1897年(明治30)4月6日、労働組合の創設を呼びかける目的でつくられた組織。その前身は1891年夏にサンフランシスコで結成された同名の団体で、当時アメリカで働きながら勉学していた高野房太郎(ふさたろう)、出稼ぎにきていた城常太郎(じょうつねたろう)(靴工)、平野永太郎(えいたろう)(同)、沢田半之助(洋服職人)らが、在米日本人労働者の親睦(しんぼく)、利益増進を図ると同時に、日本の友人に労働組合の設立を訴えることを目的とした。これらの人々は日清(にっしん)戦争後の資本主義産業の急成長期に日本に帰り、城、沢田がこの組織を復活し、高野に参加を求めて、日本最初の労働組合結成を呼びかける檄文(げきぶん)「職工諸君に寄す」を作成、各工場の労働者に配布した。片山潜(せん)、佐久間貞一(ていいち)、松村介石(かいせき)、島田三郎らが協力して、6月25日東京でわが国最初の労働問題演説会を開き、新しい参加者を得て、7月4日には労働組合期成会に改組された。
[松尾 洋]
『片山潜著『日本の労働運動』(岩波文庫)』▽『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第1巻』(1962・東京大学出版会)』
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アメリカのサンフランシスコで労働者として生活し,同名の研究団体を組織していた城常太郎(じょうつねたろう)・沢田半之助・高野房太郎らが,帰国後の1897年(明治30)4月に結成した組織。高野の筆になる檄文(げきぶん)「職工諸君に寄す」を配布して,職能別組合の結成をよびかけた。のちに片山潜・佐久間貞一・島田三郎・村松介石らの協力をえた。同年7月労働組合期成会に改組。
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…関根忠吉とともに靴修理兼靴製造業を営む間,一時帰国したが,13人の靴工をつれて再渡米し靴店経営に成功した。91年高野,沢田半之助らと同地で職工義友会を結成,その経験をもとに帰国後,97年東京に職工義友会を組織した。労働組合期成会の創立にかかわった後,神戸に移り,労働組合研究会もつくった。…
…1886年アメリカに渡り,太平洋岸の各地で働きながら英語,経済学などを学んだ。この間,労働運動に関心をいだき,91年夏にはサンフランシスコで城常太郎(靴工),沢田半之助(洋服仕立工)らと職工義友会(〈労働組合期成会〉の項参照)を組織した。高野はジョージ・ガントンの《富と進歩》に感銘をうけ,〈高賃金は国内市場を拡大し国を富ます。…
…期成会そのものは労働組合ではなく,労働運動の宣伝・啓蒙団体である。その前身は1891年,サンフランシスコ在住の高野房太郎,城常太郎,沢田半之助らによって結成された労働問題の研究団体,職工義友会である。彼らは労働組合に強い関心をもち,なかでも高野はアメリカ労働総同盟(AFL)のS.ゴンパーズの知遇を得,94年にはAFLの日本オルグに任命されている。…
※「職工義友会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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