茂山千作(読み)シゲヤマセンサク

デジタル大辞泉 「茂山千作」の意味・読み・例文・類語

しげやま‐せんさく【茂山千作】

[1919~2013]狂言師。4世。大蔵流京都の生まれ。本名、茂山七五三しめ。明朗な狂言で知られ、天衣無縫な芸で新作狂言などにも取り組んだ。芸術院会員、人間国宝。平成19年(2007)文化勲章受章

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「茂山千作」の解説

茂山 千作(3代目)
シゲヤマ センサク


職業
狂言師(大蔵流)

肩書
大蔵流茂山千五郎家11代目宗家 重要無形文化財保持者(狂言)〔昭和51年〕,日本芸術院会員〔昭和54年〕

本名
茂山 真一(シゲヤマ マサカズ)

別名
前名=茂山 千五郎(11代目)(シゲヤマ センゴロウ)

生年月日
明治29年 8月30日

出生地
京都府 京都市

学歴
京都第二高小中退

経歴
生後すぐに大蔵流茂山千五郎家10代目の養嗣子となる。5歳から狂言を始め、明治34年「附子」で初舞台。43年「三番三」、大正7年「釣狐」、14年「花子」、昭和8年「狸腹鼓」、32年「枕物狂」を披く。21年11代目千五郎を経て、41年3代目千作を襲名。40年より日本能楽会会員。太郎冠者物や出家物を得意とし、洒脱で風雅な京風狂言師の風格があった。51年人間国宝、54年日本芸術院会員となる。また市民に分かりやすい狂言を紹介する市民狂言会を創設し、戦後の狂言ブームを作り出した。谷崎潤一郎の「月と狂言師」のモデルでもあり、狂言小舞「ささめ雪」が贈られる。著書に「狂言85年」。

所属団体
日本能楽会,京都能楽会

受賞
日本芸術院賞(昭51年度)〔昭和52年〕 勲五等双光旭日章〔昭和44年〕,勲三等瑞宝章〔昭和56年〕 芸術祭賞〔昭和23年〕,京都市文化功労者〔昭和46年〕,大阪市文化祭金賞〔昭和50年〕,大阪芸術賞〔昭和52年〕,京都府文化賞(特別功労賞)〔昭和58年〕,京都市名誉市民〔昭和58年〕

没年月日
昭和61年 7月19日 (1986年)

家族
養父=茂山 千作(2代目),長男=茂山 千作(4代目),二男=茂山 千之丞(2代目),孫=茂山 千五郎(13代目),茂山 七五三(2代目),茂山 千三郎

親族
女婿=岩崎 狂雲(狂言師)

伝記
ぜんぶ芸のはなし―名人上手十八話 織田 紘二,中嶋 典夫 編著(発行元 淡交社 ’05発行)


茂山 千作(2代目)
シゲヤマ センサク


職業
狂言師(大蔵流)

肩書
大蔵流茂山千五郎家10代目宗家

本名
茂山 正重(シゲヤマ マサシゲ)

別名
初名=茂山 市蔵,前名=茂山 千五郎(10代目)(シゲヤマ センゴロウ)

生年月日
元治1年 9月27日

出生地
京都

経歴
明治元年「柿山伏」のシテが初舞台。21年10代目千五郎を襲名。31年豊太閤三百年祭奉納能を4日間、金剛謹之助とともに全国の能楽師を集めて行い、44年には東本願寺宗祖六百五十年遠忌能を3日間、同様の形で張った。京都能楽界の世話役に任じ、また巌谷小波らとお伽倶楽部を創設、小学校などで子供狂言を巡演し、狂言普及に努めた。昭和21年隠居名千作と改めた。芸談集「狂言八十年」がある。

受賞
芸術祭賞〔昭和23年〕「枕物狂」のシテ

没年月日
昭和25年 2月5日 (1950年)

家族
父=茂山 千五郎(9代目),養子=茂山 千作(3代目 11代千五郎),孫=茂山 千作(4代目 12代千五郎),茂山 千之丞(2代目)

伝記
戦後 関西能楽誌 権藤 芳一 著(発行元 和泉書院 ’09発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「茂山千作」の解説

茂山 千作(3代目)
シゲヤマ センサク

大正・昭和期の狂言師(大蔵流) 大蔵流茂山千五郎家11代目宗家。



生年
明治29(1896)年8月30日

没年
昭和61(1986)年7月19日

出生地
京都府京都市

本名
茂山 真一(シゲヤマ マサカズ)

