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紀元前2世紀末、中国、漢の武帝のとき、万里の長城の西端に置かれた関。南道の出発点である陽関とともに、中国と西域(せいいき)諸国との境界となっており、北道の出発点であった。のち、武帝が河西(かせい)四郡を置いて西域経営を行ったとき、その拠点ともなった。西域諸国から玉(ぎょく)を輸入するとき、この地を経たことにより、その名がある。その位置は、時代により変動はあるが、晋(しん)代以前は、1907年、イギリスのスタインの考古調査により、敦煌(とんこう)県の北西約100キロメートルにある小方盤城がその地であることが証明された。城は方形で、北と西とに門があり、北門の外には疏勒(そろく)河が流れていた。六朝(りくちょう)時代には、安西からハミに至る道が重要となり、関は東方の安西の双塔堡(そうとうほ)付近へと移った。宋(そう)代以後は、オアシス・ルートの衰退に伴って関も廃された。
[片桐 功]
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