改訂新版 世界大百科事典 「皇室祭祀」の意味・わかりやすい解説
皇室祭祀 (こうしつさいし)
皇室の祭祀は背後に長い伝統をもつが,1908年皇室祭祀令が制定されるに及び定型化し,47年同令が廃止された後も,皇室の私事としてほぼ同令の規定に準拠して行われている。祭祀令は,皇室の祭祀を大祭と小祭に分け,大祭は天皇みずから祭典を行い,小祭は掌典長が祭典を執行し,天皇が拝礼するものと定めている。
大祭
1月3日の元始(げんし)祭,2月11日の紀元節祭,春分の日の春季皇霊祭・同神殿祭,4月3日の神武天皇祭,秋分の日の秋季皇霊祭・同神殿祭,10月17日の神嘗(かんなめ)祭,11月23~24日の新嘗(にいなめ)祭,および先帝祭(毎年の命日),先帝以前3代の式年祭(没後満3,5,10,20,30,40,50,100年,以後100年ごとの命日),先后の式年祭,母后の式年祭が大祭である。このうち神嘗祭と新嘗祭以外は,みな明治以後に創制されたものである。神嘗祭はすでに大宝・養老の神祇令にも載せる祭祀で,新穀を伊勢神宮に奉献するものである。9月16日外宮,17日内宮において行われたが,1871年(明治4)以降宮中の賢所でも祭典が執行され,79年からは10月17日が祭日と定められた。新嘗祭は天皇が諸神を招いて新穀を共食し,収穫を感謝するもので,上古以来11月の2番目の卯日に行われたが,1873年の改暦後,11月23日を祭日と定めた。平安宮では中和院の正殿神嘉殿で行われたが,明治の宮城造営以後は,宮中三殿(賢所,皇霊殿,神殿)の西隣に造立された神嘉殿で行われた。元始祭は1月3日年頭に当たり宮中三殿に皇祖以下祖霊,諸神を祭るもので,1870年に創設された。神武天皇の即位日とされる2月11日の紀元節祭は73年,春秋二季に祖霊を祭る皇霊祭,諸神を祭る神殿祭は78年に新設されたが,紀元節祭は1948年の紀元節廃止により停廃された。
小祭
1月1日の歳旦祭,2月17日の祈年祭,11月3日の明治節祭,12月中旬の賢所御神楽,天皇誕生日の天長節祭,先帝以前3代の例祭(命日),先后および母后の例祭,歴代天皇の式年祭が小祭である。このうち祈年祭は神祇令所載の古い祭典で,毎年2月4日豊作を祈願して全国の神社に奉幣するものであるが,宮中三殿においても2月17日に祭典を行うことが皇室祭祀令に定められた。賢所御神楽は平安中期一条天皇のときに始まるといい,賢所の神霊に慰謝する祭典である。そのほかの祭典はみな明治以後に創設されたもので,元旦宮中三殿の神霊に奉謝する歳旦祭は祭祀令制定の際に新設され,明治節祭は1928年明治天皇の偉業をたたえてその誕生日を明治節としたとき新定,天長節祭は1870年天長節制定とともに創設された。しかし1948年の祝祭日改定に際し,明治節は〈文化の日〉と改められたため,祭典は廃止され,天長節は天皇誕生日と改称されたので,祭典は天長祭と改名された。
執筆者:橋本 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報