別名
前名=茂山 千五郎(11代目)(シゲヤマ センゴロウ)

学歴〔年〕
京都第二高小中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和23年〕,勲五等双光旭日章〔昭和44年〕,京都市文化功労者〔昭和46年〕,大阪芸術賞〔昭和52年〕,日本芸術院賞〔昭和51年〕,勲三等瑞宝章〔昭和56年〕,京都府文化賞(特別功労賞)〔昭和58年〕,京都市名誉市民〔昭和58年〕

経歴
生後すぐに大蔵流茂山千五郎家10代目の養子となる。5歳から狂言を始め、明治33年「伊呂波」のシテで初舞台。昭和21年11代目千五郎を経て、41年3代目千作を襲名。40年より日本能楽会会員。太郎冠者物や出家物を得意とし、洒脱で風雅な京風狂言師の風格があった。51年人間国宝、54年芸術院会員となる。また市民に分かりやすい狂言を紹介する市民狂言会を創設し、戦後の狂言ブームを作り出した。谷崎潤一郎の「月と狂言師」のモデルでもある。著書に「狂言85年」。


茂山 千作(2代目)
シゲヤマ センサク

明治〜昭和期の狂言師(大蔵流) 大蔵流茂山千五郎家10代目宗家。



生年
元治1年9月27日(1864年)

没年
昭和25(1950)年2月5日

出生地
京都

本名
茂山 正重(シゲヤマ マサシゲ)

別名
初名=茂山 市蔵,前名=茂山 千五郎(10代目)(シゲヤマ センゴロウ)

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和23年〕「枕物狂」のシテ

経歴
明治元年「柿山伏」のシテが初舞台。21年10代目千五郎を襲名。31年豊太閤三百年祭奉納能を4日間、金剛謹之助とともに全国の能楽師を集めて行い、44年には東本願寺宗祖六百五十年遠忌能を3日間、同様の形で張った。京都能楽界の世話役に任じ、また巌谷小波らとお伽倶楽部を創設、小学校などで子供狂言を巡演し、狂言普及に努めた。昭和21年隠居名千作と改めた。芸談集「狂言八十年」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「茂山千作」の意味・わかりやすい解説

茂山千作
しげやませんさく
(1896―1986)

能楽師。大蔵流狂言方。江戸時代から続く京都狂言界の名家、茂山家の11世。2世千作の名で知られた10世千五郎正重(まさしげ)の長男(養子)。本名、真一(まさかず)。前名、千五郎。1966年(昭和41)隠居名を名のり3世千作となる。1976年重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受ける。1976年度芸術院賞を受賞。1979年芸術院会員。京都風の柔らかい写実的芸風で、小柄なきびきびした動きにあいきょうがあり、観客へのサービス精神の旺盛(おうせい)な芸風であった。長男4世千作(本名七五三(しめ)、12世千五郎、1919―2013)、次男2世千之丞(1923―2010)は、狂言だけでなく幅広い演劇活動を展開して、狂言の普及と地位向上に貢献した。4世千作は1989年(平成1)重要無形文化財各個指定の認定を受け、1991年芸術院会員に就任、2000年文化功労者。2007年文化勲章受章。

[小林 責 2018年5月21日]

『3世茂山千作著『狂言85年茂山千作』(1984・淡交社)』『4世茂山千作著『京都の狂言師』(2004・世界文化社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「茂山千作」の意味・わかりやすい解説

茂山千作(4世)
しげやませんさく[よんせい]

[生]1919.12.28. 京都
[没]2013.5.23. 京都,京都
大蔵流狂言師。本名茂山七五三(しげやましめ)。3世茂山千作の長男。父および祖父 2世茂山千作に師事。1924年『以呂波(いろは)』で初舞台。1934年『三番三(さんばそう)』,1940年『釣狐(つりぎつね)』,1949年『花子(はなご)』を披演。1966年 12世茂山千五郎を襲名。弟の茂山千之丞とともに武智鉄二の制作・演出による新作狂言や・狂言様式の演劇に参加,歌舞伎やテレビなどにも出演,天衣無縫な芸は観客を魅了し,狂言の普及啓蒙と地位の向上にも貢献した。1994年 4世千作を襲名。1966年『狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)』で芸術祭賞奨励賞,1981年『素袍落(すおうおとし)』で芸術祭賞大賞,1982年芸術選奨文部大臣賞を受け,1985年紫綬褒章を受章。1989年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。1991年日本芸術院会員,2000年文化功労者に選ばれ,同 2000年朝日賞,2007年文化勲章を授与された。著書に『千五郎狂言咄』(1983),『京都の狂言師』(2004),『兄弟狂言 千作・千之丞の八十七年』(2013)。

