採集狩猟文化(読み)サイシュウシュリョウブンカ

デジタル大辞泉 「採集狩猟文化」の意味・読み・例文・類語

さいしゅうしゅりょう‐ぶんか〔サイシフシユレフブンクワ〕【採集狩猟文化】

植物の採集や狩猟・漁労によって得た食料を生活基盤とする文化。

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改訂新版 世界大百科事典 「採集狩猟文化」の意味・わかりやすい解説

採集狩猟文化 (さいしゅうしゅりょうぶんか)

人類進化史上,狩猟はきわめて重要な役割を果たしてきた。植物性食物や昆虫などの採集をもっぱらとする霊長類の中で,常習的に狩猟を行い肉食をとりいれたグループがヒトへの進化の道をたどった。狩猟およびその結果としての肉食は,第1に協同と分配を特徴とする。大型動物の狩猟には何人もの男たちの協同作業が不可欠であり,また,こうして得られた貴重な肉は美味であるうえに希少価値も高く,したがって,集団内で分配されなければならない。価値ある食物である肉を求めて男は専業的な狩人となり,一方,女は従前どおり植物採集を行った。また肉の全食物中に占める割合は,のちに現れた北方採集狩猟民の例外的な場合を除いて,2割から4割にすぎず,採集狩猟民は一般に女性が行う採集にその生活を依存している。男女にみられる生計活動上の分業,および扶養者と被扶養者という年齢による分化を除くと,社会の成員は対等な立場で社会生活に参画し,職業,身分,階級等の分化も政治権力の集中化もみられないので,一般に,採集狩猟民の社会は平等主義をその成立基盤としているといってよい。

 こうした採集狩猟の生活様式は,地球上に最初の人類が誕生して以来およそ300万年にわたって人類の歴史を支えてきた。現生人類はおよそ3万5000年前に出現したのであるが,農耕と牧畜という生計様式が芽生えたのはたかだか1万年前のことであり,農耕民牧畜民が人類の多数派となるのはさらにのちのことである。新石器革命または食糧生産革命と呼ばれるこの画期的なできごとによって,人口は加速度的に増加し,農耕・牧畜文化を基盤とする社会は急速に拡大していった。採集狩猟社会は,農耕文化牧畜文化の影響を受けてみずから変容し,吸収され,急激に減少した。それでも15~16世紀の大航海時代までは,遠隔の各地に多数の採集狩猟社会が存続していたが,近代文明との接触以来これらの大部分は消滅してしまい,現在ではほんの少数のグループのみが砂漠や熱帯降雨林,極北の地といった,いずれも生活条件が厳しく近代文明が容易に浸透しえなかった地域に,とり残されたように残存しているにすぎない。しかし,彼らの生活様式は,今日なお人類の原初的な文化の伝統を引き継いでいると考えられる。

人類史の90%以上を占める前期旧石器時代は,ヒトの進化と文化の発達がきわめてゆっくりと進行した時代で,この時代の猿人(アウストラロピテクス)とそれに続く原人(ホモ・エレクトス)は,粗雑な加工の石核石器剝片石器を有していたにすぎない。これらの石器は,狩猟用の武器というよりも,木槍や棍棒あるいは掘棒といった狩猟具,採集具の製作用具として,また,獲物を解体するための刃物として使用されたと考えられる。初期の人類は身長120cm前後と体が小さく,武器も貧弱で,狩猟の獲物は小型の動物にかぎられていたが,のちには体も大型化し,ゾウ,スイギュウ,サイ,カバなどの大型獣を倒すほどに,狩猟技術も進歩していった。

 およそ10万年前以降の中期旧石器時代になると,人類は旧人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)段階に進化し,生活技術はさらに向上した。生活圏は寒冷な高緯度地域にまで拡大し,石器製作の技術も進歩して用途に応じた多種類の道具が作られるようになった。刺突を目的とした定型的な尖頭器が出現するのもこの時代で,本格的なが登場した。狩猟の対象とした動物も,ウシ,ウマ,シカ,トナカイ,サイなどの大型のものからネズミのような小動物まで多岐にわたった。

 約3万5000年前以降の後期旧石器時代は,現代人とまったく同じ新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)の時代である。人類の生活技術はこの時代に入って加速度的に発展した。最終氷期の後半にあたっていたが,新人は寒帯まで進出して,旧世界の全域に生活圏を拡大し,一部はそれまで空白地帯であったアメリカ大陸とオーストラリア大陸へ進出した。石器製作技術は年代が下がるにつれ飛躍的に発達してゆき,精巧で多様な形と大きさのものが作られた。投槍が使われるようになり,槍をより遠くへ飛ばすための投槍器も発明された。この時代の狩猟者たちは,狩猟獣を題材とした多くのすばらしい洞窟壁画や彫刻を残している。おそらく動物の多産と狩の獲物の豊猟を願う呪術的な目的をもって描かれたものであろうと解釈されている。

