の対象にはならない。
[松原正毅]
家畜化の過程
ヒツジ
ヒツジは、ヤギとともにもっとも早く家畜化されたと考えられている。ヒツジの骨は、西アジアの初期農耕遺跡から出土している。イラク北東部のシャニダール遺跡で発掘されたヒツジの骨は、紀元前9000年前後の層に属する。レバント地方のエリコ遺跡では前8000~前7000年の先土器文化層から、ギリシアのアルギッサ・マグラ遺跡では前7200年の文化層からヒツジの骨が出土している。ギリシアには野生種のヒツジは存在しなかったので、これは人間によってもたらされたと考えられる。
こうした事例から、西アジアにおいては、ヒツジが前8000年紀から前7000年紀にかけて家畜化されていたことは確かであろう。農耕の開始とほとんど同じ時代に牧畜が始まったといってよい。F・E・ゾイナーなどは、ヒツジの家畜化が中石器時代にさかのぼると主張している。前6000年紀から前5000年紀に入ると、家畜化の影響による形態的な変化がはっきり現れてくる。雌ヒツジの角(つの)がなくなり、足の骨が短くなり、ふさふさした毛になる。
ヒツジが、どの野生種から家畜化されたかについては諸説がある。野生種は40を数え、その分類についても定説はみられないようだ。最近の染色体数に基づいた研究によると、家畜種Ovis ariesはアジア・ムフロン種Ovis orientalisを祖先にしているという。アジア・ムフロン種は小アジアからイラン南部の山岳地帯にみられる。コルシカ島とサルデーニャ島だけに野生状態でみられたヨーロッパ・ムフロン種Ovis musimonは、前7000年紀ころヨーロッパにもたらされた家畜種の残存と考えられている。家畜種、アジア・ムフロン種、ヨーロッパ・ムフロン種は、いずれも染色体数が54である。
イラン東北部からアフガニスタン、インド西部の山岳地帯にみられるウリアル種Ovis vigneiを、F・E・ゾイナーは家畜種の祖先としている。ウリアル種の染色体数は58で、一部家畜種に混入しているが、直接的な祖先ではないとする説が有力である。
[松原正毅]
ヤギ
ヤギの骨は、エリコ遺跡ほか西アジアの初期農耕遺跡で前8000年ころにあたる文化層から発掘されている。ヒツジの場合と同様、家畜化による形態的な変化は前6000年紀前後から現れる。足の骨が短小化し、角が短くなり、その断面が円形または楕円(だえん)形になる。時代を経るにつれて、まっすぐな角や三日月形の角に加えて、ねじれ角の数が増加する傾向がみられる。
家畜種Capra hircusの祖先として有力視されているのは、ベゾアール種Capra aegagrusである。ベゾアール種は、アジア・ムフロン種のヒツジの分布とほぼ同様に、小アジアからインドにかけての山岳地帯にみられる。エーゲ海の諸島やクレタ島にもみられるが、初期の家畜種の残存の可能性が強い。
[松原正毅]
ウシ
ウシは、ヒツジ、ヤギより遅れて家畜化されたようだ。もっとも古い考古学的事例は、トルコのチャタル・ヒュユク遺跡やハジラル遺跡から出土し、前6500年ころとされている。前3000年紀にあたるメソポタミア初期第3王朝期のテル・アル・ウバイド宮殿のレリーフに、ウシの搾乳の場面がある。ヤギ、ヒツジの搾乳と同様に、後脚の間から搾乳をしている。当初、搾乳の方法をヤギ、ヒツジに倣ったためと推測されている。
ユーラシア大陸南東部の各種のウシ科の家畜を除けば、家畜化されたウシの原生種はオーロックスBos primigeniusだといわれている。オーロックスは絶滅した野生種で、後期更新世(洪積世)から完新世(沖積世)初期にかけて北アメリカを除く北半球(北緯30度から60度の範囲)に広く広がっていたと考えられている。開けた灌木(かんぼく)地帯から森林地帯の間で、草や木の葉、芽などを採食していたと思われる。家畜化によっておきた大きな変化は、全体的に小形化した点である。
