デジタル大辞泉 「石破茂」の意味・読み・例文・類語 いしば‑しげる【石破茂】 [1957~ ]政治家。東京の生まれ。祖父や父も政治家。慶応義塾大学卒業後、銀行員となる。父の死を受け出馬した昭和61年(1986)の総選挙で、鳥取全県区(中選挙区)から衆議院議員に初当選。平成5年(1993)に自由民主党を離党し新生党・新進党に参加するも、のちに自民党に復党。防衛庁長官・防衛大臣・農林水産大臣・自民党政調会長・同幹事長などを経て、令和6年(2024)年に首相就任。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石破茂」の意味・わかりやすい解説 石破茂いしばしげる [生]1957.2.4. 東京,千代田政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2024~ )。衆参両院議員と全国の党員の投票による 2024年9月27日の自由民主党総裁選挙で勝利し,10月1日の臨時国会で第102代首相に指名,承認された。2008年の初出馬以来 5度目の挑戦となった今回の総裁選挙は,第1回投票で高市早苗議員に次ぐ 2位だったが,決選投票で逆転勝利し,長年の悲願を果たした。 建設事務次官から,鳥取県知事と参議院議員をそれぞれ 4期と 2期にわたって務めた政治家,石破二朗の長男として東京都千代田区で生まれた。小中学校は父親の地元の鳥取県で過ごすが,上京して慶應義塾高等学校,慶應義塾大学へと進み,卒業後の 1979年に三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職した。しかし,父の死去に伴い,後継者となるべく,父と親しかった田中角栄元首相の事務所で働きながら政治家への道を目指した。1986年,鳥取県全県区から 29歳で衆議院議員に初当選,当時としては最年少の国会議員となった。以後,2024年10月の衆議院議員総選挙まで 13回の当選を重ねる。1993年から一時的に新生党や新進党に移ったが,1997年に自民党に復帰し,歴代内閣で防衛庁長官,防衛大臣,農林水産大臣,国務大臣(地方創生・国家戦略特別区域担当)などを歴任し,党の政務調査会長,幹事長も務めた。 群れることを嫌い,政権への直言派として知られ,しばしば党の重鎮との不和が伝えられていた。しかし,2024年の自民党総裁選挙は旧派閥グループの支援があっての勝利となったため,率直に自身のいたらなさをわびたうえで新内閣に各グループから人材を起用し,党内融和をはかる意思を印象づけた。10月4日の所信表明から 5日後の 10月9日に衆議院を解散し,10月27日投開票の衆議院選挙に臨んだが,自民党と公明党の与党は過半数を割り込む結果となり,厳しい船出となった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石破茂」の解説 石破茂 いしば-しげる 1957- 昭和後期-平成時代の政治家。昭和32年2月4日生まれ。元鳥取県知事・参議院議員の石破二朗の長男。三井銀行(現・三井住友銀行)勤務をへて,昭和61年衆議院議員に初当選(当選10回)。平成5年自民党を離党,翌年新進党結党に参加する。9年自民党に復党。自民党屈指の安全保障政策通で農林水産総括政務次官,防衛総括政務次官などをつとめ,14年第1次小泉内閣第1次改造内閣の防衛庁長官で初入閣。19年福田康夫内閣の防衛相。20年麻生内閣で農水相。21年自民党政調会長。24年自民党幹事長。26年第2次安倍改造内閣で地方創生担当,内閣府特命担当相(国家戦略特別区域)として入閣,第3次安倍内閣でも留任。鳥取県出身。慶大卒。著作に「国防」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by