神呪寺(読み)カンノウジ

デジタル大辞泉 「神呪寺」の意味・読み・例文・類語

かんのう‐じ【神呪寺】

兵庫県西宮市にある真言宗御室派の寺。山号摩尼山淳和天皇の妃如意尼が天長8年(831)に創建と伝える。現在の本堂は元禄9年(1696)再建のもの。空海の作と伝える本尊如意輪観音重文甲山かぶとやま大師。じんじゅじ。

じんじゅ‐じ【神呪寺】

かんのうじ(神呪寺)

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精選版 日本国語大辞典 「神呪寺」の意味・読み・例文・類語

かんのう‐じ【神呪寺】

  1. 兵庫県西宮市甲山(かぶとやま)町にある真言宗御室派の寺。山号は摩尼山または甲山。天長八年(八三一)淳和天皇の次妃真井御前(如意尼)が空海を開山に創建。のち源頼朝が再興。本尊の如意輪観音は日本三如意輪の一つ。かんのじ。甲山大師。じんじゅじ。

じんじゅ‐じ【神呪寺】

  1. 兵庫県西宮市甲山(かぶとやま)町にある真言宗御室派の寺、神呪寺(かんのうじ)別称

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日本歴史地名大系 「神呪寺」の解説

神呪寺
かんのうじ

[現在地名]西宮市甲山町

かぶと山の南山腹にある真言宗御室派の寺院。通称甲山大師。摩尼山宝珠院と号し、本尊は如意輪観音。「元亨釈書」には淳和天皇の第四妃如意尼が、天長五年(八二八)二月、弁財天霊告によって甲山に赴いて寺院を建立、同年一一月には空海を招いて如意輪法を修したという伝承がみえ、神呪寺縁起(寺蔵)もこの伝承に従っている。これに対し「帝王編年記」には天長四年、皇后正子内親王の霊夢を聞いた淳和天皇が橘氏公・三原春上を派遣して寺を建立させ、如意輪観音像を本尊としたとあり、これが前者の素型となった可能性が高い。また同書には承元四年(一二一〇)鳥羽上皇が奥院を建て、阿弥陀三尊像と四天王像を安置したという所伝もみえる。なお神呪寺縁起は源頼朝が梶原景時奉行として荒廃していた寺院を中興したとするが、他の史料で裏付けることはできない。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院領目録(島田文書)の御祈願所の項に「摂津国神雄寺」とみえ、殷富門院の祈願所となり、宣陽門院に受継がれ、当時は能覚の沙汰するところであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神呪寺」の意味・わかりやすい解説

神呪寺
かんのうじ

兵庫県西宮(にしのみや)市甲山(かぶとやま)町にある寺。真言宗御室(おむろ)派に属する。山号は甲山(かぶとやま)。通称甲山大師で知られる。寺伝によると、淳和(じゅんな)天皇の妃(きさき)真井御前(まないごぜん)が弘法(こうぼう)大師空海に帰依(きえ)して出家し、如意尼(にょいに)と称し、831年(天長8)勅願を奉じて堂を建立したのに始まるという。その後、寺は栄枯盛衰を繰り返し、源頼朝(よりとも)が再興したが、天正(てんしょう)年間(1573~92)兵火で諸堂を焼失。現本堂は江戸時代の建立。本尊の如意輪観音(にょいりんかんのん)(国の重要文化財)は、空海が如意尼の姿を桜の木に刻んだと伝える秘仏(開帳5月18日のみ)で、室生寺、観心寺の2体とともに日本三如意輪の一つに数えられる。

[金岡秀友]

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