インドから東南アジアにかけての地域では、オーロックスとは系統の異なる野生種から家畜化されたウシが数種類みられる。これらのウシは、オーロックス系統より遅れる二次的な家畜化の可能性が強い。背中にこぶのあるゼビューウシBos indicusはインド原産、アッサムからミャンマー(ビルマ)にかけてみられるミタンウシBos frontalisはインド、東南アジアの森林地帯の原産、バンテンウシBos javanicusはマレーシアから東南アジア島嶼(とうしょ)部の原産、ヤクBos grunniensはチベット高原の原産とされている。
[松原正毅]
ウマ
ウマは草原に適応した動物である。ウクライナからトルキスタンにかけての草原において家畜化が始まったと推測されている。その時期は前3000年紀といわれる。当初、肉用やウシにかわる車の牽引(けんいん)獣として利用されることが多かったが、騎乗用に使われるようになって重要性を増した。牧畜民の戦闘性が開花するのは、騎馬の技術の獲得以降といってよい。前2000年紀には騎馬は始まっていた。
ウマの野生種としては、プシバルスキーウマEquus ferus przewalskiiが有名である。モンゴル高原を中心にみられた。このほか、19世紀末までウクライナ草原に、もう一つの野生種としてタルパヌスEquus ferus gmeliniが生息していた。
[松原正毅]
ラクダ
ユーラシア大陸には、フタコブラクダCamelus bactrianusとヒトコブラクダCamelus dromedariusとがみられる。両者の染色体数はともに70で、新大陸のラクダ科の仲間(ラマ、アルパカ、ビクーナ、グアナコ)の染色体数74とは異なっている。フタコブラクダは中央アジアから東寄りの地域に、ヒトコブラクダは西アジアおよび北アフリカに分布する。西アジアではヒトコブラクダとフタコブラクダの雑種がみられる。フタコブラクダの野生種がモンゴル高原のゴビ砂漠に少数みられる。
イラン中央部のシャリ・ソクタ遺跡からラクダの糞(ふん)が発掘されている。年代は前2600年ころ、家畜化されたフタコブラクダのものと推測されている。ラクダは当初から車の牽引用、荷役用として重宝されたようだ。騎乗用には、騎馬の技術が応用されたのであろう。
[松原正毅]
トナカイ
トナカイは北緯55度から65度にかけて極北のタイガ・ツンドラ地帯に生息する。トナカイの家畜化については対極的な2説がある。一説はもっとも早く家畜化されたという立場をとり、一説はもっとも遅く家畜化されたという立場をとる。
東シベリアの諸民族はトナカイを乗用にする。これらの騎乗用の鞍(くら)は、北アジアのトルコ・モンゴル型のウマ用鞍に似ている。騎馬の技術がトナカイにも適用されたのであろう。スカンジナビアのサーミ人はトナカイを搾乳する。彼らの使用する乳、乳製品、乳製品つくり用の道具などに対する語彙(ごい)は、すべてゲルマン語起源とされている。サーミ人の搾乳の技術が、ゲルマン系の文化の影響を受けて成立したことが推測される。家畜種と野生種との間に自由な交配が成立し、形態的にも両者の区別をつけがたい点も、トナカイの家畜化が新しいことを示しているだろう。
[松原正毅]
牧畜の起源
牧畜の起源については諸説がある。大別すると、狩猟採集起源説と農耕起源説とに集約できる。狩猟採集起源説では、狩猟対象となる畜群の移動に追随するなかで、畜群を群れとして管理する技術を獲得することによって牧畜革命の成立に至ると考える。農耕起源説では、農耕を営む過程のなかで、個別的な飼育による家畜化を通じて牧畜が析出したとする。
