西洋の遠近透視画法を用い、遠近感を強調して描かれた浮世絵のこと。画面がくぼんで見えることから、「くぼみ絵」ともよばれた。おもに劇場内部や室内、あるいは風景などが描かれ、版画、肉筆画ともに作品がある。享保(きょうほう)年間(1716~1736)末ごろから浮世絵に用いられたとする見解が定着しているが、作品は確認されておらず、最古の確実な作例とされるものに、1744年(延享1)春に版行された舞台図が知られている。一般化し始めたのは延享(えんきょう)年間(1744~1748)ごろと考えられる。なお、浮世絵にこの技法を取り入れた創始者は奥村政信(まさのぶ)といわれ、現存する作品も少なくはないが、まだ遠近画法の理解が不十分であったため画面の不統一が目だつ。のち歌川豊春(とよはる)によって、数多くの浮絵が発表され、画法もおよそ完成されたとみられている。
[永田生慈]
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…また政信は,みずから版元奥村屋を経営したように,企画力と実行力に富み,版画表現の新機軸をつぎつぎと打ち出し,長期不況の時期にあってよく浮世絵の活況を持続させた。たとえば,西洋画の透視遠近法をいち早く取り入れて〈浮絵(うきえ)〉という新しいジャンルを開発したり,画面の比率が極端に縦に長い〈柱絵(はしらえ)〉とか,細判を3図分横につなげて一連とする三幅対物などを考案,流行させている。その弟子の利信(生没年不詳),あるいは西村重長が政信と並行して活躍,ほかに鳥居派様式を形式化させた2代清信,2代清倍の役者絵が一般の支持を集めて多産された。…
…一方,日本では江戸時代中期(18世紀)以後に西洋の透視遠近法についての関心が深まった。はじめ,その影響は眼鏡絵や浮絵などの民衆絵画の範囲にとどまったが,やがて洋風画家による遠近法の研究も始まって,一部の南画(文人画)家や円山四条派の画家もその感化をこうむるようになった。また,幕末に栄えた浮世絵の風景版画も,西洋の遠近法の影響を受けている。…
…もともとは西洋発祥のもので,オランダからヨーロッパ製のものが,中国から中国製のものが舶載され,日本の絵画界に未知の合理的な遠近表現を教え,強く刺激した。京都では円山応挙が玩具屋の依頼を受けて一時製作にかかわり,江戸では奥村政信らの浮世絵師が影響を受けて浮絵(うきえ)という形式を生んだ。浮絵は鑑賞の際にレンズを通さず眼鏡絵とはいえないが,司馬江漢の銅版画は眼鏡絵として意識的に作られたものである。…
※「浮絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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