草間直方(読み)クサマナオカタ

デジタル大辞泉 「草間直方」の意味・読み・例文・類語

くさま‐なおかた〔‐なほかた〕【草間直方】

[1753~1831]江戸後期の商人学者大坂の人。通称、鴻池屋伊助両替商を営みながら、貨幣経済の構造や沿革を研究した。著「三貨図彙」「草間伊助筆記」など。

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精選版 日本国語大辞典 「草間直方」の意味・読み・例文・類語

くさま‐なおかた【草間直方】

  1. 江戸後期の商人。貨幣経済史家。通称鴻池屋伊助。両替商、鴻池家の分家尼崎の草間家の養子となり、のち独立して、肥後藩南部藩などの財政整理を担当。晩年隠退し、貨幣、物価の変遷を詳述した「三貨図彙」や、「草間伊助筆記」「茶器名物図彙」を著わす。宝暦三~天保二年一七五三‐一八三一

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朝日日本歴史人物事典 「草間直方」の解説

草間直方

没年:天保2.2.25(1831.4.7)
生年:宝暦3.9(1753)
江戸後期に活躍した両替商,経済学者。京都綾小路烏丸通りの商人桝屋唯右衛門の子。宝暦12(1762)年,10歳のとき京都四条の鴻池家の京都両替店に丁稚奉公。翌年河内国の鴻池新田会所へ転勤。安永3(1774)年22歳のとき,鴻池の別家のひとつ大坂尼崎町の草間家の婿養子に迎えられ,鴻池伊助を名のって,大坂今橋の鴻池本家に勤務することになった。優秀な奉公人を婿養子にすることは当時よく行われていた。本家勤務35年のうち後半の20年のはじめ5カ年は支配人見習,あとの15年間は支配人であった。鴻池家の算用帳によると伊助の支配人世話料(役料)は年に銀3貫目(約金50両)であった。支配人世話料の最高額は銀3貫500目だったから,伊助は最高ではなかった。 文化5(1808)年願い出て「自分家業」が許された。自分家業のかたわら著述に努め,文化12年に『三貨図彙』を脱稿。経済の動きを冷静にみつめ,合理的に解釈する態度により当時としては抜群の経済,金融に関する論評を行ったすぐれた日本貨幣史である。節約を善とする風潮のなかで,消費促進を肯定するなど,その透徹した合理的経済観によって,明治福沢諭吉につながる先駆者だったとも評価される。ほかに『草間伊助筆記』(大阪市参事会編『大阪市史』5巻)がある。<参考文献>新保博『寛政のビジネス・エリート―大阪商人草間直方にみる江戸時代人の経営感覚』,安岡重明『財閥形成史の研究』

(安岡重明)

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改訂新版 世界大百科事典 「草間直方」の意味・わかりやすい解説

草間直方 (くさまなおかた)
生没年:1753-1831(宝暦3-天保2)

江戸中・後期の商人,学者。山城国京綾小路烏丸(からすま)の枡屋唯右衛門の子として生まれ,1762年(宝暦12)京都四条の山中(鴻池)家に丁稚奉公をし,翌年河内国の鴻池新田会所の勤務となり,74年(安永3)大坂今橋の鴻池本家に出勤となった。ついで同年鴻池家の別家草間家(今橋)の女婿となり,鴻池屋伊助ととなえ,両替屋を経営した。肥後熊本藩,豊後府内藩,播磨山崎藩,讃岐多度津藩,陸奥盛岡藩,田安家などと取引した。大坂町人の学問所であった懐徳堂(今橋)に学び,富永仲基・山片蟠桃とならんで懐徳堂から輩出した代表的な町人学者として知られた。1824年(文政7)に家督を三男伊作に譲り隠居。寛政期から著作に着手し,貨幣・物価の歴史に関する《三貨図彙》44冊(1815成立)をはじめ,《草間伊助筆記》《鴻池新田開発事略》《茶器名物図彙》《麓の栞》《家訓闇の礫》などを著した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「草間直方」の意味・わかりやすい解説

草間直方
くさまなおかた
(1753―1831)

江戸時代の大坂の商人、学者。通称鴻池屋(こうのいけや)伊助。京都桝屋唯右衛門(ますやただえもん)の子として宝暦(ほうれき)3年9月に生まれる。10歳のとき京都山中家に奉公に出、翌年鴻池新田の会所勤務となり、1774年(安永3)以後鴻池本家に仕え、同年11月鴻池別家草間家の女婿となった。商人としての直方は、鴻池本店の店務をみたほか、1808年(文化5)以後は自分家業として両替店を開き、肥後熊本藩、南部(盛岡)藩など諸藩の経済的顧問として腕を振るい、藩札発行などにも関与した。また学者としては、『草間伊助筆記』『新田開発事略』など多数の著書を残したが、とくに『三貨図彙(ずい)』44巻は20年を費やして著された詳細なこの時代の貨幣・物価・金融・貿易史で、江戸時代の経済史料として高く評価されている。天保(てんぽう)2年2月25日没。

[滝沢武雄]

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百科事典マイペディア 「草間直方」の意味・わかりやすい解説

草間直方【くさまなおかた】

江戸中・後期の大坂の商人。学者。鴻池(こうのいけ)家に奉公。出世して摂津(せっつ)尼崎の鴻池分家草間家の女婿となり,鴻池屋伊助を名乗り両替商を営む。肥後(ひご)熊本藩,豊後(ぶんご)府内藩,陸奥(むつ)盛岡藩など諸藩の御用商人として活躍。のち隠居して茶事文道をたしなんだ。懐徳堂に学び,富永仲基山片蟠桃(ばんとう)らとともに町人学者として知られ,貨幣と物価の歴史に関する《三貨図彙(ずい)》(1815年)は名著。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「草間直方」の解説

草間直方 くさま-なおかた

1753-1831 江戸時代中期-後期の商人,経済学者。
宝暦3年9月生まれ。大坂の鴻池(こうのいけ)家に奉公し,別家の草間家の婿となって両替商をいとなむ。文化12年貨幣・物価史に関する著作「三貨図彙(ずい)」42巻をまとめた。天保(てんぽう)2年2月25日死去。79歳。京都出身。字(あざな)は子徳。通称は鴻池伊助。著作はほかに「草間伊助筆記」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「草間直方」の解説

草間直方
くさまなおかた

1753〜1831
江戸後期,大坂の両替商・町人学者
少年時代から大坂の両替商鴻池 (こうのいけ) 家に勤めた。のち別家して鴻池屋伊助を名のって両替商を営み,肥後・南部など諸藩御用となった。その著書『三貨図彙 (ずい) 』(1815)は貨幣・物価・度量衡の研究書として著名である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草間直方」の意味・わかりやすい解説

草間直方
くさまなおかた

[生]宝暦3(1753)
[没]天保2(1831)
江戸時代後期の大坂の商人で学者。通称鴻池屋伊助。鴻池別家として両替商を営む一方,文筆,茶の湯に長じる。主著『三貨図彙』。

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