茂山千作(2世)
しげやませんさく[にせい]

[生]元治1(1864).9.27. 京都
[没]1950.2.5. 京都
能楽師,大蔵流狂言方。彦根藩に仕えた茂山家9世千四郎正虎の次男。幼名市蔵。父の没後 1888年 25歳で 10世を継ぎ,千五郎正重と名のる。 83歳で隠居,長男真一に千五郎を譲り,父の別名千作 (9世は禁裏能では実家の姓をとり佐々木千作といった) を継ぎ『庵の梅』を演じる。よく流儀の発展に努め,晩年は目が不自由であったが,洒脱な芸風の持主で名人といわれた。

茂山千作(3世)
しげやませんさく[さんせい]

[生]1896.8.22. 京都
[没]1986.7.19. 京都
能楽師,大蔵流狂言方。別名 11世茂山千五郎。 1966年隠居して3世千作を名のる。小柄で敏捷な写実的な芸風の持主。父を継ぎ関西狂言界に大きな功績を残した。 76年重要無形文化財保持者,79年日本芸術院会員。

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百科事典マイペディア 「茂山千作」の意味・わかりやすい解説

茂山千作【しげやませんさく】

能楽師。大蔵流狂言方。江戸時代から続く京都狂言界の名家,茂山千五郎家の11世。先代の2世千作〔1864-1950〕の長男で1966年隠居名の3世千作を襲名した。関西風のくだけた軽妙な芸風。1976年人間国宝。4世〔1919-2013〕は3世の長男。前名七五三(しめ),12世千五郎。1994年4世を襲名。1989年人間国宝,1991年芸術院会員。2世千之丞〔1923-2010〕はその弟。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「茂山千作」の解説

茂山千作(3代) しげやま-せんさく

1896-1986 大正-昭和時代の能楽師狂言方。
明治29年8月30日生まれ。10代茂山千五郎の養子。大蔵流。昭和21年11代千五郎を,41年3代千作を襲名。太郎冠者(かじゃ)物,出家物を得意とし,3代茂山忠三郎とともに京都の狂言を代表。狂言の普及にもつくした。51年人間国宝,52年芸術院賞。昭和61年7月19日死去。89歳。京都出身。本名は真一(まさかず)。著作に「狂言85年」。

茂山千作(4代) しげやま-せんさく

1919- 昭和-平成時代の能楽師狂言方。
大正8年12月28日生まれ。3代茂山千作の長男。茂山千之丞の兄。大蔵流。昭和41年12代茂山千五郎を襲名。武智鉄二演出の狂言様式による「東は東」などに弟と出演。平成元年人間国宝,3年芸術院会員。6年4代茂山千作を襲名。12年文化功労者。19年文化勲章。京都出身。京都市美術工芸学校中退。本名は七五三(しめ)。

茂山千作(2代) しげやま-せんさく

茂山千五郎(しげやま-せんごろう)(10代)

茂山千作(初代) しげやま-せんさく

茂山千五郎(しげやま-せんごろう)(9代)

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367日誕生日大事典 「茂山千作」の解説

茂山 千作(3代目) (しげやま せんさく)

生年月日:1896年8月30日
大正時代;昭和時代の能楽師狂言方
1986年没

茂山 千作(2代目) (しげやま せんさく)

生年月日:1864年9月27日
明治時代-昭和時代の大蔵流狂言方
1950年没

茂山 千作(4代目) (しげやま せんさく)

生年月日:1919年12月28日
昭和時代;平成時代の狂言師(大蔵流)

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の茂山千作の言及

【大蔵流】より

…相弟子の義直は分家茂山忠三郎家を興し,その子良豊の義子弥五郎も別家を興し1963年能の金春流宗家より善竹の姓を贈られて善竹家となった。千五郎家では正虎の孫茂山千作(1896‐1986)が重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)を受け,その息12世千五郎・千之丞ら,茂山忠三郎家では良豊の孫4世忠三郎らが京都を中心に活躍し,善竹家では弥五郎の息忠一郎・玄三郎・幸四郎らが阪神を中心に,現宗家の大蔵弥太郎,善竹圭五郎らが東京を中心に活躍している。
[山本家]
 豊後岡(竹田)中川藩の江戸詰藩士であった山本東次郎則正(東(あずま))が初世。…

※「茂山千作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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