関東平野の東辺,茨城県のほぼ中央部,筑波山塊南端にある山。標高877m。平野からはそびえてみえ,関東の名山として知られる。付近は花コウ岩を主体とした深成岩類,古生層から変成した変成岩類,古生層,第四紀層が分布している。山体上部は男体(なんたい)山(870m),女体(によたい)山(876m)の2峰に分かれ,斑レイ岩によって構成されている。この斑レイ岩は,花コウ岩に取り込まれた捕獲岩で,岩質が固いため残丘状に山頂にとり残されたという説と,花コウ岩を貫入する岩体であるという説がある。北麓の桜川市の旧真壁町では豊富な花コウ岩を利用して石材業が行われ,山尾ではザクロ石を産する。
この山にちなむ古い史実や伝説も豊かで,万葉の時代から多く歌に詠まれ,歌垣(うたがき)の行われたところとしても知られる。関東平野を一望できるため,ケーブルカー,ロープウェー,観光道路などの行楽の施設も整っており,新緑,紅葉の季節はにぎわいを見せ,水郷とともに水郷筑波国定公園を構成する。南山腹の筑波山神社の境内には,クスノキ,シイ,ツバキなど暖地性の大木が茂る。ツクバグミ,ツクバスゲ,ツクバショウマなど筑波山にちなむ名がつく植物は10種をこえる。標高800mのところに自然研究路があり,県内の代表的な植物や昆虫の生態を知るには好都合である。冬季には気温の逆転現象による高温域が標高100~300mの斜面にみられ,これを利用してミカンの栽培が行われ,古い品種のフクレミカンやウンシュウミカンが栽培される。また筑波山のガマは〈ガマの油売〉の口上で全国的に有名で,毎年8月初旬に筑波山神社境内でガマ祭が行われる。
執筆者:山野 隆夫
筑波山は〈西の富士,東の筑波〉と並び称される秀麗な山容で知られ,山頂の二つの峰には筑波男大神(伊弉諾(いざなき)尊),筑波女大神(伊弉冉(いざなみ)尊)の男女2神がまつられ,中腹にその2神をまつる筑波山神社がある。筑波山信仰の特色は農業神としての信仰が中核を占めてきたこと,筑波山信仰が広い地域に普及しているにもかかわらず,御師集落も形成されず独自の信仰圏をほとんどもたないこと,山岳の多くが時代をさかのぼるにつれて登拝者が修行者に限られてくるのに対して,筑波山の場合には《万葉集》にみる歌垣や《常陸国風土記》の神祖(みおや)伝承のように,古代から人々が盛んに登拝した山であったことなどである。農業の守護神としての性格は,田の神・山の神の交替する信仰の代表例とされ,全国的に分布する御座替(おざかわり)神事,山麓部の村々で豊作と一年の安全を祈って行われる大当(だいどう)講の行事に端的に表れている。筑波山神社の南西の一画に坂東三十三所観音霊場第25番札所の大御堂(おおみどう)がある。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
茨城県西部にある山。主峰女体山(にょたいさん)(877メートル)とその西の男体山(なんたいさん)(870メートル)の2峰よりなる。八溝(やみぞ)山地南端をなす筑波山塊の西側山列にあり、関東平野に突き出た優美な山容をもつ。女体山の東と西を走る断層のうち西側の断層が両峰の間に御幸原(みゆきがはら)の小平地と男女川(みなのがわ)の渓流をつくる。山頂部は角閃斑糲岩(かくせんはんれいがん)、中腹部以下は筑波型花崗(かこう)岩よりなり、山腹は山体が崩れた土石が厚く堆積(たいせき)している。筑波山の成り立ちは、花崗岩に閉じ込められた斑糲岩が侵食に抵抗して残った、いわゆる残丘であるといわれる。山頂は風が強く、夏は涼しく冬は比較的暖かい。とくに中腹は冬季に気温の逆転現象がおこり温暖である。森林は古くから筑波山神社により保護されてきた。山麓(さんろく)はアカマツ、中腹はモミ、山頂はブナを代表とした林相で覆われ、暖帯林から温帯林までが明瞭(めいりょう)である。ブナ林にはアカガシ、シキミが混生し、林床はスズタケなどのササが多い。「四六(しろく)のガマ」で有名なニホンヒキガエルは近年減少している。イノシシ、タヌキなど日本在来の動物も多い。渓流にはハコネサンショウウオ、ムカシトンボがみられ、ブナ林にはエゾハルゼミ、エゾゼミ、山麓にはヒメハルゼミの発生地もある。森林は神社の神域が多く、山麓のアカマツ利用のほかは林業は振るわない。豊富な筑波型花崗岩は灯籠(とうろう)、碑石、墓石、建築用として北側の桜川(さくらがわ)市真壁(まかべ)町地区に石材業を発達させ、近年は砕石業も増加した。西側山麓では植木鉢、火鉢などをつくる紫尾焼(しいおやき)の産地もある。気温の逆転現象を利用したミカンの栽培地は観光果樹園となった。筑波山は古くから嬥歌(かがい)で知られた信仰と遊楽の山である。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)(筑波男大神(おのおおかみ))・伊弉冉尊(いざなみのみこと)(筑波女大神(めのおおかみ))を祀(まつ)る筑波山神社の信仰と、登りやすさが、人々を集めた。筑波鉄道(1918。1987年廃止)、ケーブルカー(1925)、登山自動車道などの開通以来、東京近郊の行楽地となり、さらに水郷筑波国定公園(すいごうつくばこくていこうえん)に指定されて、スカイライン、ロープウェー、稜線(りょうせん)林道など道路や観光施設が整った。近年は北東側を裏筑波として新しく開発している。男体山中腹には東京大学地震研究所などの学術的施設、女体山付近には官公署・民間の電波中継施設が多数設置されている。
[櫻井明俊]
『八木心一著『筑波山がまの油物語 口上「さあさあお立ち合い」の成立と展開』(1984・崙書房出版)』▽『井之口章次著『筑波山麓の村』(1985・名著出版)』▽『読売新聞社編『筑波山はいま 人々の暮らしと自然』(1993・筑波書林)』▽『木村繁著『筑波山』(2000・筑波書林)』▽『朝日新聞社編・刊『週刊日本百名山 朝日ビジュアルシリーズ丹波山・天城山・筑波山』(2001)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…初めは春の国見と相関したともいうが,ともかく豊作の予祝や感謝と結んだ歓楽であった。場所は,山の高み,野,水辺,また言霊(ことだま)の行きあう衢(ちまた)の市(いち)の広場など,とくに常陸筑波山・童子女(うない)松原(《常陸国風土記》),肥前杵島(きしま)岳(《肥前国風土記》),大和海柘(石)榴市(つばいち)(《万葉集》巻十二。現,桜井市)・軽(かる)(軽市(かるのいち)。…
…凝った扮装でガマから油をとる一部始終を説き,日本のみならず中国の伝説まで引いてガマの霊力を語り,ついには刀をとり出し,切る切らぬと客を引きつけて膏薬を売る。伊吹山と筑波山が有名で,今にその口上を伝える芸人もいる。【織田 紘二】。…
※「筑波山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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