生田神社(読み)イクタジンジャ

デジタル大辞泉 「生田神社」の意味・読み・例文・類語

いくた‐じんじゃ【生田神社】

神戸市中央区にある神社。旧官幣中社。祭神は稚日女尊わかひるめのみこと。社地は源平合戦などの古戦場

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精選版 日本国語大辞典 「生田神社」の意味・読み・例文・類語

いくた‐じんじゃ【生田神社】

  1. 神戸市中央区下山手通にある神社。旧官幣中社。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)神功皇后が新羅からの帰り、神託により活田長峡国(いくたのながおのくに)にまつったのを起源とする。延喜式内名神大社。生田さん。

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日本歴史地名大系 「生田神社」の解説

生田神社
いくたじんじや

[現在地名]中央区下山手通一丁目

六甲ろつこう山系禰宜ねぎ山の麓、生田川右岸に鎮座。旧官幣中社、祭神は稚日女尊。

〔草創〕

日本書紀」神功皇后摂政元年二月条によると、神功皇后が新羅遠征からの帰途、難波へ向かって瀬戸内海を航行中、船が旋回して進めなくなった。このとき稚日女尊が「吾は活田長峡国に居らむとす」と教示して鎮座し、同時に鎮座した長田ながた神社(現長田区)広田ひろた神社(現西宮市)などとともに航海を助けたという。航海神であったとみられ、当初は海上から指標となる孤丘のいさご(丸山)に祀られていたが、大洪水で砂山の麓が崩壊したため刀根七太夫が神体を背負い現在地に移したという(摂津名所図会)。「延喜式」神名帳八部やたべ郡に「生田イクタノ神社名神大、月次相嘗新嘗」とある。なお同書四時祭によれば一一月祭(相嘗祭)に預かる七一座中の当社に絹二疋・糸一一両・綿三屯・調布三端四尺・酒稲五〇束などが供された。また同書玄蕃寮によれば、新羅使などに供する神酒は当社と長田広田の三社および大和片岡かたおか神社(現奈良県王寺町)から各五〇束が当社に集められ、当社で酒使が酒を醸した。これは摂津における酒造発祥とされる。


生田神社
いくたじんじや

[現在地名]一宮市千秋町芝原 石原

宮田みやだ街道の東にあり(天保村絵図)、創建は天平勝宝四年(七五二)と伝える(徇行記)。祭神は稚日女尊。旧郷社。境内社は津島社・秋葉社。「延喜式」神名帳に「生田神社」、尾張国神名帳に「従三位上 生田天神」とあり、江戸期には生田大明神(寛文覚書、徇行記、天保村絵図)、生田天神(府志)、生田神社(尾張志)と称した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「生田神社」の意味・わかりやすい解説

生田神社
いくたじんじゃ

兵庫県神戸市中央区下山手通に鎮座。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。社伝によると神功(じんぐう)皇后が外征より凱旋(がいせん)したとき、稚日女尊の「吾(われ)を活田長峡国(いくたながおのくに)に祀(まつ)れ」との神誨(しんかい)により、海上五十狭茅(うながみのいさち)が祀ったのが起源とされている。平城(へいぜい)天皇の御代、806年(大同1)には摂津44戸をもって神封とされた。今日、当地を神戸(こうべ)と称するのはこの生田社の神戸(かんべ)によるものといわれている。868年(貞観10)従(じゅ)一位を授けられ、『延喜式(えんぎしき)』には名神(みょうじん)大社に列せられている。社地「生田の森」は平安時代には『拾遺和歌集』、鎌倉時代には『順徳(じゅんとく)院百首』『夫木(ふぼく)和歌集』などに歌い込まれて古来文人墨客に喧伝(けんでん)され、また1184年(元暦1)源平合戦の古戦場として名高くなった。以来武家、藩主、また当地住民の崇敬を受け、1896年(明治29)官幣中社に列格した。例祭は4月15日。正月に門松のかわりに杉の小枝を厄塚として盛る杉盛神事、7月15日の千灯祭などの特殊神事がある。社宝に後陽成(ごようぜい)天皇および後西(ごさい)天皇の宸翰(しんかん)、和田岬神幸絵巻1巻などがある。

[吉井貞俊]


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改訂新版 世界大百科事典 「生田神社」の意味・わかりやすい解説

生田神社 (いくたじんじゃ)

神戸市中央区に鎮座。稚日女(わかひるめ)尊をまつる。《日本書紀》によると神功皇后が外征より凱旋するとき,武庫の水門で船が進まなくなったので占ったところ稚日女尊の〈吾を活田(いくた)の長峡(ながお)の国に祀れ〉との教えがあり,海上五十狭茅(うなかみのいさち)に命じてまつらせた。これが本社の起源という。806年(大同1)に神戸44戸を充てられ,868年(貞観10)には従一位を授けられた。延喜の制では名神大社,祈雨神祭85座の一社に列せられている。1896年官幣中社となる。社地は源平の古戦場生田の森として知られ,境内には歌枕になっている生田の池,箙(えびら)の梅,敦盛の萩がある。杉盛神事,千灯祭の特殊神事がある。例祭4月15日。
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百科事典マイペディア 「生田神社」の意味・わかりやすい解説

生田神社【いくたじんじゃ】

神戸市中央区下山手通に鎮座。旧官幣中社。稚日女(わかひるめ)尊をまつる。神功皇后三韓征討の翌年,大和へ帰る途中,神の教示によってこの地にまつらせたと伝える。延喜式内の名神大社。社地は源平合戦の故地の生田の森。例祭4月15日。ほかに千灯祭(7月15日)などがある。
→関連項目神戸[市]中央[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生田神社」の意味・わかりやすい解説

生田神社
いくたじんじゃ

神戸市中央区に鎮座。延喜式内社。元官幣中社。ただし,1945年第2次世界大戦で社殿は焼失,59年に再建された。祭神はワカヒルメノカミ。『日本書紀』によれば,神功皇后が三韓出兵からの帰途,海上で船が進まなくなり,祭神の託宣で活田長峡国 (いくたのながおのくに) に祭祀されたいとの神勅を得,海上五十狭茅 (うながみのいさち) に祀らせたのが起源と伝えられる。例祭4月 15日。境内に源平合戦の古戦場生田の森がある。

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デジタル大辞泉プラス 「生田神社」の解説

生田神社

兵庫県神戸市にある神社。延喜式内社。祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。縁結びで知られ、地元では「いくたさん」とも呼ばれる。

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