 後期旧石器時代の末には弓矢というまったく新しい武器が発明され,中石器時代をつうじて世界中に普及した。弓矢の普及とともに毒矢の使用も始まったと考えられる。槍とちがって,弓矢はより遠くから正確にかつ高速で獲物を射ることができるが,破壊力は小さく,したがって毒矢を併用することによってはじめて,狩猟効率を高めることができたからである。東南アジアや南アメリカの採集狩猟民が現在用いている吹矢にいたっては,ごく細く軽いもので,毒を用いることによりはじめて有効な狩猟具となったものである。また,最初の家畜である犬も中石器時代にはじめて出現する。この時代をつうじて人類は内陸部だけでなく海岸地帯にも生活領域を広げてゆき,骨や角を使ったやす,もり,釣針などを用いて海獣の狩猟や漁労をさかんに行うようになった。
旧石器時代

1万年前まで人類の唯一の生活様式であった採集狩猟は,農耕や牧畜の生産手段の発明とその普及によって急速に姿を消しはじめていった。とくに近代文明が地球上の隅々まで浸透するようになって,わずかに残された少数のグループさえも,いまや急速な変容の波に洗われつつある。ごく最近まで比較的伝統的な後期旧石器時代または中石器時代的な生活を営んでいた遠隔地の採集狩猟民について,その文化と社会の特質をここで検討しておきたい。それは人類史の大部分を占めた採集狩猟文化の復元を試みるための最も有効な方法でもあるといえる。

 採集狩猟民諸集団の自然環境は,熱帯の森林や砂漠から極北の氷原まで多岐にわたり,したがって,彼らの文化にはそれぞれの環境への適応によって生じたさまざまな相違がみられるものの,一方では採集狩猟の食糧獲得経済に必然的に伴う一般的共通性が認められる。彼らは環境の改変や統御といった自然への働きかけをほとんど行わず,自然資源に全面的に依存した〈手から口へ〉の経済生活を営んでおり,長期的な食糧の加工保存や備蓄を行わない。しかも野生の動植物に100%依存する生活なので,資源の供給状況からいって,1ヵ所に定住することはできず,民族によって頻度や期間には差異があるが,広範囲に及ぶ居住地の移動を繰り返さなければならない。さらに,ボート犬ぞりのような輸送手段をもっているエスキモーを除けば,普通,これら遊動的採集狩猟民の移動と運搬の手段は人力だけであり,そのため彼らが所有できる家財道具は,一度に背負って運搬できるだけの量にかぎられている。したがって,採集狩猟民の物質文化は簡素で貧弱であることが著しい特徴である。

 移動的な生活様式は,彼らの経済・社会組織にも大きな影響を与えている。採集狩猟社会の人口密度は希薄で,食糧資源にもっとも恵まれた環境に住む民族でも1km2あたり1人に満たず,大部分の社会は0.5~0.1人,または場合によってはそれ以下にとどまっている。居住をともにする集団(バンド)の大きさにも限界があり,それは数十人から100人前後までの,親族関係でつながる家族の集合によって形成されている。バンド間には婚姻を通じて親族関係が結ばれているが,バンドを超えたより大きな集団や統合機構は存在しない。

 経済・社会生活の単位は基本的に家族であり,家族内およびその集合体であるバンドのなかでは,性と年齢にもとづく分業や協同が行われるが,それ以上の特殊な分業化や専門化はみられない。互酬的な分配や交換をつうじて,バンドの成員の平等性が保たれている。バンドを統括する首長や権威者は存在せず,個人が知識や能力,経験の豊かさに応じて,社会生活の個々の場面で影響力をもつことはあるが,政治的にもバンドの成員は基本的に平等であり,バンドの統合機構は慣習的な規範にゆだねられている。

 小規模で,形式的な統合の機構を欠く採集狩猟民のバンド社会がもついま一つの特徴は,集団編成の流動性である。通常数十人程度で構成される居住集団は,頻繁な移動の過程をつうじ絶えず離合集散を繰り返す。統治者なき集団の秩序維持は,個々人の良識にもとづいた規範の順守によりなされるが,小集団内部に長時日のうちに蓄積する個人間の葛藤は,集団の分裂と融合の過程の中で有効に解消されるのである。

