「日本書紀」神功皇后摂政元年二月条によると、神功皇后が新羅遠征からの帰途、難波へ向かって瀬戸内海を航行中、船が旋回して進めなくなった。このとき稚日女尊が「吾は活田長峡国に居らむとす」と教示して鎮座し、同時に鎮座した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県神戸市中央区下山手通に鎮座。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。社伝によると神功(じんぐう)皇后が外征より凱旋(がいせん)したとき、稚日女尊の「吾(われ)を活田長峡国(いくたながおのくに)に祀(まつ)れ」との神誨(しんかい)により、海上五十狭茅(うながみのいさち)が祀ったのが起源とされている。平城(へいぜい)天皇の御代、806年(大同1)には摂津44戸をもって神封とされた。今日、当地を神戸(こうべ)と称するのはこの生田社の神戸(かんべ)によるものといわれている。868年(貞観10)従(じゅ)一位を授けられ、『延喜式(えんぎしき)』には名神(みょうじん)大社に列せられている。社地「生田の森」は平安時代には『拾遺和歌集』、鎌倉時代には『順徳(じゅんとく)院百首』『夫木(ふぼく)和歌集』などに歌い込まれて古来文人墨客に喧伝(けんでん)され、また1184年(元暦1)源平合戦の古戦場として名高くなった。以来武家、藩主、また当地住民の崇敬を受け、1896年(明治29)官幣中社に列格した。例祭は4月15日。正月に門松のかわりに杉の小枝を厄塚として盛る杉盛神事、7月15日の千灯祭などの特殊神事がある。社宝に後陽成(ごようぜい)天皇および後西(ごさい)天皇の宸翰(しんかん)、和田岬神幸絵巻1巻などがある。
[吉井貞俊]
神戸市中央区に鎮座。稚日女(わかひるめ)尊をまつる。《日本書紀》によると神功皇后が外征より凱旋するとき,武庫の水門で船が進まなくなったので占ったところ稚日女尊の〈吾を活田(いくた)の長峡(ながお)の国に祀れ〉との教えがあり,海上五十狭茅(うなかみのいさち)に命じてまつらせた。これが本社の起源という。806年(大同1)に神戸44戸を充てられ,868年(貞観10)には従一位を授けられた。延喜の制では名神大社,祈雨神祭85座の一社に列せられている。1896年官幣中社となる。社地は源平の古戦場生田の森として知られ,境内には歌枕になっている生田の池,箙(えびら)の梅,敦盛の萩がある。杉盛神事,千灯祭の特殊神事がある。例祭4月15日。
執筆者:加藤 隆久
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