凸レンズを通して見る一種の玩具絵。鑑賞法には,覗機関(のぞきからくり)の箱の中に納めて前方の眼鏡からのぞく方式のものと,平面上に絵を置き,その上に45度の角度で設置した鏡面に映して,その映像をさらに凸レンズで拡大して見る方式とがある。興行用には前者が利用され,個人用には後者が愛好された。絵は西洋画の透視遠近法(遠近法)を応用した野外の風景画か広壮な建築の室内描写で,レンズを通して見るため左右は逆像となっている。もともとは西洋発祥のもので,オランダからヨーロッパ製のものが,中国から中国製のものが舶載され,日本の絵画界に未知の合理的な遠近表現を教え,強く刺激した。京都では円山応挙が玩具屋の依頼を受けて一時製作にかかわり,江戸では奥村政信らの浮世絵師が影響を受けて浮絵(うきえ)という形式を生んだ。浮絵は鑑賞の際にレンズを通さず眼鏡絵とはいえないが,司馬江漢の銅版画は眼鏡絵として意識的に作られたものである。眼鏡絵の流行は日本人の視覚の働きを庶民レベルから大きく変えることになる。
執筆者:小林 忠
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凸レンズの眼鏡を通して見る絵。箱の一方に絵をはめ、他方にレンズを置いて拡大して見るだけの「覗絵(のぞきえ)」と、のぞきからくり(覗機関)に用いる「からくり絵」の2種類がある。後者は、平面に置いた絵をその上に45度の傾斜角で設置した鏡に映し、さらに鏡面の像を凸レンズで拡大して見るため、画面は左右逆像に描かれている。ヨーロッパではパリとアウクスブルクでおもにつくられ、18世紀に入ってから普及したが、同世紀前半のうちに早くも中国経由で日本に伝わっている。西洋画の透視図法で描いた遠近表現が珍しがられて流行し、円山応挙(まるやまおうきょ)や司馬江漢(こうかん)らの大家も、その初期には多くの眼鏡絵を制作している。江戸中期以降に流行する洋風画の一種で、浮世絵の一ジャンルとなる「浮絵(うきえ)」も中国清(しん)朝の眼鏡絵の影響によって生まれたと考えられている。
[小林 忠]
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近世絵画の一様式で,凸レンズを通してみるために制作された絵,またその鑑賞法。原理はオランダや中国からもたらされ,鑑賞法には覗絵(のぞきえ)と覗きからくりの2種がある。西洋画の透視図法を用いて遠近感が強調された景観図が多く,円山応挙や司馬江漢らが描いている。浮絵(うきえ)の発生にも影響を与えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…オランダでは17世紀に〈のぞき眼鏡箱peep‐show box〉がつくられて,小さな箱の中に広い室内の情景をつくりだした。また眼鏡絵は18世紀後半から日本でも円山応挙,司馬江漢らによってつくられたが,これはレンズを通すことによって強調された遠近法を楽しむものであった。18世紀末から,とくに19世紀中期以後のパノラマ,ジオラマはそうした視覚遊戯の発展したものであり,現在でも自然博物館で用いられている。…
…15歳のころ京都へ出て,鶴沢派の画家石田幽汀(1721‐86)に画技を学ぶ。生活のため眼鏡絵の制作に従事し,中国版眼鏡絵を模写,応用して京名所を描いた。これにより奥行き表現への関心を開かれたが,京名所眼鏡絵には機械的な透視遠近法を避けようとする意識もみられ,そのみごとな成果が1765年の《淀川両岸図巻》である。…
※「眼鏡絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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