刑部親王(読み)おさかべしんのう

改訂新版 世界大百科事典 「刑部親王」の意味・わかりやすい解説

刑部親王 (おさかべしんのう)
生没年:?-705(慶雲2)

天武天皇の第9皇子。母は宍人大麻呂の女媛(かじひめ)。忍壁皇子などともいい,忍坂部とも書く。大宝律令制定施行に従事した。672年(天武1)壬申の乱に草壁皇子とともに近江大津宮を脱出,吉野から東行中の天武天皇合流。674年石上(いそのかみ)神宮に遣わされ,神宝の武器をみがく。679年皇后持統),草壁皇子,大津皇子ら6人と天武天皇に忠誠を誓う。681年詔を受け,川島皇子らと帝紀および上古諸事を記定。685年浄大参の位を受け,翌年(朱鳥1)7月宮の失火により民部省の蔵庸舎屋を焼くが,8月封100戸を加えられる。700年(文武4)律令撰定の功により賜禄。701年(大宝1)3月官位改定により三品,8月大宝律令の完成により賜禄。702年持統太上天皇の没時に造大殿垣司となる。703年正月知太政官事に任じられた。704年(慶雲1)封200戸を増加され,翌年2月越前国の野100町を賜り,5月三品,知太政官事にて没した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「刑部親王」の意味・わかりやすい解説

刑部親王
おさかべしんのう
(?―705)

天武(てんむ)天皇の皇子。忍壁とも書く。母は完人臣(ししひとのおみ)大麻呂の女(むすめ)媛(かじひめ)。672年(天武天皇1)壬申(じんしん)の乱には父とともに東国へ赴く。674年天皇の命で石上(いそのかみ)神宮の神宝を膏油(こうゆ)で磨いた。679年天皇、皇后と刑部ら6皇子が吉野宮で勅に従い逆らうことなきを互いに誓い合った。681年詔を奉じ「帝紀及び上古諸事」の記定に参加した。これは記紀編集の初めといわれる。大宝律令(りつりょう)の編集には筆頭の編纂(へんさん)者として参与し、持統(じとう)上皇が703年(大宝3)崩御すると知太政官事(ちだいじょうかんじ)として、国政を総理した。

[横田健一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「刑部親王」の意味・わかりやすい解説

刑部親王
おさかべしんのう

[生]?
[没]慶雲2(705).5.7.
天武天皇の皇子。忍壁親王とも書く。母はかじ媛娘 (かじひめのいらつめ) 。壬申の乱には天武天皇に従って行動した。天武9 (680) 年,天皇の命により『帝紀』の編纂にあたり,文武天皇の詔により藤原不比等と『大宝律令』の編纂に従事した。大宝3 (703) 年知太政官事の官について政務にあたり,慶雲2 (705) 年には越前国の地 100町を授けられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「刑部親王」の解説

刑部親王
おさかべしんのう

?~705.5.7

忍壁・忍坂部とも。天武天皇の第9皇子。誕生順では大津皇子についで4番目。母は宍人臣(ししひとのおみ)大麻呂の女媛娘(かじひめのいらつめ)。681年(天武10)「帝紀」や上古諸事の撰述に参加。700年(文武4)には大宝律令撰定作業の主宰者となり,翌年完成させた。703年(大宝3)知太政官事に就任したが,705年(慶雲2)没。

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旺文社日本史事典 三訂版 「刑部親王」の解説

刑部親王
おさかべしんのう

?〜705
天武天皇第9皇子。大宝律令の編者
「忍壁」とも書く。671年父大海人 (おおあま) 皇子(のちの天武天皇)に従って吉野にのがれ,壬申 (じんしん) の乱に活躍した。681年天武天皇の命により記紀編纂にあたり,文武天皇のとき,701年大宝律令を完成した。持統天皇の没後,知太政官事に任じられ,国政に参加した。

刑部親王
ぎょうぶしんのう

おさかべしんのう

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百科事典マイペディア 「刑部親王」の意味・わかりやすい解説

刑部親王【おさかべしんのう】

忍壁(おさかべ)皇子などともいう。天武天皇の第9皇子。681年天皇の命で帝紀の編集に当たる。700年には文武天皇の命を受け藤原不比等(ふひと)らとともに大宝(たいほう)律令の編集を行い,翌年完成。

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世界大百科事典(旧版)内の刑部親王の言及

【知太政官事】より

…8世紀前半期におかれた令外官。大宝令施行直後の703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ,以後穂積(ほづみ)親王,舎人(とねり)親王をへて745年(天平17)に鈴鹿(すずか)王が没するまで,断続的に存在した。その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。…

※「刑部親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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