百済敬福(読み)くだらのけいふく

精選版 日本国語大辞典 「百済敬福」の意味・読み・例文・類語

くだら の けいふく【百済敬福】

  1. 奈良時代陸奥国司。百済義慈王の子禅広の曾孫。姓は王(こにき)天平二一年(七四九)、東大寺大仏鍍金(ときん)に使う黄金九〇〇両を朝廷献上。功によって従三位宮内卿に任じられる。のち刑部卿。天平神護二年(七六六)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「百済敬福」の意味・わかりやすい解説

百済敬福 (くだらのけいふく)
生没年:698-766(文武2-天平神護2)

奈良時代の渡来系の官人。百済王敬福とも。百済の義慈王の子禅広は,舒明朝に母国滅亡後百済王の号を賜った。敬福はその禅広の孫郎虞の第3子。738年(天平10)に陸奥介とみえ,翌年正六位上より従五位下に昇る。743年陸奥守,746年上総守となるが,同年再び陸奥守となる。749年(天平勝宝1)大仏鋳造が成って塗金料が不足したときに,陸奥国内小田郡より出た黄金900両を献じ,聖武天皇の寵愛を受けて従三位に昇り,翌年宮内卿となる。のち常陸,出雲伊予讃岐などの国守を歴任するが,その間757年(天平宝字1)には橘奈良麻呂の変で捕らえられた人々の拷問にあたった。また764年には外衛大将とみえ,孝謙先帝の命により淳仁天皇を捕らえている。翌年には称徳天皇の紀伊行幸に従い,帰途河内弓削寺で百済の舞を奏した。766年に刑部卿従三位,歳69で没している。性放縦にしてこだわらず,すこぶる酒色を好み,政事の量を備えたと伝える。
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百科事典マイペディア 「百済敬福」の意味・わかりやすい解説

百済敬福【くだらのけいふく】

奈良時代の渡来(とらい)系官人。百済王(くだらのこきし)敬福ともいい,〈きょうふく〉とも読む。父は百済の義慈(ぎじ)王の曾孫(そうそん)郎虞(ろうぐ)。738年には陸奥介(むつのすけ)でのち陸奥守となり東北経営に従事した。749年陸奥国小田郡で国内初めての金を産出,敬福は鋳造なった大仏の塗金料として黄金900両を献じた。性放縦(ほうしょう)にしてこだわらず政治の量を備えたという。極官は従三位刑部卿(じゅさんみぎょうぶきょう)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「百済敬福」の解説

百済敬福 くだらの-きょうふく

698-766 奈良時代の公卿(くぎょう)。
文武天皇2年生まれ。百済良虞(ろうぐ)の3男。陸奥守(むつのかみ)在任中の天平(てんぴょう)21年東大寺大仏建立のために黄金900両を献上し,従五位上から従三位となる。のち宮内卿,外衛(がいえの)大将,刑部(ぎょうぶ)卿などを歴任。酒色をこのみ,政治の力量があったという。天平神護(てんぴょうじんご)2年6月28日死去。69歳。

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