改訂新版 世界大百科事典 「犂」の意味・わかりやすい解説
犂 (すき)
plough
plow
役畜に牽引させて耕地を耕起する農具。灌漑技術とともに,農業史における特筆すべき発明といわれ,犂の改良が農業の生産力の大きな飛躍をもたらした。犂の登場はまた,牛車と並んで,人間が自らの筋力以外の〈動力〉を初めて使用した例として,技術史的にも重要な事件であった。畜力用耕具の犂に対し,掘棒,鍬(くわ)(耨),鋤(すき)などは人力用耕具と呼ぶ。産業革命を経てトラクターが発明されるまでの19世紀前半には,ヨーロッパやアメリカでは蒸気機関に犂をひかせて耕起することもあったが,今日では蒸気犂による機械耕はトラクター耕に取って代わられた。またイランやサハラの砂漠地帯の小オアシスでは大家畜を飼養しえないので,人間が犂を牽引する例もある。
犂農業と鍬農業
使用耕具が畜力耕具か人力耕具かによって世界の農業を二大別することが可能で,その代表的な耕具の名を冠して犂農業と鍬農業とよぶことができる。ヨーロッパ人の世界進出が本格化する直前の16世紀初めをとると,犂農業の広がりはユーラシアでは東端は島嶼部にまで及び,西日本-ルソン島-ミンダナオ島西部-セラム島-小・大スンダ列島を連ねる線がその東境であった。また大陸部では朝鮮半島-華北-中央アジアのおのおの北端の線以南の砂漠地方を除くアジア,およびヨーロッパのほぼ全域を含んでいた。アフリカでは犂農業は地中海沿岸,ナイル川河谷,スーダン・エチオピア北東部,紅海沿岸に限られていた。一方,鍬や鋤による鍬農業は旧大陸ではほぼ熱帯地方に分布し,南および東南アジアでは犂農業と重なり合っていた。新大陸は鍬農業地帯に属しており,そこに犂農業が波及するのはヨーロッパ人の入植を待たなければならなかった。
犂農業は,〈犂-その牽引手段としての大家畜(牛,馬,ラクダなど)の飼養-主要栽培作物としての麦,稲,雑穀-種子を播種して繁殖させる種子農業〉の基本複合からなる。これに対し鍬農業は,その中心地である湿潤熱帯をとると,〈鍬-無畜(人力依存)-根菜類-作物体のさし芽などにより繁殖させる栄養繁殖農業〉を基本複合とし,犂農業と鋭く対立する。大家畜に犂を結合させて大面積を耕起し,そこに種子を播種し,個々の作物体ではなく圃場の管理に重点をおく穀作農業というのが犂農業の原型である。一方,鍬農業は人力耕具で小面積を耕し,根菜類や樹木作物の栄養繁殖を通じて個々の作物体を管理する農業である。アジアに比べてアフリカでは犂農業が熱帯地方にまで及びえなかったのは,ツェツェバエのため牛の飼養が困難であったことによる。
犂の起源
犂の起源については諸説があるが,おおまかにいえば西アジアからインド北西部に及ぶ地帯で発明されたと考えられる。それは,前記の犂農業の基本複合のうち,各種の麦類,雑穀の一部(アワ,キビ),大家畜(牛,ラクダ)の原産地がいずれもこの範域に含まれていることによる。掘棒から犂の発生を考えるウェルトEmil Werthは,犂農業と鍬農業の併存地帯のうちインド北西部からアフガニスタン付近を起源地と想定している。一方前3千年紀ごろに犂の存在がメソポタミアで確認されること,また車輪のような家畜の牽引力利用の発明地が西アジアと考えられることなどから,この範域でも西寄りに犂の発生地を求める見解もある。犂の前身についても諸説がある。ハーンEduard Hahnは鍬から犂へと唱えたが,ウェルトは掘棒を牽引することから犂が発生し,犂の最も古い形態は掘棒に牽引用の轅(ながえ)をとりつけた無床の掘棒犂だとしている。旧大陸の犂農業地帯ではさまざまな犂が使用されてきたが,ウェルトはこれを六つにまとめている。
犂の諸類型
