精選版 日本国語大辞典 「羽田亨」の意味・読み・例文・類語
はねだ‐とおる【羽田亨】
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東洋史家、言語学者。京都府出身。もと吉村姓、16歳のとき羽田家に入籍。東京大学東洋史学科に入り、白鳥庫吉(しらとりくらきち)に師事して東洋史を学び、1907年(明治40)卒業。京都大学大学院に入り、講師・助教授となり、フランスに留学。東洋学者のペリオ博士とともに博士が将来した敦煌(とんこう)文書を調査し、帰国後、教授、学士院会員、京都大学総長に選ばれた。退官後も東方文化研究所所長、あるいは東方学会会長として東洋学の振興に努めた。初め「蒙古(もうこ)史」を専攻し、唐代の回鶻(かいこつ)(ウイグル)研究によって学位を得たが、さらに西域(せいいき)、中央アジアに範囲を広げた。塞外(さいがい)の研究には現地民族の言語の習得より始めるべしとの方法論を唱え、これによって従来の水準を超えた西域史の体系を樹立した。1953年(昭和28)文化勲章受章。著書に『西域文明史概論』『西域文化史』『羽田博士史学論文集』がある。
[宮崎市定 2018年10月19日]
『『羽田博士史学論文集』全2巻(1975・同朋社出版部)』
東洋学者。京都府峰山町出身。生家吉村氏より羽田家に入る。第三高等学校より東京帝国大学文科大学史学科に進み,白鳥庫吉の門に学ぶ。京都帝国大学大学院を経て,1909年同学講師,以後同学で研究教育に従事。同学の文学部長,付属図書館長,総長を歴任,また東方文化研究所長となる。22年文学博士。従来ほとんど漢文資料に依拠していた内陸アジア史研究に新しい展望をひらいた。すなわち,卓越した言語学的知見を駆使して,今世紀初頭以来あいついだ中央アジア探検の成果である現地語資料を文献学的に活用するという,のちにこの学の主流となる方法論を確立した。《西域文明史概論》(1931),《西域文化史》(1948)は,ともに必読の名著とされる。東洋学の発展,組織化にも尽力し,戦中には日満文化協会によって中国大陸における文物の保護,遺跡の調査につとめたほか,47年には東方学会を組織した。53年文化勲章を授与さる。
執筆者:原山 煌
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