民族学的な考察の結果によれば、牧畜の狩猟採集起源説のほうにより妥当性があると思われる。それは、現在まで観察されてきた牧畜生活が、畜群を群れとして管理する技術を基盤に成立しているという事実が有力な傍証と考えられるためである。極北のトナカイの野生群に追随していた狩猟採集民は、群れの移動に付き従いながら、必要に応じて狩猟を行う生活を長い期間続けたことであろう。狩猟対象としての群れに追随する生活のなかから、固有の群れに対する所有権が生じ、群れの行動を管理する技術が発生したと推測される。
単なる狩猟対象から群れの行動を管理する技術が発生するあたりで、毛や皮、骨などをより効率的に利用する技術も随伴したであろう。歯で睾丸(こうがん)をかみ切って去勢を施す技術が、ヒツジやヤギ、トナカイに対して適用されている。古い去勢法とみられるこの技術は、西アジアから中央アジア、極北に広くみられる。これは、おそらく群れの管理技術の一環として発生してきたものであろう。去勢は、群れのなかの種雄以外の雄の機能を奪って制御しやすくするとともに、肉を生きたまま貯蔵するうえに有効な方法だった。
[松原正毅]
搾乳技術の成立
牧畜革命の完結には、搾乳の技術が伴う必要があった。乳製品の利用によって乳の貯蔵法が成立し、初めて牧畜が一貫した生活様式として確立することができたからである。トナカイでは長い期間、バッファローではまったく搾乳が行われなかったのはなぜだろう。それは、群れの規模が大きく、個体数も圧倒的に多いため、狩猟対象としてだけで十分だったという事情があったのかもしれない。アフリカ大陸原産の数多い有蹄類が一つも家畜化されず、自成的な牧畜化の歴史がみられなかったのは、こうした条件がかかわっていたためかもしれない。もちろん、人間と共生関係をもちやすいとか、縄張り制をもたないとか、各動物の習性が家畜化への道の分岐点となっていることも前提的な条件として考慮する必要があるだろう。
現在までの資料によれば、搾乳の発生、ひいては牧畜革命の完結は、西アジアの乾燥地域で達成されたようである。ただ、牧畜革命の完結化が西アジア以外のユーラシア大陸の乾燥地域においても多元的におこりえた可能性は、まだ残されている。搾乳の技術は、どういう状況で発生したのだろうか。一つ考えられるのは、無限に近い狩猟対象から限定された畜群の利用へと状況の変化がおこったことである。限定的な状況のなかで、畜群を減少させることなく効率的に利用する方法として搾乳が始まったと考えるわけである。搾乳は、本来的に哺乳(ほにゅう)すべき子供からの横取りである。母親を失った子供への哺乳を続けるため、搾乳が始まったという状況も考えられうる。いずれにしても、さまざまな条件が組み合わさって初めて搾乳の技術が成立したのであろう。現在、家畜化された有蹄類の大部分が搾乳の対象となっている。
[松原正毅]
牧畜の諸形態
移動性の高い牧畜を遊牧という。遊牧的な生活様式においては、家財道具はもちろん、家族全員が畜群と移動をともにする。移動性の高い生活に伴って、さまざまな形のテントが発達した。フェルト製の円形のテントは中央アジア、北アジアのおもにトルコ系、モンゴル系の人々に、黒ヤギの毛で織った方形のテントはペルシア系、アラブ系を中心に、ヤクの毛で織った方形のテントがチベット系を中心に、それぞれみられる。
類型的にみれば、移動は水平的なものと垂直的なものとに大別できる。水平的な移動は草原的な環境においてみられ、垂直的な移動は山岳地域を包摂する環境においてみられる。山岳地域を夏営地とする移動は、起源的にはある種の家畜の野生種群の季節的な移動に対応しておこったものであろう。遊牧的な生活においては、普通、冬営地と夏営地が設けられる。地域によっては、これに加えて秋営地、さらに春営地が設けられることもある。各営地間を結ぶのが移動になるが、各営地に滞在中もテント地を何度も変えることはよくみられる。年間を通じての移動距離は、もっとも長いもの(アフガニスタン、イラン、トルコなどの事例)で1000キロメートル前後になる。
