田村隆一(読み)タムラリュウイチ

デジタル大辞泉 「田村隆一」の意味・読み・例文・類語

たむら‐りゅういち【田村隆一】

[1923~1998]詩人。東京の生まれ。第二次大戦後、鮎川信夫らと「荒地」を創刊。戦後詩の旗手として活躍。「言葉のない世界」で高村光太郎賞、「詩集1946~1976」で無限賞、「奴隷の歓び」で読売文学賞、「ハミングバード」で現代詩人賞を受賞ほかに「四千の日と夜」など。推理小説の紹介・翻訳でも知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田村隆一」の意味・わかりやすい解説

田村隆一
たむらりゅういち
(1923―1998)

詩人。大正12年3月18日、東京に生まれる。明治大学文芸科卒業。戦後詩を代表する詩誌『荒地(あれち)』出身の詩人の一人。府立三商時代、北村太郎らと詩作を始め、村野四郎らの『新領土』、中桐雅夫(なかぎりまさお)、鮎川信夫(あゆかわのぶお)らの『LE BAL』などに参加、また加島祥造(1923―2015)、三好豊一郎(みよしとよいちろう)らを知り、詩作を深める。学徒出陣で海軍予備学生として敗戦(第二次世界大戦)を迎えたが、戦後いち早く『新詩派』『純粋詩』『VOU』などに作品を発表。1947年(昭和22)に黒田三郎、鮎川信夫、中桐雅夫、北村太郎、木原孝一と、月刊『荒地』を創刊。年刊アンソロジー『荒地詩集』を編集するなど、活発な詩活動に入る。おもな詩集に、10年間の詩作を集成した第一詩集『四千の日と夜』(1956)、『言葉のない世界』(1962。高村光太郎賞)、『緑の思想』(1967)などのほかに、実験的語法による『死語』(1976)、『誤解』(1978)、『スコットランド水車小屋』(1982)、『陽気な世紀末』(1983)、『奴隷の歓(よろこ)び』(1984。読売文学賞)、『ぼくの航海日誌』(1991)、『ハミングバード』(1992。第11回現代詩人賞)、自ら「最後の詩集」と予告していた生前最後の詩集『1999』(1998)など多数ある。晩年まで一貫して文明批評を伴った独自の時代意識を歌い続けた。選詩集に現代詩文庫『田村隆一詩集』『続・田村隆一詩集』『続続・田村隆一詩集』など。日本芸術院賞受賞。没後2年目に『田村隆一全詩集』が思潮社から刊行された。対談集に『青い廃墟(はいきょ)にて』(1973)、『ぼくの中の都市』(1980)など。『詩人の旅』(1981)、『退屈無想庵』(1993)など軽妙な多数のエッセイ集、旅行記も親しまれた。アガサ・クリスティのミステリー小説やロアルド・ダールRoald Dahl(1916―1990)『あなたに似た人』などの翻訳で、名翻訳家としても人気があった。1998年(平成10)、英訳詩集『The Poetry of Ryuichi Tamura』がアメリカで刊行されている。

[吉田文憲 2016年1月19日]

『『現代詩文庫1 田村隆一詩集』(1968・思潮社)』『『現代詩文庫110 続・田村隆一詩集』(1993・思潮社)』『『現代詩文庫111 続続・田村隆一詩集』(1993・思潮社)』『『田村隆一詩集 誤解』(1978・集英社)』『『ぼくの中の都市』(1980・出帆新社)』『『スコットランドの水車小屋』(1982・青土社)』『『田村隆一詩集 陽気な世紀末』(1983・河出書房新社)』『『生きる歓び』(1988・集英社)』『『ぼくの航海日誌』(1991・中央公論社)』『『ハミングバード―田村隆一詩集』(1992・青土社)』『『退屈無想庵』(1993・新潮社)』『『ぼくの人生案内』(1998・小学館)』『『詩集 1999』(1998・集英社)』『『帰ってきた旅人』(1998・朝日新聞社)』『『田村隆一エッセンス』(1999・河出書房新社)』『『田村隆一全詩集』(2000・思潮社)』『『詩人の旅』(中公文庫)』『清水昶著『詩人の肖像』(1981・思潮社)』『笠井嗣夫著『田村隆一――断絶へのまなざし』(1982・沖積舎)』『大岡信・谷川俊太郎編『現代の詩人 田村隆一』(1983・中央公論社)』『思潮社編・刊『現代詩読本・特装版 田村隆一』(2000・思潮社)』『大岡信著『現代の詩人たち』(講談社文芸文庫)』