(1)インド犂 犂身が犂底・犂柄と一体化した犂で,犂身が犂底へと変化していく屈曲部の上方からまっすぐに犂轅がのびて,牡牛2頭用の軛(くびき)に接続され牽引される。分布範域はインド亜大陸に中心があり,同亜大陸内では西端部の冬雨型乾燥地帯を除く全域に分布する。さらにアジア大陸の内陸部にも広がり,東方ではチベット,新疆,モンゴル西半部,西方ではアフガニスタン北部からカスピ海東岸部,ウラル山脈にまで及んでいる。つまりインド犂の地帯がアジア大陸の犂農業地帯を中央部で南北に縦断しているのである。インド犂は無床ないしは短床が多く,犂底の幅も小さいため深く耕すのに適している。しかし犂先は犂底の先端のみにとりつけられ,かつそりがないので,耕土を両側にかえすのみである。無床の場合にはインド犂は掘棒に牽引用の心棒をとりつけた形態をしており,犂が掘棒から発展したことをうかがわせる。内陸アジアの乾燥地帯になると,同じ短床のインド犂でも犂底の平面形は幅広の三角形状となって,深く土中に入らず浅耕用のものに変化する。
(2)湾轅犂 犂轅が湾曲していることからこの名でよばれる。長床の犂底をもち,長い場合には1m以上にも達する。犂底の前寄りから犂轅がのびて牡牛2頭用の軛に接続され,また後端部にはまっすぐな犂柄が取り付けられている。分布範域はインド亜大陸西端部から西方に広がり,アフガニスタンとイランの南部,メソポタミアを経て地中海の南北沿岸に及び,さらにイベリア半島,フランス西部にまで達している。これらの地帯はいずれも冬雨型乾燥地帯に属する。湾轅犂は長床のため耕土を浅く攪拌するのみなので,雨水の土壌水分への転化と保全に適する。乾燥地帯では,深耕すれば貴重な土壌水分を蒸発させてしまうだけである。
(3)方形犂 原型はインド犂にあり,犂底と犂轅とを固定させる犂柱が短床の犂底の前方部に取り付けられた犂。その発達した形態では,長床の犂柱,犂柱,犂身,犂身の中ほどからまっすぐにのびる犂轅の四つが方形の断面を形成するので,方形犂とよばれる。分布はインド犂地帯の北西方からイラン高原,トルコ,バルカン半島を経て東欧,中欧,フランス東部にまで広がっている。湿潤なアルプス以北のヨーロッパでは除草のための耕土反転が必要であるが,長床犂のままではその機能を果たしえないのでさまざまな工夫が重ねられてきた。その完成された形態では,犂底の先端にあった犂先が犂底の片側にうつるとともに巨大化して垂直状の撥土板つきの犂先へと変化し,その前方には犂轅から犂刀がのび,短くなった犂轅の前方部には車輪(一般には左右相称の2輪)が取り付けられ,さらに犂柄も両手で支える二重犂柄へと変化していった。車輪と二重犂柄によって運転操縦性能を高めるとともに,犂刀によって耕土を切開し,重く巨大な犂先によって深耕し,その耕土を撥土板によって片側に反転させる犂となった。鉄製部分も多くなり,牽引も牡牛2頭から数頭~十数頭の馬の連畜へと変化した。軛も使用されず,ロープ,鎖によって犂轅は役畜に接続されるようになった。近代的な犂はこの車輪犂の延長上に生まれたものである。湾轅犂と車輪犂とが併存したフランスでは,前者をアレールaraire,後者をシャーリュcharrueとよんで区別してきた。英語のプラウplough,plowは後者を意味する。
(4)対犂(ロシア犂) インド犂2機を横にならべて固定した双柄双刃犂で,犂轅も2本ある場合が一般的。固定は犂柄,犂身,犂轅におのおの横木をわたしてなされ,犂柄上端の横木が取っ手となる。インド犂と方形犂の両地帯間に介在するヨーロッパ・ロシアを主たる分布範域とする。この変型はメソポタミアで古代から使用されてきた双柄単刃犂などにみられる。
(5)マレー犂 形はインド犂に類似した犂柄と犂底が一体化した短床犂であるが,犂先の構造が異なっている。マレー犂では,木あるいは鉄製の細長い犂先が犂底の上面の溝にそって犂柄にまでさし込まれ,また犂先の先端は犂底よりもやや前に突出している。このため犂底は犂先としての機能を持たない。インド犂では三角形状の鉄製の犂先を上面に固定した犂底の先端が全体として犂先の機能を果たしている。マレー犂の分布範域は,インド犂地帯の南東部に接続するインドネシアの犂農業地帯,マレー半島,インドシナ半島南端部である。木あるいは竹製のまっすぐな犂轅をもち,2頭用軛に接続されて牽引される。
