改訂新版 世界大百科事典 「由義宮」の意味・わかりやすい解説
由義宮 (ゆげのみや)
奈良時代,769年(神護景雲3)から770年(宝亀1)ころ河内国にあった離宮。称徳天皇は河内国若江郡の弓削氏出身の僧道鏡を寵幸し,太政大臣禅師さらに法王に任じ,供御は天皇に準ずる待遇を与えた。769年宇佐八幡宮神託事件の直後,10月に天皇は道鏡の出身地,若江郡弓削郷に由義宮と号する離宮を建て,ここに行幸した。河内国を河内職と改め,特別行政地域とし,その長官河内大夫に藤原雄田麻呂(後の百川(ももかわ))を任命した。和気清麻呂が神託事件で大隅へ配流中,彼が資を送り助けたことは興味深い。天皇は由義宮で弓削氏一族に位を与え,高年者に物を賜い,大県,若江2郡の調を免じ,安宿,志紀2郡の田租の半ばを免じた。翌770年大県,若江,高安3郡百姓の宅で由義宮の宮域に入る者にはその価を給した。宮域の広さがわかる。2月27日宮に行幸,3月博多川に遊楽,歌垣を行った。4月由義寺の塔を造り始めた。しかし還幸後,天皇は病み,同年8月4日に没した。由義宮址の正確な位置は不明。
執筆者:横田 健一
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