 一般に採集狩猟民の精神生活にあっては,人間と動物あるいは自然は,きわめて強い親近感と共感とをもって結ばれている。北方狩猟民に広くみられる熊祭の儀礼には,日本のアイヌの観念からもよくうかがわれるように,クマの姿を借りて人間の世界に現れた神を,手厚くもてなしたうえ,その仮の姿を破って神々の国に送り返すという思想がその根底に横たわっている。神は人間のこの歓待と贈物に対し,神々の国から,同様に神々の仮の姿である山の幸を豊かに送ってこれに報いるという。同様の観念は,形を変えて,アンデスの狩猟儀礼に,サンの狩りの踊りに,また,ピグミーのモリモの儀式に,といった形で表現される。動物の姿をした神が,狩猟獣の主であり保護者であるとともに,人間の助力者ともなるといった信仰は,ほとんど全世界の採集狩猟民の間にみとめられ,あるいはすでに先史時代の昔から採集狩猟民族に普遍的なものであったのかもしれない。
漁労文化 →狩猟
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「採集狩猟文化」の意味・わかりやすい解説

採集狩猟文化
さいしゅうしゅりょうぶんか

植物性食物を採集し、動物を狩るという生活様式は、地球上に最初の人類が誕生して以来およそ300万年にわたって人類の進化史を支えてきた。現生人類は約3万5000年前に出現したが、農耕と牧畜という生業形態が芽生えたのは約1万年前に至ってからのことであり、農耕民と牧畜民が人類の多数派となったのはさらにあとのことである。今日では、採集狩猟民は、文明から遠く隔たった地球上の辺境の、農耕や牧畜に不向きな環境のもとに少数が残存しているにすぎないが、彼らの生活様式は、今日なお人類の原初的な文化の伝統を引き継いでいる。

 採集狩猟民諸集団の自然環境は、熱帯の森林や半砂漠から極北の氷原まで多岐にわたり、彼らの文化にはそれぞれの環境への適応によって生じたさまざまな相違があるものの、食糧獲得経済に必然的に伴う一般的共通性が存在する。彼らは環境の改変や統御をほとんど行わず、自然資源に全面的に依存した「手から口へ」の経済生活を営んでおり、長期的な食糧の加工保存や備蓄を行わない。そのため彼らは、頻度や期間には差異があるが、周期的に一定のテリトリー(領域)内を季節移動する。一方、ボートや犬ぞりを利用するエスキモーを除けば、彼らの移動と運搬の手段は人力だけであり、そのため彼らが所有できる家財道具は、一度に背負って運搬できるだけの量に限られる。したがって、採集狩猟民の物質文化は簡素で貧弱であることが著しい特徴となっている。

 移動的生活様式は、彼らの経済・社会組織にも強い影響を与えている。採集狩猟社会の人口密度は希薄であり、食糧資源にもっとも恵まれた環境に住む部族でも1平方キロメートル当り1人に満たず、大部分の社会は0.5~0.1人またはそれ以下にとどまっている。こうした移動的社会集団をバンドといい、成員は数十人から100人前後である。バンドは一般に血縁集団であることが多いが、バンド内部の家族間を結び付ける規則性は明確でない。しかし一般的に父系的傾向が強いようにみられるのは、夫方居住婚、バンド外婚の結果からもたらされたものである。このように、バンド間には婚姻を通じて親族関係が結ばれているが、バンドを超えたより大きな集団や統合機構は存在しない。

 経済・社会生活の単位は一般に核家族であり、家族内およびその集合体であるバンドのなかでは、性と年齢に基づく分業や協同が行われるが、それ以上の特殊な分業化や専門化はみられない。そして互酬的な分配や交換を通じて、バンドの成員の平等性が保たれている。バンドを統括する首長や権威者は存在せず、個人が知識と経験の豊かさや能力に応じて、バンド生活の個々の場面で影響力をもつことはあるが、政治的にもバンドの成員は基本的に平等であり、バンドの統合機構は慣習的な規範にゆだねられている。このようにバンドは本質的に家族の集合体にすぎない。採集狩猟民が生計維持のために費やす時間は、1日平均3~4時間といった程度であり、彼らは豊富な余暇の時間を談笑や歌と踊りなどによって過ごし、これらを通じてバンド内のコミュニケーションが絶えず保たれるのである。

[丹野 正]

『E・R・サーヴィス著、蒲生正男訳『現代文化人類学2 狩猟民』(1972・鹿島出版会)』『S・ヘンリ著『採集狩猟民の現在 生業文化の変容と再生』(1996・言叢社)』『遠藤匡俊著『アイヌと狩猟採集社会 集団の流動性に関する地理学的研究』(1997・大明堂)』『小島曠太郎・江上幹幸著『クジラと生きる 海の狩猟、山の交換』(中公文庫)』

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