古代に陵墓守衛にあてられた戸。大王(おおきみ)陵と大后(おおきさき)・王子らの墓それぞれを守衛した陵守(みささぎもり)と墓守(はかもり)を前身とし、691年(持統天皇5)の詔(みことのり)に初見。757年(天平宝字1)施行の養老令に初めて五色(ごしき)の賤(せん)の一つとされ、喪葬令(そうそうりょう)に陵を守るという職務が明文化、同職員令(しきいんりょう)に治部省(じぶしょう)諸陵司(しょりょうし)の管轄下に隷属し、陵戸籍に付すこと、同賦役令(ぶやくりょう)に課役(かえき)免除が規定された。また、同戸令(こりょう)では当色婚(とうじきこん)が強制された。同田令(でんりょう)に官戸官奴婢(かんぬひ)の口分田(くぶんでん)は良民と同額とあるので、陵戸にもこれが適用されたと思われる。陵戸が不足の場合、近隣の百姓(ひゃくせい)を指定して3年交代で守衛させたのが、守戸(しゅこ)である。
[門脇禎二]
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…7世紀までの賤民の形成は,(1)犯罪による没身(賤民にすること),(2)人身売買・債務による奴隷化,(3)捕虜の賤民化,(4)手工業者などの賤民化,(5)王族・豪族・寺社の隷属民の賤民化,などにより進行していた。養老令の戸令は,官有賤民として陵墓を保守する陵戸(りようこ)(陵戸・守戸),朝廷で労役に従う官戸(かんこ)と公奴婢(ぬひ)(官奴婢),私有賤民として家人(けにん)と私奴婢の合わせて5種の賤民の身分を定めた(陵戸は大宝令では賤民ではなかったとの説もある)。陵戸は奴隷ではないが,官戸,公奴婢,家人,私奴婢は奴隷であった。…
…良賤間の通婚は禁ぜられ,その所生子は原則として賤とされる定めであった(良賤法)。養老令の規定では,賤民に陵戸(りようこ),官戸(かんこ),家人(けにん),官奴婢(ぬひ)(公奴婢),私奴婢の5種があり(五色の賤),それぞれ同一身分内部で婚姻しなければならないという当色婚の制度が定められていたが,このうち陵戸は大宝令では雑戸(ざつこ)の一種としてまだ賤とはされていなかった可能性が強い。雑戸は品部(しなべ)とともに前代の部民(べみん)の一部が律令制下になお再編・存続させられ,それぞれ特定の官司に隷属して特殊な労役に従事させられたもので,そのため身分上は良民でありながら,社会的に一般公民とは異なる卑賤な存在として意識された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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