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王蒙 おうもうWang Meng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王蒙
おうもう
Wang Meng

[生]至大1(1308)
[没]洪武18(1385).9.10.
中国,元の画家。元末四大家の一人。湖州 (浙江省呉興) の人。字は叔明,号は黄鶴山樵,香光居士。趙孟 頫 (ちょうもうふ) の外孫で,陶宗儀は従兄弟。一時仕官したこともあるが,元末に呉興の黄鶴山に隠れ,詩,書画を楽しむ。明代に入って泰安州 (山東省) の知事となり,胡惟庸 (こいよう) の乱に連座して獄死。董源 (とうげん) ,巨然の画法を学び,趙孟 頫 (ちょうもうふ) に似た画風を示した。全画面を塗りつぶすような構図や,粘りのある披麻皴 (ひましゅん) に代表される筆法 (→皴法 ) には独自のものがあり,明,清の文人画家に多大の影響を及ぼした。代表作『青卞 (せいべん) 隠居図』 (1366,上海博物館) 。

王蒙
おうもう
Wang Meng

[生]1934
中国の作家,文芸批評家。「百花斉放百家争鳴」に呼応した官僚主義批判の小説『組織部から来た青年』 (1956) で注目されるが,翌年に起った反右派闘争で右派分子とされる。 1979年に名誉回復し,小説『布礼』を発表,文革後も残る官僚主義に対する批判を行なった。 86年文化相となり,創作の自由を主張,89年の民主化運動を支持したが,その後解任された。

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デジタル大辞泉の解説

おう‐もう〔ワウ‐〕【王蒙】

[1308ころ~1385]中国、元末・明初の画家。呉興(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は叔明(しゅくめい)。号は香光居士・黄鶴山樵(こうかくさんしょう)。董源(とうげん)・巨然(きょねん)の画風を学び、山水画にすぐれた。元末四大家の一人。

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百科事典マイペディアの解説

王蒙【おうもう】

中国,元代の画家。元末四大家の一人。浙江の人。字は叔明。杭州の北の黄鶴山に隠棲し,黄鶴山樵と号した。絵は初め外祖父の趙孟【ふ】に学び,のち王維巨然らを学んで,複雑な構図の壮大な山水画を特色とした。
→関連項目王【ふつ】

王蒙【おうもう】

現代中国の作家。1956年,共産党が学術・文学・芸術の一定範囲内での自由を保証するスローガン百家争鳴百花斉放〉を掲げたのに応え,文芸界では〈現実関与の文学〉が合言葉となり,王蒙は官僚主義批判の短編〈組織部に新しく来た青年〉を発表して注目された。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうもう【王蒙 Wáng Méng】

1308‐85
中国,元末・明初の文人画家。元末四大家の一人。字は叔明。号は香光居士,黄鶴山樵。浙江省呉興(湖州)の人。元末に黄鶴山に隠棲したといわれる。明朝に仕え,山東省泰州の知州となったが,胡惟庸の獄(1380)に連座して獄死した。趙孟頫(ちようもうふ)の外孫で,詩文,書画をよくした。とくに山水画は趙孟頫,さらに董源,巨然を学んで,倪瓚げいさん)の蕭散体とは対照的な稠密で律動的な様式を創造し,同時代の蘇州や明・清の呉派系山水画家に大きな影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

おうもう【王蒙】

1308~1385) 中国、元末・明初の画家。字あざなは叔明、号は黄鶴山樵。董源とうげん・巨然きよねんの風を学び山水画に長じ、元末の四大家の一人に数えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王蒙
おうもう
(1308―1385)

中国、元代末期の画家。黄公望(こうこうぼう)、呉鎮(ごちん)、倪(げいさん)とともに元末の四大家と称され、南宗画(なんしゅうが)大成者の一人。字(あざな)は叔明(叔銘)、号は黄鶴山樵(こうかくさんしょう)、別に香光居士とも号す。湖州(浙江(せっこう)省呉興県)の人で、趙孟(ちょうもうふ)(子昂(すごう))の外孫。初め官職についたが、兵乱にあって黄鶴山(浙江省杭州(こうしゅう)市北東)におよそ30年間隠居し、明(みん)の洪武(こうぶ)初年(1368)ごろに至り仕官し、泰安州(山東省泰安市)の知州となったが、胡維庸(こいよう)の謀反事件に巻き込まれて78歳で獄死した。
 画事は初め外祖父趙子昂の影響下にあったが、のちには範を王維、董源(とうげん)、巨然(きょねん)に求めた。その画風は壮大な高遠山水で、細密な皴(しわ)を執拗(しつよう)に重ねて上昇する山岳を表し、人物や家屋の細緻(さいち)な描写を特色とする。倪(げいさん)とは対照的な作風を示す王蒙の山水画は、南宗画の一典型として、後世の明清(みんしん)時代の画家に多くの影響を与えた。[星山晋也]

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世界大百科事典内の王蒙の言及

【元末四大家】より

…中国,元末から明初にかけて活躍した黄公望,呉鎮,倪瓚(げいさん),王蒙の4人の文人画家。ともに董源,巨然を学び元初の趙孟頫(ちようもうふ)などの復古主義の成果をふまえ,おのおのが強い個性を反映して独自の山水画様式を樹立した。…

【中国文学】より

…彼は,中共中央に提出した長文の《文芸に関する意見》(1954)で,〈指導〉という名の党の干渉こそは文芸を窒息させるもとであるとして,文芸により広範な自由を与えよ,と主張したが,中共は毛沢東の直接指導下に,胡風を〈反革命分子〉として断罪した。ついで,反右派闘争(1957)の過程では,党の官僚主義を批判する作品を書いた若い作家の王蒙や劉賓雁などが〈右派分子〉として批判され,これ以後,党の〈指導〉を問題にすることは,事実上タブーとなった。 むろん,だからといって作家たちがまったく窒息させれられていたわけではなく,50年代末から60年代初めにかけては質的にかなり高い作品が数多く現れた。…

※「王蒙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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