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20世紀日本人名事典 「田村隆一」の解説

田村 隆一
タムラ リュウイチ

昭和・平成期の詩人



生年
大正12(1923)年3月18日

没年
平成10(1998)年8月26日

出生地
東京府北豊島郡巣鴨村字平林(現・東京都豊島区)

学歴〔年〕
明治大学文芸科〔昭和18年〕卒

主な受賞名〔年〕
高村光太郎賞(第6回)〔昭和38年〕「言葉のない世界」,無限賞(第5回)〔昭和52年〕「詩集1946〜1976」,読売文学賞(第36回・詩歌・俳句賞)〔昭和59年〕「奴隷の歓び」,現代詩人賞(第11回)〔平成5年〕「ハミングバード」,日本芸術院賞(文芸部門 第54回 平9年度)〔平成10年〕

経歴
府立三商時代からモダニズム系の同人雑誌「新領土」「ル・バル」などに参加。復員後鮎川信夫らと「荒地」を創刊し、昭和31年「四千の日と夜」を刊行。48年文明批評的な一貫した主題の追求と体験的に身につけた自然観とを一体化した「新年の手紙」を刊行。「荒地」同人。38年第二詩集「言葉のない世界」で高村光太郎賞を、59年「奴隷の歓び」で読売文学賞を受賞、また52年には無限賞を受賞。他に詩集「スコットランドの水車小屋」「1999」「田村隆一全詩集」、評論集「若い荒地」、エッセイ「詩人のノート」「インド酔夢行」などもあり、クィーンやロアルド・ダール、クリスティなど多くの翻訳書もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田村隆一」の意味・わかりやすい解説

田村隆一
たむらりゅういち

[生]1923.3.18. 東京
[没]1998.8.26. 東京
詩人。府立第三商業学校を経て 1941年明治大学文芸科に入学,学徒動員で出征し,海軍航空隊に配属された。三商在学中から詩作を始め詩誌『新領土』などに参加していたが,47年,三好豊一郎,鮎川信夫,黒田三郎らと『荒地』を創刊,その中心的存在として活躍した。戦争体験に裏づけられた文明批評を鮮明な心象風景として造形,詩における「戦後」を体現した詩人の一人と目される。詩集『四千の日と夜』 (1956) ,『緑の思想』 (67) ,『新年の手紙』 (73) ,『奴隷の歓び』 (84) などがある。また推理小説の翻訳に『Yの悲劇』などの名訳がある。 98年日本芸術院賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村隆一」の解説

田村隆一 たむら-りゅういち

1923-1998 昭和後期-平成時代の詩人。
大正12年3月18日生まれ。中学時代から詩作をはじめ,戦後鮎川信夫らと「荒地」を創刊。昭和31年「四千の日と夜」を発表。38年「言葉のない世界」で高村光太郎賞,52年「詩集1946~1976」で無限賞,60年「奴隷の歓び」で読売文学賞,平成5年「ハミングバード」で現代詩人賞。10年芸術院賞。詩論集「若い荒地」のほかに,クイーンやクリスティーなどの推理小説の翻訳もおおい。平成10年8月26日死去。75歳。東京出身。明大卒。

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367日誕生日大事典 「田村隆一」の解説

田村 隆一 (たむら りゅういち)

生年月日:1923年3月18日
昭和時代;平成時代の詩人
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田村隆一の言及

【エリオット】より

…死ぬまで出版社フェーバー・アンド・フェーバー社の重役でもあった彼の生涯は,ジョイス,パウンドらにくらべ,功成り名とげたまれな20年代作家のそれであったといえよう(1948年ノーベル賞受賞)。日本では,春山行夫らによっていち早く紹介され,深瀬基寛らに思想的影響を与え,西脇順三郎に同時代的反響をこだまさせ,田村隆一ら第2次大戦後の詩人に〈荒地〉派の名前を残した。【高橋 康也】。…

※「田村隆一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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