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由義宮 ゆげのみや

百科事典マイペディアの解説

由義宮【ゆげのみや】

769年から770年頃まで河内にあった称徳天皇離宮。位置は不明。769年の宇佐(うさ)八幡宮神託事件ののち,天皇は寵臣道鏡(どうきょう)の出身地である若江郡弓削(ゆげ)郷に離宮を造営し行幸(ぎょうこう)した。
→関連項目餌香市

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世界大百科事典 第2版の解説

ゆげのみや【由義宮】

奈良時代,769年(神護景雲3)から770年(宝亀1)ころ河内国にあった離宮。称徳天皇は河内国若江郡の弓削氏出身の僧道鏡を寵幸し,太政大臣禅師さらに法王に任じ,供御は天皇に準ずる待遇を与えた。769年宇佐八幡宮神託事件の直後,10月に天皇は道鏡の出身地,若江郡弓削郷に由義宮と号する離宮を建て,ここに行幸した。河内国を河内職と改め,特別行政地域とし,その長官河内大夫に藤原雄田麻呂(後の百川(ももかわ))を任命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

由義宮
ゆげのみや

河内国若江郡(わかえぐん)弓削郷(ゆげごう)に所在した称徳天皇の宮。弓削郷は称徳天皇に寵遇された道鏡の出身地であり、765年(天平神護1)の紀伊行幸の際に、称徳天皇はこの地に行宮(あんぐう)を設けて立ち寄り、弓削寺に参詣した。この時、大臣禅師の地位にあった道鏡に新たに太政大臣禅師の地位を与えた。4年後の769年(神護景雲3)、宇佐八幡の神託による道鏡の皇位継承が和気清麻呂(わけのきよまろ)らにより阻まれた直後に、天皇は再び由義宮に行幸し、竜華寺に仮店舗を置き、河内の市人を集めた。由義宮を西京と称させ、所在の河内国を河内職(かわちしき)と改めた。翌770年(宝亀1)には、由義宮の領域に入る大県(おおがた)・若江・高安(たかやす)3郡の百姓の宅を買い入れ、造由義大宮司を任命して造営を進めた。天皇も宮に行幸したが、この時病となり平城京に戻って崩御し、以後、宮は衰退したと考えられる。現大阪府八尾市(やおし)八尾木(やおぎ)の辺りが故地と伝えられるが、遺構などは定かでない。[本郷真紹]

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