牧畜の形態は、遊牧的なものから定住的なものまでさまざまである。両者の間にはかなり連続的な変異がみられる。冬営地に定住的な住居と耕地をもち夏営地でテント生活を送る場合、それとは逆に夏営地に定住的な住居をもつ場合など多様な事例をあげうる。いずれにしても、いくつかの例外的な事例を除けば、牧畜の経営は原則的に世帯(家族)単位になっている。それだけに経営規模はおのずから限定され、子供を含めた家族全員の労働力が必要とされる。
生態学的な要因もあって、地域により家畜の組合せや頭数、重要度の高い家畜の種類などが異なる。遊牧的な生活様式においては、多種類の畜群を擁することが、さまざまな災害に対する保険的な措置となっている。1種類の畜群が壊滅しても別の種類の畜群が残れば、苦しい時期をしのぐことが可能になる。定住的になるほど、畜群の種類数が減少する傾向がみられる。
ユーラシア大陸の中緯度地帯の大部分では、数の多少や重要家畜の差異はあるが、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダの五畜が遊牧的な生活様式における経営対象となっている。この五畜を、トルコ語およびモンゴル語ではマルとよぶ。マルは家畜という概念にあたる。トルコ系遊牧民ユルックの一例では、遊牧生活を維持するための1世帯当りの平均的な所有頭数は、ヒツジ200~300頭、ヤギ300頭、ウシ30頭、ラクダ10頭、ウマ5~10頭となる。
[松原正毅]
牧畜文化の特徴
農耕文化と比較したとき、牧畜文化の際だった特徴の一つは、累積的蓄積を生まないことである。世帯(家族)単位という経営では、管理できる畜群の規模には一定の限界があり、乳や毛、皮などの産物は穀類のような貯蔵の対象にはなりにくい。遊牧的な生活様式においては、この傾向はますます強くなり、所有しうる財産はラクダなどの移動手段に規定される。必要最小限の生活用具以外には所有しない生活となる。累積的な蓄積を生まないという構造は、貧富の差が農耕社会ほど大きくならず、階層差も小さい、平等的な社会に結び付く。
牧畜社会においては、農耕社会と比較すると儀礼性がより簡明になる傾向がある。煩瑣(はんさ)な儀礼性を伴わないために、その社会には一種の澄明さが感じられる。ユーラシア大陸の多くの牧畜社会においては、父系血縁集団が社会組織の中核をなし、伝統的には軍事的、政治的な集団と重なり合った。
生活様式としての牧畜は、農耕では利用し尽くせない空間を、畜群を媒介にすることによって人類の側に引き寄せる機能を果たしてきた。草原や荒蕪地(こうぶち)、砂漠、山岳地域など極度に条件の悪い空間を、牧畜によって初めて広域的に利用することが可能になったのである。現在、移動性の高い遊牧的な生活様式は急速に姿を消しつつある。その生活様式を保持しうるための生活空間が侵食され、失われてしまったのが主要な原因である。定住性の強い近代的な牧畜においては、家畜の移動を妨げる囲いや柵(さく)、畜舎が重要な意味をもつようになった。そこでは、畜産の効率がもっぱら追求されている。
[松原正毅]
『『遊牧論その他』(『今西錦司全集』第2巻所収・1974・講談社)』▽『梅棹忠夫著『狩猟と遊牧の世界』(講談社学術文庫)』▽『F・E・ゾイナー著、国分直一・木村伸義訳『家畜の歴史』(1983・法政大学出版局)』▽『松原正毅著『遊牧の世界』上下(中公新書)』