日本古代における人民の良と賤の身分区分。中国の良賤の身分法を継受したもの。1~7世紀の賤民の形成は、〔1〕犯罪者の賤民化、〔2〕捕虜、〔3〕王族、豪族、寺社などの隷属民の賤民化、〔4〕人身売買や債務による奴隷化などにより進行していた。7世紀後半には、男女の法により人民が良と賤に二分され、庚午年籍(こうごねんじゃく)(670)、庚寅(こういん)年籍(690)の戸籍により良民と賤民の身分区別が全人民について確定され、庚寅年籍以降は良民が人身売買や債務により奴隷化することを防止して、国家支配の基盤としての公民身分の確立を図った。大宝令(たいほうりょう)(701)の戸令(こりょう)により、賤民は、官有賤民として朝廷などで労役に従う官戸(かんこ)と公奴婢(くぬひ)(官奴婢)、私有賤民として家人(けにん)や私奴婢の身分が定められた。さらに、養老(ようろう)令(718)では、陵墓を守る陵戸(りょうこ)も賤民とされ、五色(ごしき)の賤の制が確立した。私奴婢は売買の対象ともされた。良民と賤民は通婚を禁止され、また賤民は氏姓をもたなかった。8世紀には奴婢の逃亡の事例が多数みられる。私有賤民の人口は、良賤制の確立以降は生益(しょうえき)によってしか増加しないことになった。また、賤を解放して良民とすることを放賤従良といった。良民のなかには、租税負担などを逃れるために賤民と通婚する者なども生まれてきた。8世紀後半に、良賤間の通婚による所生子を良民とすることとしてから、賤民は激減したと推定され、戸籍制度の衰退とも関連して、9~10世紀には律令賤民制は解体していった。しかし、卑賤観念や穢(けが)れの観念により人間を差別し賤民身分とすることは、平安後期以降の新たな賤民制度の出発点となった。
[石上英一]
『井上光貞他編『律令』(1976・岩波書店)』▽『神野清一著『律令国家と賤民』(1986・吉川弘文館)』
律令制における良・賤身分のこと。または良民と賤民のこと。日本の律令制では被支配民の身分を良・賤に二大別し,租庸調などの公課を負担する公民を良民とし,特定の主人(官司)に従属し特殊な奉仕を義務づけられた陵戸・官戸・家人・公私奴婢を賤民とした(五色の賤)。品部(しなべ)・雑戸はその中間的な存在であったとされるが,特定の官司に従属して特定の奉仕を義務づけられていた身分の性格からすると,賤民的な存在であったとすることができる。なお中国の良賤の区別は,礼的秩序の構成員を良民とし,礼的秩序外の存在を賤民とするという国家の支配秩序理念にもとづくもので,良賤という用語は同じでも内容がまったく異なっていた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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