(6)枠型犂(中国犂) 日本でいう〈唐犂(からすき)〉にあたる長床犂である。その発展した形態では,犂底と犂柄が別個の材からなっている点では湾轅犂に似ており,また犂底・犂柄・犂轅・犂柱の四つで囲まれた部分の断面が四辺形の枠型をなす点では方形犂に似ている。しかし両者との相違点は,犂轅が短くかつ湾轅犂の犂轅が上方に屈曲していくのに対して,枠型犂では前面にむかうにつれ湾曲しつつ下方に低下していくこと,また犂先が犂柱の前部にほぼ垂直ぎみにとりつけられ,かつ湾曲していることである。犂轅の下方低下の特徴は,(1)~(5)のいずれの犂も2頭用軛に犂轅を接続させて使用されるのに対して,枠型犂が1頭の牛あるいは水牛に2本の綱で接続させて牽引される揺動犂であることによる。この揺動犂方式の単畜牽引法は,枠型犂とおなじく長床犂である湾轅犂地帯でも散見される。それは,2本のロープによって牽引されても,ともに長床のため安定性がよいからであろう。犂先の特徴は,(1)~(5)の犂の犂先が,車輪犂を除いていずれも犂底の上面にとりつけられているのに対して,枠型犂のみがもつ特質である。つまり枠型犂は独自の展開をとげた犂なのである。分布範域はインド犂地帯の北東方に接続し,中国,朝鮮半島,日本,台湾,フィリピン,インドシナ半島北部である。またこの範囲を超えて南のマレー犂地帯にも及んでいる。
→農具 →農耕文化
執筆者:応地 利明
日本の犂
日本における犂の系譜は図1のように,長床犂と無床犂の二つの流れがある。長床犂は前記(6)の唐犂で,中国の華北で使われていたものが伝えられ,以後も形を変えることなく使われてきた。本来が華北の乾燥農業用で浅く耕すものであった。それでも肥料をほとんど施さない時代では有効であったが,戦国時代に至る間に施肥が一般化してくると耕深が足りないため,鍬にとって代わられた。しかし,犂床が長くて幅があるため耕盤を塗り固める作用があり,水持ちの悪い田に用いられたし,年中湛水したままの水田(施肥量は少なかった)の浅い耕起にも用いられた。一方,無床犂は朝鮮半島からかなり早い時代に伝えられたのではないかと考えられている。長床犂がおもに水田地帯で使われていたのに対し,無床犂は畑作地帯や山間で使われてきたようである。形態的には,前者にほとんど地方によって変型がないのに対し,後者にはさまざまな変型がみられるが,これは地方ごとに個別の工夫がなされて近代に至ったからであろう。犂耕が見なおされるようになったのは近代になってからで,水田の乾田化と深耕,肥料の増投による収量増が叫ばれたからである。近代に入る以前,九州地方では深耕のできる発達した無床犂(抱持立犂)が使われていた。そしてこれが全国に紹介されたが,その難点は犂のバランスをとるのに熟練と体力を要することであった。この点を解決するために開発されたのが短床犂で,長床犂の安定性と無床犂の可能耕深とをとり入れたものである。その試みは近代以前から九州にあったが明治20年代から本格化し,昭和の初めまで続いた。短床犂は近代日本農業を支えてきた耕具といえる。昭和30年代は耕耘機ブームの10年といわれるが,その前半は短床犂装着の歩行型トラクターの普及がめざましく,短床犂の歴史のなかで最大の生産台数をあげたが,後半に入りロータリー耕耘機が普及しはじめ,それにつれ犂は使われなくなった。なお,犂の英語名はplough(英),plow(米)であるが,日本の犂のことを単に〈すき〉,西洋の犂を〈プラウ〉と呼ぶことが多い。また,日本の犂を〈和犂〉と書いて区別することもある。
執筆者:堀尾 尚志
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