改訂新版 世界大百科事典 「犯罪人引渡し」の意味・わかりやすい解説
犯罪人引渡し (はんざいにんひきわたし)
extradition
犯罪人引渡しとは,他国の法に触れた犯罪容疑者または有罪判決を受けた者が自国に滞在しているとき,外交経路により引渡請求がなされた場合,当該国に訴追または処罰のために引き渡すことをいう。逃亡犯罪人引渡しともいう。逃亡とは,外国で犯罪を犯した者が逃亡してきたことを意味するのではなく,本来の裁判権から逃亡していることをいう。犯罪人引渡しは,追放(退去強制)とともに強制的出国の一方法である。追放が行政行為としてなされるのに対し,引渡しは,犯罪抑圧のための国際協力としてなされる刑事国際司法共助の一種である(国際共助)。
犯罪人引渡しは古くから存在したが,主として政治犯,亡命者や異端者の引渡しがときどき行われる程度であった。18世紀から19世紀前半の時期には,脱走兵の引渡しを規定した条約が多数結ばれた。19世紀後半以降,国際交通の飛躍的発展とともに,普通犯罪人の逃亡も増加し,引渡しのための条約や国内法の整備も一段と進んだ。
一般国際法上,国家に犯罪人を引き渡す義務はない。しかし,国家は,犯罪人引渡条約(日本が結んでいるのは1997年末現在,1978年の日米犯罪人引渡条約--1886年に結ばれたものを全面改正したもの--のみ)により,国内法(日本は1953年公布の逃亡犯罪人引渡法)により,あるいは,国際礼譲により,犯罪人引渡しを行っている。日米犯罪人引渡条約では,その付表に列挙した犯罪と死刑・無期もしくは長期1年以上の拘禁刑に処しうる犯罪を引渡犯罪とする。通常軽微な犯罪について引渡しは行われない。
〈政治犯不引渡しの原則〉は,フランス革命以後の個人の政治的自由尊重の風潮と政治犯を現政権に引き渡すことが必ずしも得策でないとの理由から主張され,1833年のベルギー法や多くの条約中において規定されるようになった。しかし,19世紀後半には外国元首とその家族に危害を加える行為は政治犯罪とみなさないとするベルギー(加害)条項(〈加害条項〉の項参照)やいっさいの国の政治的秩序を破壊しようとするアナーキストを不引渡しの対象としない傾向が生まれた。一国の政治秩序を害することを目的とする政治犯罪であっても普通犯罪の要素を伴う場合(相対的政治犯罪)は,引渡しとの関連で政治犯罪とみなされないとする条約が,集団殺害罪(ジェノサイド),ハイジャック等の航空犯罪や国際テロ行為について結ばれている。〈政治犯不引渡しの原則〉が慣習国際法として確立しているか否かについて,学説は分かれている。現代の国際社会において,同質的な国家間では,〈政治犯不引渡しの原則〉を排除する傾向があり,他方,イデオロギーや体制の異なる国家間では,犯罪の性質決定をめぐり被請求国に裁量の余地を認める傾向が存在する。
犯罪人引渡しがなされる犯罪人は,通常請求国か第三国国民に限られ,被請求国の国民は引き渡されない(〈自国民不引渡しの原則〉)。しかし,イギリス,アメリカでは刑罰法規の適用に属地法主義をとって自国民も引き渡しており,この原則は,慣習国際法とはいえない。
執筆者:西井 正弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報